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ケチャこそ「絆」の科学・技術・芸術の粋

2020.07.28 05:19

Facebook・清水 友邦さん投稿記事 ·

断崖絶壁に立つ有名なバリ島ウルワツ寺院で、50人を越える半裸の男性たちの『ラーマーヤナ』物語を題材とした呪術的合唱舞踊劇ケチャが行われました。

世界中の神話は共通の構造を持っています。

英雄は冒険の旅でしばしば恐怖、怒りの感情を表し、復讐や戦いの中で「最大の試練」を迎えます。

最後の難関で邪悪な怪物に追い詰められますが、手に入れた魔法の力を使って追跡をかわし、危機を脱出します。

神話学者ジョセフ・キャンベルによると神話の構造は次の3つのパートに分かれます。

1 セパレーション〈日常世界からの分離・旅立ち〉

英雄は冒険の旅をしに他界に行きます。『ラーマーヤナ』物語のラーマ王子は、鹿を追って一人森に入っていきます。

2 イニシエーション〈通過儀礼〉

魔王ラーヴァナに妻シータはさらわれ、ラーマ王子は矢で撃たれ、蛇に巻きつかれる苦しく困難な最大の試練に巻き込まれます。

ハヌマンという猿の大将やガルーダと言う大きな鳥に助けられラーマ王子は危機を切り抜けます。これは神話の構造でマジックフライト(呪的逃走)と呼ばれているパターンです。

3 リターン〈帰還〉

危機を脱出したラーマ王子は魔王との戦いに勝利して妻シータを連れて無事に自分の国へ戻ります。

この英雄の旅は、私たちの自我が成熟していくプロセスでもあります。

1 セパレーション

 今まで身につけていた偽りの自我がまわりの環境と合わなくなり、葛藤が強くなって自我がゆらぎます。今までの古い自我を脱ぎ捨てることが起きます。

2 イニシエーション

 古い自我の境界を超えるときに、しまい込まれた過去の辛い記憶や否定的な情動と出会います。その葛藤をあるがままに受け入れることで、新しい自我が形成されます。

3 リターン

 宝物である永遠の命と至福を手に入れて、故郷(日常世界)に帰還します。古い自我は滅び、より器が広がった新しい自我が再生されます。

偽りの自分から、ゆるぎない本当の自分に戻ります。

神話の主人公は以前に失敗を犯した時と同じ状況に見舞われますが、今度は正しい行動を取る事で内面的な成長を遂げます。

受けれ入れられない状況に陥ると自我は恐怖や不安を感じないようにすぐに思考を強めて情動を感じる通路を封鎖してしまいます。あるがままの自分と直面しないようにしてしまうのです。

そうして自我は自分を誤魔化して偽りの仮面をつけて外からの刺激に反応して生きています。

心の旅とは到底受け入れられない状況の中で仮面を脱ぎ捨て真の自分自身を取り戻して故郷に帰還する旅でもあります。

つまり、人生とは本当の自分である我に帰る旅なのです。

https://www.yamashirogumi.jp/kecak/  【ケチャとは何か?】

ケチャこそ「絆」の科学・技術・芸術の粋

「神々の島」と呼ばれるバリ島の共同体が生み出した数多くの精華の中でも、一際異彩を放ち世界を驚嘆させ続けている奇蹟の合唱舞踊芸能「ケチャ」。100人以上の上半身裸の男性が車座になって円陣を組み、独特の叫び声で、脳幹を直撃する最強のリズム16ビートの合唱を奏でる中、絢爛たる衣装をまとった踊り手がヒンドゥーの古代叙事詩「ラーマーヤナ」の目眩く世界を、時に妖艶に、時にスペクタクルに演じる様は、観る人をたちまち陶酔の世界へと誘います。現生人類が生み出した表現芸術の一つの究極であると絶賛されるのも無理からぬ所です。

バリ島のケチャ

西欧近代文明の限界と綻びが隠せないものとなり、「利己から利他へ」「エゴからエコへ、そしてコミュニティへ」と社会が大きく位相を反転させる中、西欧文明に十分な免疫をもちながら強固なコミュニティを堅持しているインドネシア・バリ島が生み出したケチャの人類史的意義は、表現芸術の枠に留まるものではありません。

「個」=要素に最高の価値を置き、要素が加算されたものとして世界を捉える世界像−−個体中心世界像(Ego-centric Umwelt)−−が急速に崩壊していくのと並行して、多様な要素が「相互作用」によって結ばれた生態系に至高の価値を置く世界像−−生態系優先世界像(Eco-centric Umwelt)−−が急速に立ち上がりつつあります。この新しい世界像の中心をなすのが、決定論的科学では計測することも予測することも絶望的に困難な一つの相互作用、すなわち「絆」に他なりません。

実は、1時間足らずのケチャの中には、「絆」の真髄が様式化され芸術化された形で凝縮されています。指揮者もなしに猛烈に速い16ビートのリズムパターンを声で奏でるケチャを支えるのは、以心伝心、阿吽の呼吸、一心同体、適当制御など、まさに「絆」という相互作用の本質そのものなのです。

ケチャを演じることは、「絆」を視て聴いて触ることができる〈絆の科学〉の実践だといえます。同時にケチャは、「絆」を実現し堪能し陶酔できるようにした〈絆の技術〉だともいえます。さらにケチャは、「絆」を様式化し祝祭や儀礼へと昇華させた〈絆の芸術〉でもあるのです。まさにケチャこそ「絆」の科学・技術・芸術の粋であり、そこにケチャの揺るぎない人類史的意義があるといえるでしょう。