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のらくらり。

伯爵、かつ専任美容師

2020.07.28 06:56

ルイスの髪を切るアルバート兄様のお話。

モリミュの兄様が元美容師で、キャストさんの髪をちょいちょい切ってあげてるという情報から出来たアルルイ。


頬にかかる前髪に触れる指先は意識せずともとても優しい。

完璧を体現したような彼、アルバートの手は、その外見が与える温かみのなさを裏切っているように思う。

隙のなさゆえに冷淡さすら感じられるクールな佇まいこそが彼の魅力なのだと、そう噂していた貴婦人がこの指先の優しさと温もりを知れば、その顔に驚愕の色を乗せるのだろう。

ルイスの髪を梳くアルバートの指先は、ルイスの体温が低いことを除いたとしても自愛に満ちて温かい。


「少し伸びてきたようだね」

「そうでしょうか」


資料作成の合間にタイミング良くルイスが紅茶の用意を申し出た。

快くそれを受け入れたアルバートは香り高い紅茶をカップの半分ほど飲んでから、傍で控えるルイスへ隣に座るよう命令した。

命令しなければ、この末っ子が自ら腰を下ろすことはない。

内心で苦笑しながら隣に座った弟の右頬を隠す前髪に触れていると、ふわふわと手触りの良い感覚がアルバートの指に伝わってきた。

手入れが行き届いた子猫のような手触りだと、そう言ってしまえばルイスの機嫌を損ねてしまうだろう。

十分な栄養を確保したおかげで上背は伸びたけれど、アルバートにとってのルイスはいつまで経っても出会った頃のまま、額を出して懸命に威嚇しようとする幼い姿で止まっている。

小柄な体に相応しいふわふわした髪の毛は、アルバートのものとは別種類としての癖っ毛のようだった。

時折言うことを聞かずに後ろ髪が跳ねている姿を見るのは、アルバートだけでなくウィリアムにとっても密かな楽しみだったりする。

その髪質のまま成長したルイスだが、今その髪は跳ねることなくすとんと肩に付くまでに降りてきていた。


「少し切ろうか。肩に掛かるのは煩わしいだろう?」

「え…ですが、まだ作業が終わっていないのでは」

「構わないさ。あともう少しで終わるところだったんだ、良い気分転換にもなる」

「…アルバート兄様が良いのであれば」


是非お願いします。

ルイスが長い睫毛を伏せ、俯きながらアルバートの肩へと身を寄せてくる。

髪の隙間から見える耳はうっすら赤く染まっていて、隠そうとはしていないけれど恥ずかしさを誤魔化そうとするようにも見えた。

警戒心の強い子どもだったのに、今ではふとした瞬間にちゃんと信頼と甘えを見せてくれるようになったのだから堪らない。

アルバートは首の後ろを隠している髪に手を伸ばし、腕の中に収まる小さな頭に頬を寄せた。


「おや、ルイスの髪を切るんですか?」

「あぁ。ウィルも伸びてきたようなら、ルイスの次に整えてあげようか」

「僕はまだ大丈夫ですよ。ルイス、兄さんに綺麗にしてもらっておいで」

「はい、兄さん」


アルバートとルイスがテラスに場所を移して髪を切るための準備を進めていると、たまたま部屋から出てきたウィリアムとすれ違う。

どうせ昨夜は寝ていないのだろうがその顔色は思っていたよりも良かったので、ルイスは小言を言うことなく大人しく髪を撫でられた。

ウィリアムは書斎に行く途中だったらしく、伸びたルイスの髪を撫でてアルバートに軽く頭を下げるとすぐにその場を去っていく。


「さぁ始めようか」


首から下に大きな布を纏ったルイスの背後に立ったアルバートは、姿が見えない不安を取り払うように大きな声で話しかける。

手には髪切り用の鋏と小振りな櫛を持っており、今の彼は誰が見ても伯爵ではなく一人の美容師だ。

その姿に二人が違和感を覚えることはない。

何故ならルイスの髪を切るのはもうずっと前から、彼の兄であるアルバートの役目なのだから。


「よろしくお願いします、アルバート兄様」

「任せなさい、ルイス」

「切りすぎては駄目ですよ。特に前髪は絶対に」

「…分かっているさ」


後頭部しか見えていないはずなのに、アルバートの目にはルイスの瞳がじとりと睨めつけるように自分を見上げる姿が映るようだった。

思わず苦笑してしまうが、前科がある以上ルイスの警戒は最もだ。

さして気を悪くすることもなく、アルバートは髪を濡らすために用意していた霧吹きを手に取った。




アルバートがルイスの髪を初めて切ってあげたのは、自分も彼もイートン校に通っていたときのことだ。

ルイスはあの火事で自ら負った酷い火傷跡を隠すため、退院した後から上げていたはずの前髪を下ろすようになっていた。

醜い傷跡が兄様と兄さんの視界に入っては不快でしょう、という言葉に嘘はないのだろうが、本心はウィリアムと良く似た顔を隠すためにあることは重々理解していた。

万一にでも他の人間にウィリアムと血の繋がりを勘付かれては困ると、ルイスは幼心に懸命だったのだ。

アルバートもウィリアムも、その傷跡が不快だというルイスの思い込みは入念に拭い取ったけれど、もう一つの理由に関しては論破出来るだけの理由を持たなかった。

確かにルイスの言うとおり、そっくり同じウィリアムとルイスの顔に血を感じられては、後々どんな不都合が生まれるか分からない。

すっきり髪を上げて小さく整った顔を見せてくれていたルイスの額に髪が下りるのを、二人は止めることが出来なかった。

段々と長くなる髪を片側、火傷が残る右頬を隠すためだけに伸ばしている。

左側の髪を上げるようになったのは、顔全面を髪で覆うのも不自然極まりないと気付いたからなのだろう。

鬱陶しい様子も見せずに右頬に掛かろうとする髪をそのままにするルイスだが、当然の如く前髪以外の髪も伸びていく。

後ろ髪が肩に付きそうなほど伸びた頃、ようやくルイスの前髪は大きな瞳を覆うくらいに長くなってくれていた。


「ルイス、少し髪が伸びたんじゃないかい?」

「伸ばしているんです、兄さん」

「そうじゃなくて、後ろ。ほら、肩に付いているよ」

「あ…本当だ」


ルイスがイートン校に入学して初めての長期休み、年末に兄弟三人での団欒を過ごしていたとき。

ウィリアムは伸びたルイスの髪に触れ、軽くぴんと引っ張ってみる。

言われてようやく気が付いたとばかりにルイスは自分の髪に触れ、確かに今までにないほど伸びていた後ろ髪に目を見開いた。

そういえば机に向かうときに前髪以外の髪も前に落ちてきていたなと、ルイスはそう考えながらくるくると髪をいじるウィリアムの手を受け入れている。


「気になるのなら、僕が切ってあげようか」

「アルバート兄様が?」

「あぁ。手先の器用さには自信があるよ。どうだい?」


すぐそばで弟二人の様子を見ていたアルバートは、ウィリアムに倣うようにルイスの髪に触れて提案した。

細く柔らかい髪の毛は触れていて気持ちが良いし、伸ばせばその分だけ心地良さを堪能出来るだろう。

顔立ちが整っているルイスならば髪を伸ばしても似合うだろうが、気になるならば切ってしまっても良い。

アルバートは誰かに触れられることを極端に嫌うため、今まで髪を切るときには信用出来る美容師一人に依頼していた。

だがその美容師を何度も呼び寄せるのも面倒だと、前髪程度は自分でも切れるように必要最低限の技術を見て覚えていたのだ。

覚えの良さと手先の器用さは生来のものだろうが、極力他の人間に触れられることのないよう努力したアルバートの執念も中々のものである。


「自分以外の髪を切るのは初めてだけれど、酷い仕上がりにはしないと約束しよう。どうだい?」

「…では」

「お願いします、兄さん」


おずおずと頭を下げるルイスと安心したように微笑むウィリアムを見て、アルバートもつられて表情を緩めてしまった。

髪を切られる行為は無防備そのものだから、警戒心の強いこの兄弟にとってストレスだろう。

それを許されるというのは信頼の証のようだと、アルバートは嬉しく思うのだ。

早速屋敷にあるもので使えるものを選び、アルバートが愛用している髪切り鋏を用意して、ルイスの髪を切る準備をしていった。


「火傷を負う前、以前と同じくらいの長さで構わないかな?」

「はい」

「アルバート兄さん、ちょっと」

「ん?何だい、ウィリアム」


椅子に座ったルイスの背後に立ち、髪質を確かめるように頭を撫でる。

その仕草が心地良かったようで、ルイスは喉を鳴らした声で質問に肯定を返してくれた。

だが早速取り掛かろうとしたアルバートにストップを掛けたのがウィリアムだ。

ルイスに聞こえないようアルバートの頬に手を当て、耳に唇を寄せてウィリアムが囁いたのは、アルバートにとってもそれはそれは魅力的な提案だった。


「(兄さん、ルイスにバレないよう前髪も切ってしまってください)」


まるで悪戯をしかける子どものような表情で、ウィリアムは自分の欲求をアルバートに託してみせた。

アルバートとしても可愛い顔を隠す前髪はあまり好ましくないと思っていたし、綺麗な赤い色をした瞳が金色に遮られるのは勿体無いと思っていた。

だがルイスは懸命に前髪を伸ばしている最中で、その髪を切るという重大な行為を任せられている以上、後ろ髪だけでなく前髪をも切ってしまえば、アルバートは寄せられたルイスの信頼を裏切ることになってしまう。

慕ってくれているルイスの気持ちを蔑ろにするようで、アルバートが持つ良心の呵責が痛む。

だがウィリアムはそんな葛藤を見据えた上で、追い討ちを掛けるためにまたも小声で囁いた。


「(アルバート兄さんなら大丈夫です。僕も共犯になりますから)」

「兄様?どうしたのですか?」

「…あぁ、何でもないよ。始めようか。痛かったら教えるんだよ」

「お願いします」


ルイスを知り尽くしているウィリアムが、アルバートなら大丈夫だと、そう太鼓判を押してくれたことで覚悟が決まってしまった。

多少は怒るし拗ねるだろうが、その程度でルイスがアルバートに抱く信頼は壊れないと言われているようなものだ。

可愛い弟にそれほど慕われていることが嬉しくないはずもなく、むしろ兄としての優越感すら覚えてしまう。

アルバートはウィリアムをも認めたルイスからの優遇に、咎める良心を無視してウィリアムと同じ自分の欲求を押し通すことにした。

せっかく目の保養になるほど綺麗な顔をしているのだ、隠してしまうなんて勿体無い。

ルイスの考えは最大限理解してはいるが、尊重するのはまた今度でも良いだろう。

アルバートは無防備に瞳を閉じたルイスの髪を、彼に気付かれないうちに後ろ髪と共に前髪をも綺麗さっぱり整えてしまった。

その間、ウィリアムはすぐ隣でにこにこと笑いながら静かに見つめていただけである。


「…アルバート、兄様…!」

「よく似合っているよ、ルイス」

「うん、よく似合ってる。やっぱりルイスはこのくらいの髪の長さが一番似合うね」

「…っ〜!」


髪を切り終えたルイスは、ウィリアムが持ってきてくれた手鏡を持ちわくわくしながら見る。

アルバート兄様に髪を切っていただいた、と嬉しそうに赤らむ頬が可愛いなと、二人の兄が微笑ましく思っていることなど一切気付かないまま、ルイスは鏡の中の自分を見て驚愕のあまり鏡を落としてしまった。

せっかく伸ばした前髪が、ようやく眉に掛かる程度までで切り揃えられている。

それはまるで、白い肌に浮かぶ大きな瞳と痛々しい火傷跡が強調されるようにも見える髪型だった。


「兄様、約束が違います!」

「おや、そうだったかな?」

「だって、せっかく前髪伸ばしていたのに…!」

「ルイス、兄さんは火傷を負う前と同じ長さで良いか聞いていただろう?ルイスもそれを了承したじゃないか」

「え、あ…!」

「今のルイスは火事を負う前のルイスと同じくらいの髪の長さだよ。ほら、後ろも綺麗に整えられている」

「…!」


アルバートが口にした何気ない言葉を言質として例えあげるウィリアムの肝の据わりようはアルバートでさえ参考になる。

随分と口が達者なものだと感心してから、アルバートは威嚇するように唸り声をあげるルイスを見た。

これだけ短くしてしまってはこのまま下ろしているか、以前のように前髪を上げる髪型を選ぶのが妥当だろう。

どちらにしてもルイスの顔は見やすくなり、アルバートとウィリアムの思惑は叶うのだから都合が良い。

不満ゆえの威嚇を崩してはいないが自分に対する嫌悪は少しも感じられないのだから、アルバートの機嫌は上々である。

自分が思っていた以上にルイスに慕われているという現実はとても美しい。


「よく似合っているよ、ルイス。君の顔が何にも遮られることなく見ることが出来て嬉しい限りだ」

「…アルバート兄様…ぅ……あ、ありがとうございました…」


むぅ、と唇を尖らせながらも髪を切ってくれた礼をちゃんと伝えるルイスは、元孤児とは思えないほど礼儀正しい。

飲み込みの良い子だと思いながら、ルイスの機嫌を取るためにふわふわ舞う髪の毛を優しく撫でてあげた。




そんな過去があってからも、ルイスはアルバートに髪を切ってもらっている。

一度プロの美容師を呼んで髪を切ろうとアルバートが提案したこともあったが、ルイスどころかウィリアムすらも気を張ってしまい、髪を切るどころではなかったのだから仕方ない。

アルバートと違い誰かに触れられることに拒否を覚えるというより、無防備に背中と首元を晒すことが怖いようで、ならばとアルバートが弟二人専任の美容師になることにしたのだ。

二度目に髪を切るとき、ルイスが念押しするように「前髪は伸ばしているので絶対に切らないでください」とアルバートに懇願したことをよく覚えている。

さすがにもうルイスの信頼を裏切る真似は出来なくて、ウィリアムもこれ以上は止めた方が良いだろうと眉を下げていた。

だから初めてのとき以外はちゃんと伸びた後ろ髪だけを切り、長くなりすぎた前髪は整える程度のカットで済ませている。

それでもルイスは髪を切られるたびにアルバートへ念押しするのだから、あの日ルイスが感じた衝撃と絶望の大きさを物語っているようだった。


「ルイス、ほんの少しだけだが髪がパサついているね。ちゃんと手入れはしているのかい?」

「…はい、一応」

「そうか。怠ってはいけないよ。今日は以前頂いたヘアオイルを塗っておくとしようか」

「お願いします」


小気味よい鋏の音を聞きながら、ルイスは背後を取られても恐怖のないアルバートの声に集中する。

時折触れる指先が擽ったくて、それでいて温かくて気持ちが良い。

ルイスはアルバートが自分の髪に触れることを気に入っている。

大きな手であやすように撫でられるのは子ども扱いされているように感じることもあるけれど、それ以上に心が安心するのだ。

ルイスが持つ細い髪の毛を混ぜるのはアルバートの癖になっているようで、ならばと懇切丁寧に髪の手入れをしてきたつもりだ。

だが最近は屋敷の管理に加えて町民からの嘆願に時間を取られることも多く、あまり手入れに割く時間がなかった。

それがバレてしまったようで何となしに気まずいが、アルバートは言及することなく至極穏やかに華やかな香りを纏うオイルをルイスの髪に染み込ませていく。

気付かれているのだろうなとルイスは勘付いたが、何も言わないアルバートの気持ちを有り難く思いながら声には出さなかった。


「今夜はよく休みなさい。夜更かしはいけない、君はウィリアムと違って徹夜には慣れていないのだから」

「分かりました」

「シャワーを終えたら私の部屋においで」

「…分かりました」


アルバートは自分で切り揃えたばかりのルイスの髪を手櫛で整え、見えた耳にそっと囁きかける。

甘く低いその声はルイスの耳を通り過ぎて心に響き、とくりと大きく脈打った。

仕上がりはずっと昔から保証しているのだから敢えて鏡を見せることはせず、アルバートは見下ろすルイスのつむじにそっと唇を添える。

頬と唇にふわりと触れる髪がアルバートの琴線を刺激しては欲を煽っていた。




(んっ、兄様…)

(やはりこのくらいの長さが一番好ましい。これ以上伸ばしては首がよく見えないから)

(に、兄様、あまり吸われては跡が…)

(残すような下手な真似はしないさ。跡を隠すために後ろ髪までも伸ばしたいと言われては敵わないからね)

(そんな理由、ですか…)

(他に理由はないだろう?服に隠れる部分には遠慮はしないがな)

(ふ、ぁっ…アルバート、兄様)

(ルイス、おいで。のけぞっていては触れられないだろう)

(ん…はぃ…)

(良い子だ)