意識以前の心にまく種子 ~野口晴哉先生講義録~
《野口晴哉講義録より》
意識以前の心にまく種子
体の使い方の工夫だけでは健康生活は営めない。何らかの異常がなくとも、又血圧が上がるのではないか、又脚が痛むのではないかという不安が一旦おこると、健全なまま病気になってしまうことがよくある。
不眠症とか、慢性の胃病とか、自分の頭の中で空想して作りだしている病気は沢山ある。この逆に異常があっても、余り気にしないでいるうちに治ってしまうこともよくある。
何もしないで治ってしまう病気だと教えて、その病気の経過を見守っているのが治療の最高の処置だということが一般に理解されていないので、つい薬を与える。すると病気は見守っていたのでは治らないものだといつのまにか思い込んで、病気になるが早いか薬を飲む。疲れたら薬を飲む。疲れる前にも薬を飲む。これでは元気を出すべき時に元気を出せない。一体生きているのは誰なのか。
自然の生きている働きを使うことがなくなったら、弱くなるばかりだということを気づかないまま生活している人が余りにも多くなっている。これは体の病気というより心が患っている姿といえないだろうか。
それ故、心をしっかりさせる導きが要るのだが、大人がこういう心がけでは子供達は溌剌と出来ない。
アツモノに懲りてナマスを吹いて食うという諺があるが、人間は一度怖い思いをすると、小さな物音でもビクッとする。
大地震に出会った人は、夜中の小さな地震にでも飛び出してしまうという。それは意識しない心が臆病になると、意識の気張りではどうにもならないからである。だから意識しない心の働きの方向を、キチンと生きる方向に向けておかねばならない。
親が子供の心を病気に怯えるような訓練をしていると、いつも間にか丈夫な体をもって患うようになってしまう。発熱は自然良能による体の保護なのであるが、親が熱を怖いもののように扱っていると、熱に怯え、何かしていないと不安がるようになる。これは子供が悪いのではなく、お母さまの潜在意識教育が、健康に生きることと方向違いに行われていたということである。
怖いものに怯えることより、元気を出して怖いものを見つめ、怖くなくなるような自分の裡の力を発揮する道を教えねばならない。病気に対してだけでは無く、何事にも勇敢に、全力をもってぶつかることを教えるべきである。
自分の力の全部を発揮して生きる快さを体得した子供達に、将来の日本を荷負わせたいものである。その為には意識しない心に全力発揮を教え、意識に冷静を保つことを教えねばならない。
意識以前の心が臆病になっていれば、エンジンの弱い自動車のようなものである。ハンドルに勇敢を命じてはいけない。意識というのはハンドルのようなものである。行動のもとになるエンジンは意識以前の心にあるのである。
写真
by H.M. スマホ