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やさしい野口整体

療病の正道 ~野口晴哉先生語録~

2020.07.28 08:41

《野口晴哉語録より》

病気と対立して気張っている人もあるが、人間が自然を相手に蕾を開いても自分を破壊するだけである。


病むという如きは病気が自然の調整手段であることを悟らず、自分の生活が間違っていたことを反省しようともしない人がもつ心である。


素直に病気の経過に従えば自ら治癒するものである。殊に病気の名前で胆をつぶしたり、高をくくったりする如きは生命の自然を解さぬと申してよかろう。


早く治ろうと焦る如きも、出産を三ヶ月で終えようとする如き、生命時間を知らざる人の態度である。


生命はその伸びる時間があるのである。蕾を手で開いても咲いたのではない。その体の使い方を改め、休め方を自然にもどし、脱力して自然に従うだけが療病の正道である。


効く薬が多くなる程、人の体は衰える。完璧な養生は人を弱くする。適応という働きはどの生命にも存在している。


しかし、それだからといって死はある。死があるが故に生が生なのである。


それ故、生が存する限り死はある。その死が怖いような生活を打ち切って、全力を挙げて生きることを心がければ、疲れた者が眠りを欲するが如く、死も又自然の働きであることを感じ、又快く受け入れ得るであろう。


全ての麻痺が快感を伴うのは死の快感を示すもので、死が苦しく怖ろしいのは生のあるのに自ら殺すために他ならない。今養生とか治療とか、自らを殺す行為が行われ、生きているうちにその心に死を宿らしむる心構えがある。慎むべきである。


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by H.M. スマホ