我慢の研究 ~野口裕介先生(ロイ先生)講義録~
≪野口裕介(ロイ先生)講義録より≫
我慢の研究
前文略
ただ、基本的に我慢というのはできないのではないかと私は思うのです。つまり、我慢している状態というのは、何らかの他の形に化けてくると言ったらよいのかもしれないと思うのです。
そういう意味では喘息だけではなく、他のいろいろな病気と言われている中にも、実はそういう一つの我慢から、或る意味で体を硬張らせているものから体を元に戻していく働きを病気と言っているのかもしれない。そういうように感じることがあります。
とにかく上胸部がギューッと硬張ってくると、これは自分の要求というものが抑えつけられた状態を示しているのでして、強い要求や意思があるのにそれを抑えつけられるとそうなってしまうのです。
今言いましたように、我慢は基本的にできないからどこかで爆発する。我慢しているが故に、抑えているが故に、爆発すればそれは激しいものになります。
例えば、感情的なものなどは、泣いたり笑ったりすればそれだけで終わっているはずのことなのに、泣かせなかったり怒らせなかったりして抑えつけると、圧縮してどこかでバーンと余計に弾けてしまう。籠らせたり圧縮させると、それはいつか爆発してくる。
そうは言いましても、その時に我慢することというのは、皆それぞれ上手に覚えてきているのですね。先ほども言いましたように、もし小水を我慢できない状態だったらそこら辺小水だらけになってしまう。
やはり人間は動物と違ってそうならないよう自分の体の使い方をどこかでコントロールしているわけです。そのコントロールする場合に、得意な部分、苦手な部分というのがあるのです。
例えば小水を我慢すると言っても、上下型の人などはわりに平気で我慢できる。というより、途中で我慢していることを忘れてしまうのです。
後で「ああ、、さっき小水に行きたかったんだ」という感じになるくらいにすぐ忘れてしまう部分があります。ところが、同じ小水を我慢すると言ってもねじれ型の人は忘れない。
ねじれ型の子は、よく舞台などの直前になると急に小水に行きたくなってしまう。ですから、たいてい本番前になるといなくなって、どこかに行ってしまったとか言われている。小水に行っているのですが、ギリギリに戻ってきて、そこからは落ち着いてできる。
ところが捻れ型のタイプの人は小水を我慢させると忘れないから、舞台の間ずっと我慢している状態を続けながらやらなければならない。
ですから、すごく残酷なことがあるのです。教師などが、「今から行っては間に合わないから駄目です」などと言ってむりやり我慢させると、その子にとってはすごく負担になってしまうのです。そのくらい小水に関して我慢しにくいという部分があります。
上下型の人は眠りに関しては我慢できない。上下型の人に我慢させるのが一番難しいのは何かと言うと、眠らせないことです。それが一番難しい。眠る時間が足りないとか、今日は眠れなかったというような状態を作り出すと、そのことをずっと覚えている。
捻れ型の人が小水を我慢することを忘れないように、上下型のタイプの人は夕方になっても今日は眠れなかった、今日は眠らせてもらえなかったと苦情を言っている人がよくいます。忘れない。恨みに思っている部分もある。眠れなかったということがその日一日の不快に繋がっていくのですね。
また、三種のタイプの人は、食べられなかったこと、食べさせてもらえなかったことに対して忘れない。食べ物の恨みは怖いと言うけれども、まさに三種の人はそういうようになる。食べ物に関しての我慢が難しいのです。
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