Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

EDICOLANTEのイタリア小さな可愛い街の旅行記とコラム

サンタンジェロ城 Castel Sant'Angelo

2020.11.28 06:14

サンタンジェロ城(Castel Sant'Angelo)はローマで最も大きい城。ハドリアヌス帝の霊廟があった場所に、ヴァチカン領を守るために要塞を建設。歴代教皇の隠れ家として使われていた。



★ ハドリアヌス帝の霊廟 Mausoleo di Adriano

123年にハドリアヌス帝(Publio Elio Traiano Adriano)が、自身と家族のための霊廟を建設。



★ 貴族の要塞

10世紀頃から貴族の要塞として使われた。

1379年、教皇ウルバヌス5世の時代に、フランス軍との戦いでほぼ完全に破壊された。その時に初めて大砲が打たれた。


★ 教皇ニコラウス5世

初めに邸宅として教皇が使ったのは、1400年代にラテラノ宮殿から越してきたニコラウス5世(Niccolò V Parentuccelli、1447年~1455年)だった。教皇の部屋(Sala di Apollo)は霊廟の最上階の真ん中で、花崗岩でできている古代ローマ時代の遺構の裏で現在も見ることができる。

★ 教皇の大部屋(Sala di Apollo)

1547年にファルネーゼ家のパウルス3世の依頼で、Perin del Vega と協力者Domenico Zagaらにより天井には彼の名前入りのフレスコ画が描かれた。グロテスク様式で『アポロ神の伝説』が描かれている。giustiziere、civilizzatore、ispiratore di sapienza



天使のいる屋上 Terrazzo dell'Angelo 

★ 大天使ミカエル

6世紀末、教皇グレゴリウス1世のもとに剣をサヤに収めようとしている大天使ミカエルが現れ、ペストが終息。天使を見た側のハドリアヌス帝の霊廟の上に天使像を感謝の意味で設置した。

1753年に設置されたPierre van Verschaffelt(フランドル、現在のオランダベルギーフランス辺りの出身)による青銅製。何度か天使像は破壊されて取り替えられ、オリジナルは木製で劣化したため取り替えられた。 2つ目は大理石製だったが、1379年に敵に攻められ壊され、1453年に大理石製でブロンズ製の羽が着いたものに替えられたが、1497年に落雷に遭い、1527年に現在の天使像に替えられた。

ラファエッロ・ダ・モンテルーポ(Raffaello da Montelupo)の作品である天使像は中庭に移設された。


★ トスカ

オペラ、プッチーニ作『トスカ』の最期のシーン、 トスカがここから身を投げる。


★ 鐘楼 

Campana della Misericordia


2つの中庭

天使の中庭 Cortile dell'Angelo

ラファエッロ・ダ・モンテルーポ(Raffaello da Montelupo)作の天使像。


アレッサンドロ6世の中庭 Cortile di Alessandro VI

ボルジア家のアレッサンドロ6世の依頼で、サン・ジョヴァンニ要塞があった場所に、ピントゥリッキオが描いたボルジア家のアレッサンドロ6世の部屋がある。

1501年にアレッサンドロ6世により修復された井戸。この下には古代ローマの貯水槽があったため利用。


★ ユリウス2世のロッジャ

1505年にユリウス2世の依頼でつくられた、ユリウス2世のロッジャ(Loggia di Giulio II)は、テヴェレ川を望む上階のテラスである。

ロッジャの外側のアーキトレーブには教皇の紋章があり"IVL(IVS) II.PONT.MAX.ANNO.II.と書かれている。


外観

バルベリーニ家の門(Portale Barberiniano)のある、東側のサンタンジェロ城のファッチャータ。ウルバヌス8世により建設。建築家Burattiにより設計され現在はモニュメントとなっている。その後門は、ピウス4世の時代にSilvestro Peruzzi設計で建設された。

サン・ジョヴァンニ要塞(Bastione S.Giovanni)


★ 城の庭園


★ ボルゴの通路 Passetto di Borgo

ボルゴの通路(Passetto di Borgo)は、始めローマ市民には、廊下を意味する"Corridore"と呼ばれ、ボルゴ地区の通路 "Passetto di Borgo"と改名された。6世紀に城の攻撃から兵を守るために建てられ、9世紀の教皇レオ4世を守る通路は800mの長さで、サン・マルコ要塞に繋がっていた。

上の写真は、サン・マルコ要塞とボルゴの通路の始め部分。

15世紀のボニファウス9世と16世紀のアレクサンドロス6世の時代には、通路はツバメの尾の形に高くされた。サン・マルコ要塞から入城するには、鉄の柵と上に上げられる橋が架かっていた。

1527年、ローマ略奪時のカルロス5世のランツクネヒトから、クレメンス7世らはこの通路があったため逃れることができた。


★ 世界大戦死者の慰霊碑

2度の世界大戦の慰霊碑がサンタンジェロ城壁に貼られ、現在の城内には戦争歴史博物館にもなっている。



★ サンタンジェロ城の回転花火

6月29日のローマの守護聖人の日のサンタンジェロ城の花火



コラム


ブログ

2015.03

2014.06


参考

ウィキ