~野口晴哉著「病人と看病人」~
2020.07.28 11:38
《野口晴哉著 病人と看病人より》
人間というのは力があるときは、人の心にも、周囲の動きにも、気や心を動かすことができるが、力がなくなると、自分から他の者を庇ったり労ったりする気持ちがなくなり、自分が労われ、庇われようとする心が多く働いてくる。
そうすると他人の注意を要求する。
あの人は自分のやったことをどう思っているかしらとか、あの人は私のことをどう考えているだろうかとか、そういうことを気にするようになる。
けれども、そういう他人の心の中など判りっこない。嫌だと言ったら本当に嫌なのかと言うと、嫌でない時にも強く嫌だと言う。決して心は素直に言葉に出さない。そういう構造をしているのである。
だから相手の心など永久に判りっこない。その判りっこないものを、あの人はどう考えているか、どう思っているか、どう感じただろうかなどと考えるのはおかしい。其の結論だって正確であるわけがないのだから。
大抵は自分の都合のいいように結論づけるだけであったり、自分の今の心をもう一つ保証しようとして、人の考えるだろうことを考えて付け加えている。つまり結局見るのは自分の心を通してでしかない。
―中略―
看病人が疲れてきていて、病人に注意をする方ではなくて、自分がこういうように看病している、こう親切に看病したのだということを人にみられようとしている。看病している方が人に見せようとするような時には、もうその人が疲れて、体力が足りなくなって、看病する人としては不適格になっているといえよう。