勢い ~野口晴哉先生語録~
2020.07.28 11:54
《野口晴哉語録より》
私は人間の勢いというものだけを見てきた。三十数年ジッとそれを見続けた。勢いが沈んだ者は、例外なく死んだ。勢いが潜んでいる者は生きた。
「もう駄目だ」とか、「絶望だ」という患者でも生きた。
「俺は元気だ」と言う人でも、「異常なし」というドック診断を受けたものでも死んだ。
勢いだけが生の状況を示す。体構造の変状より確かである。
しかし勢いは、目で見えず、触って分からず、ただ勘を磨いて感ずるだけだ。これが欠点であるが、人間の勢いは意識して知ることは難しいが、変な理屈も勢いのよい人が支持すれば通る。正当な理由でも勢いの鈍い人が説けば退けられる。
無意識に誰も感ずるのであろう。
つい一緒に陰気になってしまうこともあるし、つい一緒に陽気になってしまうこともある。
何故か、理由は判らない。判らないままにそういう行動をしてしまったり、気分が変わったりするのは勢いの影響と見るべきであろう。
勢いというものは、二プラス三が五千三百になる。五十マイナス一がゼロになる奇妙な存在である。
平家が水鳥の羽音に慌てて退却したのも勢いによるものである。
同じ水を浴びても勢いの弱い者は風邪を引くが、勢いのある者は風邪を引かなくなる。
勢いは悪いはずのものを良くすることもあれば、良いはずのことも悪くなってしまうこともある。
勢いとは面白いものだ。