スイスデザイン展
デザインの展覧会は久しぶりな気がする。
この美術館に来たのは初めて
正直なところ。私はデザインの勉強を学校で受けたことがない、ので
デザイン界の流れとか、歴史とか代表作とか。知識が浅いと思っている。
だからこそ、これは見とかないと。と思っていた。
いくつか印象的だった箇所があった
スイス・タイポグラフィ
ヨゼフ・ミューラー=ブロックマン、エミール・ルーダー、マックス・ビルらの仕事を、一般に「スイス・タイポグラフィ」と呼びます、
ミューラー=ブロックマン
グリッドシステムの父
グリッドシステムは1950年代にスイスで生まれました
当時の広告ポスターや出版物が沢山あり、どれもタイポグラフィが印象的。要素は少ないのにとても強度のあるグラフィックばかり。
シンプルであることは強いなぁ、、としみじみ
エミール・ルーダー
タイポグラフィーのことを調べ始めたら、必ず出てくるエミール・ルーダー。スイス・タイポグラフィの巨匠。
リズム(Rhythmus)はギリシャ語の「rheo = 流れる」に由来し、すべての被造物、すべての生物、それ故すべての人間に関係している普遍的な生の現象である。誰の中にもリズムは脈動している。
心臓の脈拍やら、呼吸。光と闇、活力と疲労。受容と放置、占有と共有。
人間はつねに連続的・直線的に成長してゆくのではなく、リズミカルな波の中で成長する。人の心臓はいつも同じ拍子なのではない。
スイス・スタイルは、この見えない「リズム」によって無意識に心地よい画面を作っていて。表面的ではなく、本質的?
なんだろう、「目に見えないもの」「そのようなかんじ」というメタ的な、感覚的な部分もある。
タイポグラフィやグリットシステムを語れるほど偉くないけれど、
植物のフォルムやバランスに綺麗だな・心地よいなと感じるように
グラフィックデザインも心地よいリズムが流れていて、それを見つけ出していく。
決して単調ではなくて、遊び・ズレ・実験もあって。きっちりとしたグリットがあるのに、ダイナミックに動いている。動きがある。
ジャズみたいだなと思った。リズムや音のうねりが心地よくズレた時のあの一瞬が心地よい。
マックス・ビル -美しさも機能-
マックスビルの仕事ぶり、思想が描かれたコーナーがあり、
私は結構な時間、このエリアにいたと思う
「機能的なことがすなわちデザイン的に優れている」という狭い意味での機能美ではなく、美しいということも機能の一部である、と強調していた。
いまでこそ、AppleのGUI、インタラクションのモーションなど、エレガントで美しいことが当たり前で、そう見えるような工夫もあちこちに取り込んでることが価値になるけれど
そもそも物が少なくて、大量生産・効率化を肯定化する時代の流れのなかで
アート&クラフト運動とはまた違ったベクトルで「機能の一部」としての美を肯定し、装飾的・造形的が行き過ぎないアプローチで成立しているところは、
いまのプロダクトやデザインとくらべても、全く色あせない。
むしろかっこいい。
スイスはヨーロッパにいるのに戦争に参加しない、中立国としての背景も
独自の思想を進めて、産業化が行き過ぎない部分もあるのかな。
「アートはかなりの部分、数学的思考によって作ることができると考える。私は数学を数字と記号のみを使った科学とみなすが、一方、アートは美の研究あるいは理論である美学を扱う、美に対する心理的反応であると思う。即ち、(アートは)数学のアンチテーゼなのだ」
あとは自然のフォルム、曲線が印象的な作品が多かった。
曲線の美しさ・有機的なフォルム、にはとても関心があったよう。
まとめ
ブランディング・視覚設計・プロダクト・グラフィック・建築、、幅広いデザインを見ることができて満足できた。
スイスといえば、やっぱりこれとこれね!みたいな。わかりやすい展示だったし、なかなか見ることのできないコンセプトムービーや、説明もあって理解が深まった。なにより、どれもこれも、「機能美」が象徴されてた。
これはスイスの国民性なのかな?
アートとデザインは、やっぱり違うんやな、とも思った。
デザインは理解が深まって、親しみがある。生活に近い物だし、大衆的で、共感を生むし、わかりやすい。
困難なデザインってないよな。困難なアートはあっても。
アートは答えも提案もない。
アートに触れた時、自分の中に「問い」や「ざわつき」や「発見」があるだけ。あーきれいやな〜とだけ思う物もあるけれど、「あれがきれいだと思っている」自分に気づくだとか、作者が感動したものが自分の中にも起きている、とか。そういった、個人的な出会いを体験することの方がおおい。
今回は非常にわかりやすい展示だった。もう少しグリットシステムと、マックスビルに関して深堀したい気分にもなった