稽古はなんで面白いんだろう
9年ほど、毎週週末はお稽古にでかけるという習慣が続いている。
最初は華道から入って、それから茶道も習って、
そしたら着物も着たいしと習って、初釜や結婚式にも着物を着て行けるようにもなった。
ただただ、面白いなぁという好奇心が止まない。
道具も作法もやり方も表現も組み合わせも無限にあって。
無限にあるんだけれども、割とルールや作法がかっちりと厳しい。
その制限の中で、ちょこっと遊びココロを入れたり
粋なこと、季節や時代にちなんだ一期一会な瞬間をとりいれたり。
それがとっても面白い。
それは「あ!」っと驚くような大げさなことではなくて
本当に少しだけ。隠し味のようなもの。
小さいのに、お点前や花、着物も、全体にすごく効いてくる。
その人のセンスを感じ取れる瞬間。
に、とても惹かれる。
気づいてくれる人に気づいてもらえれば良いのよ、うふふ。とゆうような。
奥ゆかしさは、日本人特有の美意識なのかもしれないし
わかる人にしかわからない箇所も多いんだけれど
だからこそ解ろうとしていくと、「!」と遊びごごろが隠されている場所を
見つけられたりして、それがとっても面白い・嬉しい・ドキドキとしてしまう。
その人の「これ、面白いでしょ」を、言われるまでもなく
自然と受け取れたときの面白さや嬉しさ。
それが好奇心が絶えない1つの理由なんだろう。
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もう一つの面白さ。
ルールに自分を合わせていく中で、
何も考えずに体が動く「無」のような時間があって
たとえばそれは「瞑想」のように。
ただ、何も考えていないのではなくて、集中している。
指先をまっすぐに揃え、背筋をピンと伸ばし、流れる秩序に沿う。
水がするすると流れていくように、するすると流れに合わせる。
その「無」なんだけれど「集中」している時間に、私は「満たされる」という感覚を覚える。
しーんと静かな稽古場で、お茶を点てる。それがするすると流れていく事自体が、なぜか満たされる。。
だれに褒められるわけでもない。
なにか大きな成長があったわけでもない。
ただ私を定位置に戻してくれるような感覚。
初心忘れるべからずで、ちょっと上手くなったかなとおもったら、
作法がだらしなくなってしまうものだし。
たぶんだけれど、自分に集中できる。
それが結構重要なんじゃないかと思う。
仕事をしていたら、いろんな事を考えて
わーっとごちゃごちゃになって
心ここにあらず、
いまここを生きていない という状況になりがちで
それを、いまここ に戻してくれるのが、この稽古なのかなと思う