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改憲論の前に知っておくべき現・憲法ができた苦悩の背景

2016.06.12 05:00

【コラム】 改憲うんぬんの前に絶対に知らなければ、ならない事がある。それは、現行憲法は『マカッカーサー草案』を修正し、できたコト。マッカーサは米国人である。彼の意向が大いに反映された初期の草案では、国民の権利義務の項に土地の国有化があった。議員は衆議院のみの一院制であった。それらを止めた日本人がいる。白洲次郎だ。

外務大臣・吉田茂(後の総理)に要請され「終戦連絡事務局」参与となり、GHQの交渉窓口を一手に引き受けた。GHQ「民政局長」ホイットニー准将らと熾烈な精神戦を行った。


敗戦時(昭和二十年八月十五日)は、東久邇宮稔彦王 内閣(皇族内閣)。その内閣の無任所国務大臣(副総理格)であった近衛文麿に『大日本帝国憲法』の改正を強いたのが、GHQ(連合国軍 最高司令官 総司令部)のトップだったダグラス・マッカーサ元帥だ。次の幣原喜重郎 内閣が改憲案を引き継ぐも、宮内省と内閣が別々に憲法改選案を作成する事態が発生。白洲が米国記者を利用し、内大臣府御用掛に任じられていた「近衛の憲法改正作業はGHQに無関知。」とGHQに発表させた。近衛は、「日独伊三国軍事同盟」時の総理。近衛案と憲法学者・佐々木惣一案をGHQは黙殺後に、内大臣府の廃止をマッカーサが指令。憲法改正作業は打ち切りに。外務省に戦犯指定された貴族・近衛は自害した。五十五歳だった。白洲は事情をよく知っていた。




<三原則>

 マッカーサは軍国主義と認定された者の公職追放令を発令。幣原内閣の現役閣僚五人が追放に。幣原総理と吉田外相は、GHQへの抗議の為に内閣総辞職をマッカーサに伝えるも、許可しなかった。追放者された指導者らは、一年半程度で二十万人となった(日本自由党総裁の鳩山一郎等)。大多数の公職者を失っては、GHQに数でそもそも対抗できない。


マッカーサは部下に三原則「象徴天皇」「戦争放棄」「封建制廃止」に則った、憲法改正案のを九日間での作成を命じる。二十五名で作られたチームの内訳は、陸軍将校が十一名、女性六名、海軍士官四名、軍属四名。憲法学者は一人もいなかった。そして七日間で作成した。日本案を明確に否定し、「マッカーサ草案」を吉田・白洲らに渡した。



天皇制を捨てるか否か

 草案には天皇制の維持が「Symbol of State」で残っていた。GHQは略、米国といっても過言ではない。これを拒否すれば、日本案とGHQ案の国民投票となる。ハーグ条約(他国民から憲法を押し付けられる事はあってはならない)で対抗する術もあったが、ソ連らを含む極東委員会が天皇を戦犯にしようとしている以上、公にできない。公にすれば、分割統治の可能性(計画)があった。北海道・東北はソ連、関東・中部は米国、四国は中華民国(当時)、中国・四国は英国。共同管理は、東京特別区が米・中・ソ・英、近畿及び福井は米・中。


幣原総理に草案を渡す間、渡し交渉する間、白洲が担当した。それでも交渉の余地がない事を総理らが分かり、自国のみによる憲法改正を断念。急展開に入る。憲法改正作業を止める事ができる極東委員会の会議が行われた。焦った。ここで止められれば、努力は水泡に帰す。天皇制も危うい。一からの作業になる。しかも大国が複数に関与してくる。日本側も憲法再構築に応じる余力はない。国体がぼろぼろになるよりも、GHQ(米国)案を推し進める事を幣原内閣(日本)は選んだ。




<限界突破妥協>

 しかしマッカーサ草案を基盤とする新日本案作りでまたも難航する。日本語訳作業だ。天皇の日本国民の精神的位置付けにより言葉は変わる。それを意訳、湾曲しているとして米国人は怒る、できるだけ日本に有利な翻訳をするといった流れだ。超短時間の日本語訳の作業後に、日本は略GHQ案を政府案「憲法改正草案要網」とし、「日本政府による憲法改正案」として公表に至る。

当然、独立回復後に真に日本人の手に因る憲法改正を誓った。


昭和天皇は政府案について、天皇の留保権(皇室典範の改正発議)と堂上華族(上級貴族)の二点に対し要望された。しかし極東委員会により時間が許さなかった。改正案の公表後に即座にマッカーサが支持を表明した。



白洲次郎が守った日本

 その後、吉田は総理(大日本帝国憲法下で最後)となり、憲法改正より経済を優先した。またサンフランシスコ平和条約を締結した。第三次吉田内閣の総辞職の翌年に現・自由民主党が結党した。吉田は政界を引退した。白洲は、昭和四十四年「諸君」九月号 プリンシプルのない日本(憲法調査会の調査内容について)以下の様に記した。


この憲法は占領軍によって強制されたものであると明示すべきであった。歴史上の事実を都合よくごまかしたところで何になる。後年そのごまかしが事実と信じられるような時がくれば、それはほんとに一大事であると同時に重大な罪悪であると考える


白洲は、GHQから「従順ならざる唯一の日本人」と言われた。

当時、現日本の為に最大限の努力を行った者を日本人は忘れてはならない。

(了)