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和歌の表現の本質

2020.07.29 06:25

http://www.webchikuma.jp/articles/-/1813【第四回 和歌の表現の本質(一)】 多田 一臣より

神の言葉としての和歌

 今回は、第一回の「はじめに」で述べたことについて考えてみたい。それは、和歌の表現の本質がどこにあるかという問題である。

 その前提として述べておきたいのは、和歌が日常の言葉とは異なる表現としてあったということである。和歌は韻律をもち、枕まくら詞ことばや序じよ詞ことばのような修辞技法(この言い方が不適切であることは後に述べる)が用いられる。長歌では、対句(繰り返し表現)がしばしば見られる。和歌にしか使われない特別な言い回しや言葉(歌語)があったりもする。こうした表現は、日常の言葉には現れない。反対からいえば、和歌はこうした表現をもつことで、日常の言葉ではないことを表示させているともいえる。

 それでは、和歌はなぜ日常の言葉とは異なる表現をもつのか。それは、もともと和歌が人の言葉ではなかったからである。和歌の起源は、祭式の場の神の言葉にあった。神の言葉は、人の言葉と同じであってはならない。神の言葉としての徴表しるし、それが韻律あるいは枕詞や序詞などだった。

 言葉には不思議な力が宿るとする信仰があった。それはしばしば言こと霊だまとも呼ばれる。言霊は、一般にはコト(言)とコト(事)との同一性の現れとして理解されている。口に出して言い立てた言葉は、そのまま事実として立ち現れるとする言葉の不思議な働きが、言霊として意識された。言葉は外界の事象を対象化し、それを抽象化することができる。コト(言)とコト(事)との同一性は、言葉のそうした機能にもとづいている。

 しかし、言霊は、すべての言葉の中に働くわけではない。日常会話にまでその作用が及んだら、私たちの生活はたちまち混乱を生じてしまう。そこで、言霊が宿るのは、非日常の言葉、神に起源をもつ言葉に限られることになる。託宣や神への祈願の詞章などが、祭式の場に現れる特別な言葉になる。

 和歌もまた、そうした神の言葉に起源をもつから、そこにも言霊が宿る。和歌には和歌独自の不思議な力があると信じられたのは、そのためである。和歌――ここでは一般化して歌と呼ぶが、歌には対象に働きかける力があるとされた。「訴うつたへ」を「歌うた」の語源とする説がかつてはあった。「ウツ(ッ)タヘ」の古形が「ウルタヘ」であるところから、現在では旗色の悪い説とされるが(「ウルタヘ」は「ウタ」には転じにくい)、語源としては成り立たなくても、「訴へ」説は対象に働きかける力が歌にあることをよく示しているのではないかと思う。

 現代の私たちは、和歌(短歌)を、自己の思い(自己の内面)を外部に向けて表出する自己表現の手段の一つと考えるが、もともと和歌は、歌い掛ける対象(相手)をもち、その対象に作用を及ぼすような表現としてあった。古代の和歌には、純粋な独どく詠えい歌か(自分一人の心やりのために詠まれる歌)は存在しない。対他性(人が対象であれば対人性)こそが歌の本質であった。土地讃ほめの歌は地ち霊れい(それぞれの土地に宿る霊、国くに魂だま)への直接的な讃美だし、死者に向けて歌われる挽ばん歌かが死者の霊を鎮める役割をもっていたことからも、そのことは明らかだろう。

 そこで、和歌の韻律あるいは枕詞や序詞などが、神の言葉としての徴表であったとするところに話を戻す。以下、枕詞と序詞に焦点を合わせて説明することにしたい。

 なお、和歌の表現を考える場合、その前段階の表現である歌謡(そこにも短歌謡と長歌謡の別がある)、また和歌の場合も、短歌、長歌、旋せ頭どう歌か等の歌形の違いについて触れる必要があるのだが、ここでは短歌を中心に考えていく。その点、御容赦願いたい。

枕詞をどう見るか

 枕詞や序詞だが、教科書ではどのように説明されているのか。枕詞については、「ある一定の語を導くため直前に置かれる語で、通常五音からなる」、また序詞については、「枕詞同様、ある語を導き出すために用いられる語句であるが、かかる語は一定せず、通常七音以上である」とあり、その表現効果については、和歌のイメージを広げたり、複雑な効果を与えるための修辞とする説明が加えられている。誤りではないが、これらが和歌の本質につながる意味をもつ表現であることがまったく述べられていない。さらに、問題なのは、枕詞について「通常口語訳しない」とあることで、実際にも「これは枕詞だから、これを除いて訳しなさい」と指導されたという声を、しばしば耳にしている。枕詞の説明は、ほとんどなされていないのだろう。口語訳から枕詞を除くのは、和歌に枕詞がある理由を無視するのに等しい。説明が困難であるのは確かだが、口語訳から除いて済ませるのでは、和歌の本質には届かない。

 枕詞や序詞を修辞技法と見るのも誤りである。枕詞や序詞は技法ではなく、和歌を和歌たらしめている重要な要素にほかならないからである。

 そこで枕詞である。ひょっとすると、枕詞という用語そのものが、先の「ある一定の語を導くため直前に置かれる語」とするような理解を生んでいるのかもしれない。いまも「話の枕に」といった言い回しもあり、本題に入るための序のような意味が「枕」にはあるから、用語そのものが誤解を招く原因になっているのかもしれない。枕詞をこの意味で捉えてしまうと、被枕(枕詞を被かぶされている言葉、枕詞によって導かれる語)こそが中心で、枕詞はまったくの添え物になってしまう。しかし、事実はまったく逆であり、枕詞と被枕の結びつきの中にこそ和歌の表現を支える本質的な意味があることを見ておかなければならない。そこで、その結びつきを能動的に捉え、連合表現の名でそれを呼ぶ研究者もいる。ただし、その呼称は一般的ではないので、ここでも枕詞という用語をそのままに使う。ただし、それは被枕への単なる修飾ないし添え物としての意味でないことは断っておきたい。

地名に接続する枕詞

 枕詞は、おそらくは長い伝承世界の時間の中で、ある言葉を讃美するため、徐々に形成されていった表現であった。始原的には、より長い讃さん詞しがあり、それが徐々に五音に固定されていったと思おぼしい。その背後には、それを支える何らかの伝承(神話)が存在した。

 その典型は、地名に接続する枕詞であろう。それでは、地名になぜ枕詞が必要とされるのか。それぞれの土地には地霊(国魂)が宿っており、その地に足を踏み入れる者は、地霊の鎮めをはかる必要があった。もともと、それぞれの土地には、その土地がそう名づけられるようになった来歴がある。それを正しく知ることが、地霊への鎮めにつながった。その来歴について語る伝承的な詞章(神話)を圧縮したものが、地名に接続する枕詞になった。

 地名を生み出す主体は、まずはその土地にやって来た神であっただろう。時代が降ると、新たな土地の支配者がその役割を担うこともあった。

 「常陸ひたち」に接続する「衣ころも手で」という枕詞がある。『万葉集』から例を挙げる。筑つく波ば山さんを題材にした高たか橋はしの虫むし麻ま呂ろの長歌の冒頭部分である。

衣ころも手で 常陸ひたちの国くにに 二ふた並ならぶ 筑つく波はの山を……

(巻九・一七五三)

〈口語訳〉

衣の袖を漬ひたす常陸の国に、二つの峰が並ぶ筑波の山を……

「衣手」とは衣の袖をいう。この「衣手」については、『常陸ひたちの国くに風ふ土ど記き』に「筑つく波は岳ねに黒雲挂かかり、衣袖ころもで漬ひたちの国」という「風俗くにぶりの諺ことわざ(その土地の言い伝え)」が見え、倭やまと武たけるの天すめら皇みこと(東国には、ヤマトタケルが天皇となって巡行したとする伝承があった)が、泉で手を洗おうとした際、衣の袖が垂れて濡れたので「衣袖漬の国」の名が生まれたとする起源譚たんがそこに付載されている。この「風俗諺」は、地名の起こりを語る伝承的な詞章の一部と見てよいだろう。もっとも、「衣手―常陸」の結びつきが、右のような起源譚からすぐに生まれたかどうかはわからない。なぜなら、この「風俗諺」をよく見ると「筑波岳に黒雲挂り」とあり、雨によって袖が濡れたとも解せるからである。

 いずれにしても、「衣手―常陸」の表現の背後に、何らかの伝承的な詞章(神話)があったことは確かである。その場合、ヤマトタケルの存在もどこかで意識されていただろう。

 もう一つ、地名にかかわる枕詞を見ておこう。「出雲いづも」を導く枕詞「八や雲くも立つ」である。『古事記』の歌謡に、次のような例がある。

八や雲くも立つ 出雲いづも八や重へ垣がき 妻つま籠ごみに 八重垣作る その八重垣を

(記一)

〈口語訳〉

雲が幾いく重えにも立ちのぼる出雲、その出雲の幾重もに囲んだ垣かき。そこに新妻を籠こもらせるために、八や重えの垣を作る、その八重垣よ。

 短歌体の歌謡である。物語の中では、スサノヲがその妻クシナダヒメを、垣を幾重にもめぐらせた婚こん舎しや(新婚夫婦のための寝ね屋や)に籠もらせる際に詠じた歌とある。口語訳に「雲が幾重にも立ちのぼる出雲」としたが、盛んにわき起こる雲は、地霊の活発な活動の象徴でもある。そこで、「八雲立つ」は「出雲」への土地讃めの意味を示すことになる。その場合、「八雲立つ」は、「出雲(雲が出る、雲が立ちのぼる)」を喚よび起こす像そのものでもあるから、「八雲立つ」=「出雲」という関係がここに成立しているともいえる。ここにも、その起源となりうる伝承的な詞章(神話)が存在していただろう。その詞章は、あるいはこのスサノヲの伝承ともどこかでつながるのかもしれない。

 「八雲立つ」=「出雲」という関係は、先の「衣手―常陸」の場合にも同様に見られる。ここでも、「常陸」という地名(国名)は、その音を媒介にヒタチ=ヒタス(漬ひたす)という像を喚び起こし、そこからさらに「衣手(袖)」との結びつきを生み出しているからである。それを保証するのが先の「風俗諺」のような詞章であり、ここでも「衣手」=「常陸」という関係が成立していると見ることができる。