世阿弥の作劇法と「幽霊」
縁あって南本有紀氏の「能の幽霊〜世阿弥の作劇法と「幽霊」の造形〜」を受講して
まいりました。自分の理想とする表現のために当時まだ余分な語義や印象を持たなかっ
た「幽霊」という単語を使った世阿弥は「言葉」というものに強い関心と知識を持って
いたのだと思います。日頃何気なく使っている言葉を振り返る良い機会になりました。
以下は講義の際のメモをもとに書き起こしたくらげびとの覚書ですので南本氏が意図
されたものとは多少異なっている可能性があります。ご了承ください。
能楽(猿楽)は祭祀的民俗芸能から世阿弥の作劇法によって歌舞劇へ質的に変化した
ともとらえられるが、この作劇法において「幽霊」は大きな存在感を示している。つま
り、前場で老人や里女として登場したシテは実は「幽霊」であり、後場ではそのシテが
在りし日の姿でワキに歌舞を披露するというふうに、一種のテンプレートとしての作劇
法に「幽霊」が重要な役割を果たしている。というよりはむしろ「幽霊」がいなくては
この手法が成立しない。
では、なぜ「幽霊」なのか。それは世阿弥の時代に既に存在した「もののけ・鬼・怨
霊」などの言葉が持つ不気味さ・恐ろしさといったイメージとは異なる優美な霊を世阿
弥は舞台に出現させたかったからではないだろうか。
世阿弥の生きていた中世において「幽霊」という言葉は外来語であり、日本語として
は「(目に見えぬ)霊」という意味しか持たなかった※。よって世阿弥の意図した此岸
と彼岸、もしくは演者の世界と本作(平家物語や源氏物語など能の原作)の世界をつな
ぐ架け橋としての人物を表現する言葉として「幽霊」は使われたと考える。
※現代の日本人が一般的に抱く「幽霊=足がなく経帷子を着て恨んだ相手の前に現れる」
というイメージは世阿弥の時代にはない。(このイメージは近世の歌舞伎によって定
着したものである。)