背骨の動き ~野口晴哉著「体運動の構造一」~
《野口晴哉著 体運動の構造一より》
背骨の動き
椎骨というのは人間の背中の中心に縦に並んでいる骨のことで、普通、背骨とか、バック・ボーンとか呼ばれているものである。頸椎が七個、胸椎が十二個、腰椎が五個、尾骨が三個または五個の椎骨から成っている脊椎の一個一個を言うのである。
脊髄を内に持ち、椎間孔から知覚運動の神経、また血管、淋巴管などを出し、自律神経とも交わる。脊髄にはいろいろの中枢があり、悪寒、発汗を始めいろいろの反射中枢をなしている。
そして、その中枢のはたらきと椎骨の状態と関連があり、椎骨の可動性が鈍ければ、その反射も鈍い。そして椎側の筋状況を反映して、個々の椎骨が捻れたり、上下したり、左右したり、前後したり、転位する。
この転位の状態を私は五十年間、毎日百人以上の人を触って確かめてきた。私の人生の五十年間は、椎骨だけを観て暮らしてきたと言っても間違いではない。それ故、いろいろの環境変化が椎骨に如何なる変化をもたらすかをよく知っている。
横浜の馬車道で、ルンペン風の男に話しかけられた。誰だか判らない。しかし、彼は私をよく知っている。挨拶して別れ、その背中を観た途端に想い出した。その背骨は三十年前に私が触って知ったのだ。思わず「山田さん」と呼んだ。彼はニコニコして振り返り、「じゃあー」と言った。山田くんに間違いないことが判った。
神戸でも同じように、見知らぬ人に呼び止められた。大井くんであったことを背骨を観て想い出した。顔の方は余り覚えていないが、背骨の方は覚えているだけでなく、その一つ一つにいろいろな印象が刻まれていて懐かしい。それくらい心を込めて私は背骨を観てきた。
だから、背骨の一つ一つ、つまり椎骨の表情を語るに相応しい内容を持っていることを自認している人間であると言える。
愛している人でも、泣いている人でも、すねている人でも、怒っている人でも、その顔より椎骨状況の変化の方が面白かった。延べ人数にすれば、百万人以上の椎骨と親しんできたのであるから、他の人が脊椎とか、背骨とか言う如く、他人行儀ではない。
私と接したすべての人は背骨で心を交えた。だから、背骨の一つ一つについて語ることは、私のなしてきたことを語ることと同じになる。
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by. Hitomi スマホ