新しい地球倫理を問う ①
https://sites.google.com/site/jasgse/teigen/h24-10-ti-yan?overridemobile=true 【 新しい地球倫理を問う】 地球システム・倫理学会会長 服部英二 より
初めに
2011年3月、日本を襲った未曾有の大震災は、圧倒的な津波の恐ろしさに加え、制御不可能な原発という怪物が末代の世まで残すことになった、目に見えぬ放射能の恐怖により、天災ではなく、人災であった、との思いを万人の胸に刻みつけた。「自然を支配し制御する」という近代的思想に立脚した現代文明そのものの根本的な誤謬が、白日のもとに曝されたと言ってよい。
われわれは文明の危機に直面している。このことは、とりもなおさず、今まで「文明」と信じてきたものが、実はいびつな文明であったと知る重大な反省を促すものであり、もし人類が存続を欲するならば、今や、文明の本質に対する真摯な再吟味こそが、緊急の課題として浮上してきていることを意味する。
筆者が会長を務める地球システム・倫理学会は、討議を重ねた結果、東日本大震災の1カ月後を期して次のような「緊急声明」を日・英・仏の3カ国語で世界に発信した。
この呼びかけに対する世界からの反応は期待を上回る熱烈なものであった。すでに数十カ国の識者が、自らのウェブサイトにこの声明を転載、更に中国語・ドイツ語版制作の申し出でもある。日本政府による浜岡原発の突然の停止決定も、この声明と無関係ではない。地球と人類の未来を真剣に考える人びとの連帯の輪は、着実に拡大して行くであろう。
母殺しの大罪
「人類は母なる大地を殺すのであろうか?もし、仮に母なる大地の子である人類が母を殺すなら、それ以後生き残ることはないであろう」と、アーノルド・トインビーは、その遺書とも言える著『人類と母なる大地』(Mankind and Mother Earth)の中で述べている。人類誕生以来の600万年の悠揚たる時間から見ると、その2万分の1という、まさしく瞬間に等しい時間帯に、人類は母殺しの大罪を犯そうとしていると、この碩学はその最晩年に警告しているのだ。そしてそれと共に人類は自らその歴史に幕を下ろすことになろう、と。
トインビーの警告は切実である。この300年間で、すでに地上から大半の森が姿を消し、気候温暖化はあと2度の上昇で、現存の生態系の崩壊という後戻りのできない一線を越す。生物多様性はエコシステムを保つのに必須の要因であるのに、毎日実に100種以上の生物が地上から姿を消してゆくのだ。しかもそれは年々加速している。大宇宙に奇しくも生まれた水の惑星では、水が万象の調整役を務めて来たのであるが、温暖化で氷河が溶け、神々の住むヒマラヤの雪まで溶けた暁には、川は細り、砂漠は更に拡大し、洪水と暴風の規模は数倍に膨らむと予想される。あとたったの20年で20億人が飲み水にも事欠く事態が到来する。化石燃料の発見以来人口爆発が起こったのであるが、過去1世紀だけでも4倍した人口は、2050年には92億に達し、そこからは減少に転じる、と言われている。しかしその減少は、平和裏に行われるのではない。大きな痛みを伴った仕方で起こるほかはないのだが、そのことに思いを致す人は少ない。 この母親殺しの行為は何時始まったのか?それは、17世紀、ヨーロッパに科学革命が起こり、人と自然が分離された時である。およそデカルトによる「人は自然の主であり所有者である」という自然認識こそが、啓蒙主義に繋がり、18世紀末からの産業革命を惹起した思想的根拠であるが、人間の生活に薔薇色の未来を描いたこの進歩の時代、実は物質文明の豊かさとは裏腹に、人間の内なる生は貧困化して行った。何故ならば啓蒙主意とは、理性・感性・霊性という人間の能力のうち、理性のみに突出した優位を与える立場であり、人はこの時代精神の中にあっては、本来の全一的(Holistic)な自然認識を失って行かざるを得なかったからである。
存在から所有へ――精神の砂漠化
これをわたしは「精神の砂漠化」と呼ぶ。この事を理解するには、この時から人びとの関心が急激に「存在」Etre=to beから「所有」Avoir=to haveに移ってゆくことに注目せねばならぬ。人の価値はその人の人格・精神性、すなわち内なる生ではなく、その人が何を持っているか、という外なる生によって計られることにことなった。大きな屋敷・財産・権力と言ったものである。所有の拡大が「進歩」と呼ばれた。そして植民地主義はこの所有の価値観を全地球空間に広げたものであり、必然的な到達点であった。それは科学技術の開発によって列強となった西欧の近代的民族国家が、更に強力な覇権を求めて、「奪い合う」ものであった。そこでは人による自然資源の簒奪が、未開人すなわち人以前の存在とみなされた先住民を酷使する仕方で行われた。本来、地球という水の惑星が育んできた大いなる生命系の中に位置する人類は、この時以来、人――それは厳密には理性的存在としての欧米人のことであったが――以外の他のすべてを支配の対象とし、母なる地球を、そしてその母が育んできた生きとし生けるものを自らの「進歩」の名のもとに簒奪し、支配してきたのである。これが「文明」と呼ばれた。文明とは、そのため必然的に西欧的、理性的、男性的なものであった。言いかえれば、その文明とは「力の文明」であり、「父性原理」に基づいたものであった。
聖書による正当化
これをキリスト教の教えに適うものとする議論もある。それは「創世記第1章」に次のような記述があるからである。「光あれ」の言葉と共に天地を創造した神は、6日目になって土くれに息を吹き込みアダムとイヴ=人間を創る。その時の神の言葉は、「産めよ、増えよ、地に満てよ。地を従わせよ、また、海の魚と、空の鳥と、地に這うすべての生きものをおさめよ。」である。これは「進歩」を標語とした19世紀には誠に都合のよい聖書の記述であった。今では考えられないであろうが、「黒人も(神の創った)人であるのか?」と言うことが、植民地主義の謳歌した19世紀から20世紀初頭に至るまで真面目に議論されたのである。
しかし、この聖書を根拠とする進歩論には、三つの欠陥があった。一つは母なる大地の資源は無尽蔵であるという根拠なき前提に立っていたこと、二つ目は、この進歩論は直進する時間論を持つヘブライ・キリスト教の世界観に立脚するものであるが、この時間論は終末論を内包することを失念していたことである。そして三つ目は、聖書に記されたこの神の言葉を根拠としながら、実はその神自身を、進歩を説く科学主義は殺してしまう、という矛盾を犯していることである。 科学革命の時代、人間は自然を対象と見做すことにより、自然から自らを分離する。すなわち自然と離婚する。しかしその時、同時に神とも離縁していることに注意せねばならない。 Cogito ergo sum「われ思う、ゆえにわれあり」とは、デカルトの思想を集約する言葉とされる。ここに確立したのが近代的自我、コギトの主体としてのEgoであった。そこにもはやヘブライ=キリスト教の神はいない。デカルトの目、すなわちデカルト的理性こそが神の目であった。何故ならば、それはすべての存在を疑いぬき、他人の存在さえも疑った末に確立した孤独な我であり、自己以外の世界のすべてを対象として見るその目は、まさしく超越者、すなわち世界を外から見る創造主の目であったからだ。
「神は死んだ」
19世紀、ニーチェは「神は死んだ」と告げるが、ニーチェが神を殺したのではない。かれは「死んでいた神」を発見したのである。この神とはあくまでもキリスト教の神であるが、キリスト教を精神基盤とするヨーロッパにおいてその神殺しは行われたのであった。
本論では、先に人類の母殺しを語ったが、それと同時に父殺しがおこなわれたことを語らねばならぬ。ヘブライ・キリスト教的神は「天にましますわれらが父」であるからである。したがって、科学革命とは、ヨーロッパで犯された「両親殺し」の行為であった、と言ってよい。ヨーロッパは自らを生みだした両親、すなわち母なる大地と父なる天の神の双方を、この時同時に消し去るのである。ニーチェは神の死を告げたが、神の座が残った。その神の座に就いたのが近代的人間であった。
このような動きは実はルネサンス期にすでに始まっているが、17世紀から19世紀にわたって続けられたこの聖俗の抗争の意味を更によく理解するには、ここでヨーロッパの誕生と、キリスト教との出会いが作り出した中世という時代を振り返らねばならない。
ヨーロッパの出自
ヨーロッパというこの特殊な地域の出自を問うてみよう。それは、ギリシア神話によれば、ゼウスがフェニキアの王女エウロペ(Europe)にひと目惚れし、牛に姿を変えて誘惑するところから始まる。エウロペを背に載せたゼウスは海を渡り、クレタ島に至り、彼女はゼウスの子、ミノスをもうける。ミノア文明のはじまりである。この神話には地中海の交流が描かれ、ギリシア文明そのものがオリエント、エジプト、エーゲ海文明と深く結ばれていることがわかる。しかしながら近代になってこの神話の意味は忘れ去られ、ギリシアはロゴス(理)、すなわち近代的理性の故郷として描かれることになる。かつては「光は東方より」と崇められたオリエントの影響は、ロゴス性の欠如、そのミュトス(神話)性のゆえに軽蔑され、極力排除されてゆく。その結果教科書の中では、まことに美しいギリシア文明が、まるで地中海の泡から生まれたヴィーナスのように、突如として出現することになった。その輝かしい文明の後継者がローマである。
ローマは「ガリア戦記」の方向に拡大し、帝国となるが、そこには4世紀大きな精神的転機が訪れる。すなわちそれまでの文化とは全く異質な文化的価値であるキリスト教の公認である。キリスト教の母体であるヘブライズムすなわちユダヤ教は砂漠の宗教である。それが海と緑のヨーロッパに持ち込まれることとなったのだ。それは極めて異質なものの合体という一大事件であったと言える。不条理なるもの(Credo)が条理(Ratio)の社会において合成され、しかも上位の価値に位置付けられるということが起こったのである。
この合成は、実はイエス・キリストがヘブライズムの中で成し遂げた精神革命のお蔭で可能になったのであった。ユダヤ教の核心は「選民思想」であるが、イエスはそれを退け、救済の対象を「万民」に広げた。次に神の本質をユダヤ教の「怖れ」ではなく、「愛」であると、180度転換したのである。 この革新により、キリスト教は世界宗教となり、かつてのシーザーの道をたどって、ローマからローヌ河を北上、やがてヨーロッパのすべての地に根付いてゆく。
ヨーロッパ中世の歴史は、このギリシア的理性=ロゴスと、ヘブライ的霊性=ト―ラの習合の歴史であると言ってよい。合理と不条理の合体であり、学と信の止揚である。それが頂点に達したのがスコラ哲学に他ならない。
ヨーロッパの中核としてのスコラ哲学
12世紀にすでにアベラール等にその萌芽をみるスコラ哲学は、13世紀、パリはソルボンヌに各国から集まっていたトマス・アキナスを中心とする学究たちによってその頂点を迎える。その直前、イベリア半島のトレドの図書館でアラビア語からラテン語に翻訳されたアリストテレスの著作の全貌が明らかにされ、それが直ちにソルボンヌにもたらされたのであった。ちなみにこの翻訳には、キリスト教徒の他、ユダヤ人とイスラームの民ムーア人の協力があったことも付記しておきたい。トマスはこの新たに到来したラテン語版アリストテレスの自然学と形而上学を縦横に駆使し、アウグスチヌスをはじめとする教父神学の下敷きの上に壮大な知のカテドラルを構築した。それがSummaTheologiae(神学の集大成=『神学大全』)、のちにカトリックの「黄金の知」と呼ばれたものである。しかし、理と信という、この水と油のように相いれないものの合成は、やがて再分離して行ゆく運命にあった。あたかも卓上に置かれたドレッシングが、時間と共に酢と油に分離してゆくように。その分解の時、中世の黄昏がおとずれる。
中世の黄昏
中世末期、ヨーロッパを襲った黒死病と貧困は、中世の社会に壊滅的な打撃を与えた。ここに異端審問と魔女狩りの悲惨な一ページがひらかれる。平野啓一郎が、いみじくも『日蝕』に描いた世界である。そして、そこから二つの動きが現れることとなる。一つがルネサンスであり、もう一つが宗教改革である。これを図解すると次のようになる。それは中心に二つの線が交差する円を持つχ型を描く。この中心こそがスコラ哲学であり、ヨーロッパの核である。もともと異質であったものが、このスコラ哲学によって見事に合成されたかに見えたのだが、それは長くは続かず、ギリシア的ロゴスすなわち「理」はルネサンスによって再発見され、やがて科学主義を生みだすものとなる。もう一方のヘブライ的霊性あるいは「信」の追求は、ルターやカルヴァンの宗教改革となる。合成体からの再分離、源泉への復帰という意味で、宗教改革は優れて原理主義の運動であった。もう一方の理性の再発見が科学至上主義というもう一つの原理主義を生んで行くように。