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はらいきよめ

2020.07.30 04:40


http://www.nihonkogaku.com/content/report.cgi?co=18

【「はらひきよめ」という日本文化】 より

肉体から発する情の力は非常に強く、魂が魄を制するのはとても難しいことですが、古代日本人は自然にその智恵を身につけていました。 #0015【人間の本性は善か悪か?(1)】>> #0016【人間の本性は善か悪か?(2)】>> #0017【心の中の葛藤とは?】>> それは、諸外国から儒教や仏教、その他の教学や文化が流入する以前から日本に存在していた神道(かむながらのみち)の中にみることができます。

神道では清浄を第一義としますが、「はらいきよめ」という概念は世界的にみても珍しいものです。まず「はらい」とは「張る霊(はるひ)」のことで、精神がほどよく緊張した状態を表しています。また「きよめ」とは「気蘇め(きよめ)」であり、気が蘇るという意味です(ちなみに「蘇る」は「黄泉帰る」)。つまり「はらいきよめ」とは、「気を蘇らせてほどよく緊張した精神状態を保つ」ということになります。

 また「穢れ(けがれ)」とは「気枯れ」であり、「罪」とは「包み」が約(つづ)まったもので、魂を包み隠すという意味です。つまり「罪、穢れを祓い清める」とは、「魂が魄によって包み隠され、気が枯れてしまった状態から、再び精神が緊張を取り戻して気が蘇える」という意味になり、魂が魄を制する状態にリセットして、精神を健全(かむながら)に保つ手段であることがわかります。

具体的には、まず神社でのお祓いが思い浮かぶでしょう。その所作は、まず神主がやまとことばによる「禊祓詞(みそぎはらえのことば)」を奏上して言霊(ことだま)の力によって祓い清め、さらに木の棒に麻と紙垂(しで)が結びつけられた大幣(おおぬさ)を頭の上で左右に揺り動かし、その清風によって邪気を祓います。(麻などの植物や、それを原料として作られた和紙には邪気を祓う力があるとされています。)

日本の神社では、今でも毎日神主がやまとことばによる祝詞(のりと)を奏上し、また定められた日ごとに神祭が執り行われていますが、一般の日常生活をみても、正月の初詣にはじまって、節分の豆まき、雛祭り、端午の節句の行事、七夕祭り、神社の夏祭りや秋祭りなど、季節ごとに祓い清めの行事が民間の風習として残っています。

食前やトイレの後に手を洗い、家に帰るとうがいをする行為も邪気祓いの概念からくるものですが、こういった例は枚挙にいとまがなく、日本の文化は「はらいきよめ」と密接に結びついていることがわかります。


https://www.jinjahoncho.or.jp/omairi/osahou/tonaekotoba 【神道での唱えことばについて】

仏教で唱える「南無」とは、梵語(サンスクリット)の音訳で、「南無阿弥陀仏」は、阿弥陀仏に帰依して救いを求める唱えことばです。

これに対して神道では特別な唱え言はありませんが、神社に参拝するときや神棚を拝むときには、「祓え給い、清め給え、神かむながら守り給い、幸さきわえ給え」(お祓い下さい、お清め下さい、神様のお力により、お守り下さい、幸せにして下さい)と唱える場合もあります。神道では自らの祓い清めが信仰的にも神様に近づくための大切なおこないとなっているからです。

このほか、古くは占いに関連して用いられ、その後、神様を拝むときに用いられるようにもなった「吐普加美依身多女とおかみえみため」という唱え言があります。この言葉の本来の意味ははっきりしていませんが、「遠神能看可給」(遠つ御祖みおやの神、御照覧ましませ)、あるいは「遠神笑美給」(遠つ御祖の神、笑ほほえみ給え)といった意味であるともいわれています。もともと、占いに用いられた言葉なので、「神様の御心があきらかになりますように」という意味であったのではないかと思われます。

我が国には、古来言葉には霊力が宿り、口に出すことによって、その力が発揮されるという言霊ことだまの信仰がありました。神社にお参りする際に具体的な願い事を声に出して唱えるのも、こうした信仰に基づくものです。


https://shinto-cocoro.jp/column/%E6%B8%85%E3%82%81%E3%81%A8%E7%A9%A2%E3%82%8C/

【祓いと清め】 より

こんな小さな事で一々文句を言ってきて!こんな人がいる。

しかし、人とはそんな小さな事で揉めるものである。

趣味の違いで揉める人はいない。

ほんの小さな価値観の違いで人は揉める。

また、大きな事は法律で取り締まることが出来るが、小さな事は法律で取り締まる事は出来ない。

この小さな事に気を配る事。

これが気配りであり、その気配りは道徳心が決める。

つまり、穢れとはこの小さな事で起きる。

その小さな事を祓い、清めなければ、そのチリが積もり積もって大きくなる。

それが【大祓】である。

つまり、小さな事に気づく人は上手く行き、気づかない人は穢れる。

大切な事は常に清める事である。

つまり、小さな事に気づくこと。

清めとは、清らかな気持ちになる事。

その為には小さな事に気づく道徳心を養う事である。