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諸行無常

2020.07.31 01:54

https://ameblo.jp/don1111jp/entry-12334331741.html 【諸行無常~無常を観ずるは菩提心の一なり~】より

「諸行無常」に関連して、「無常を観ずるは菩提心の一なり。」という仏教の言葉を改めて紹介します。

「菩提心」とは、本当の幸せになりたいという心です。

無常を観ずる、見る事は、本当の幸せになる第一歩であるという事ですね。

なぜ無常を見つめる事が本当の幸せになる第一歩になるのか。

これに関連して、仏教を語源とする有名な四字熟語に「一期一会」があります。

一期一会とは、一生に一度の出会いだから、この出会いを大切にしようという事です。

また会える、ずっといると思うと、相手の嫌な所が見えてきて、心が苦しくなります。今日が最後かもしれないと思えば、我慢できない事も我慢できる、今日だけならば、優しい言葉もかけられるようになります。

私達は、今の状態がいつまでも続くと思いがちです。嫌な事があると、それがずっと続くように思うと、心が一層苦しくなります。

無常を観ずる事で、いつまでも続くのではないと心の向きが変わります。そして、当たり前と思っていたものが決して当たり前ではないと知らされ、不満の心から感謝の心に変わるのですね。

いつまでも続くと思っていたのが、いつまでも続かないと心が変わる事によって、世界の見え方が変わります。

これだけでも、幸せの気づきを与えてくれるのですが、「無常を観ずるは菩提心の一なり」は、更に深い意味があります。

何事も締め切りがあると、それまでの時間を大切にしようと思います。

無常を観ずると、人生が限られている事に気づきます。すると、限られた人生を大切にしようという心が起きます。

すると、自分の人生にとって本当に大切な事は何かを考えるようになります。

哲学者パスカルは

「あと一週間の命なら、何をするか。それを一生かけてやりなさい」というように言っていますね。

あと一週間の命だったら何をするか。毎日やっている事の大半は、やらないかもしれません。本当にやりたい事をやりたい、と思います。

では、本当にやりたい事は何か、これ一つやったらいつ死んでも悔いなしと言えるものは何か、本当に大切な事は何か、何が本当の幸せなのか。

無常を観ずる事で、私が本当にやりたい事は何か、本当の幸せとは何か、考える機会が訪れます。

ですから、無常を観ずる事は、本当の幸せを考え、本当の幸せになる第一歩なのですね。


http://bukkyouwakaru.com/kansai/cn7/pg276.html  【諸行無常の響きあり……無常を観ずるは菩提心の一なり】 より

諸行無常とは、諸行とは、すべてのものということ。無常とは、常が無いという事です。

常が無いとは、ずっと続く、変わらないものはないという事です。

たとえば、今こうしてメルマガを書いているパソコンもずっと元気に動き続けるわけではないです。デスクトップパソコンの寿命は5年ノートパソコンの寿命は3年といわれるように、やがて壊れていくということがあります。住んでいる家も、何十年もすれば、古くなって住めなくなります。この地球さえも、あと60億年後には無くなってしまうと言われています。

では、人間の心はどうでしょうか。サラリーマン川柳13回、最優秀作品に「プロポーズ あの日にかえって ことわりたい」とありますが、「離れたくない!」が「話したくない!」と変わるように、心も、大きく変わってしまうんですね。

あまりに「コロコロ」変わるので、ロを一つ取って「ココロ」というようになったとも言われるほどです。

▼変わらないものは何一つないと聞いて、「そんなこと無い!」と思う人はないと思いますが、自分の周りにあるもの、自分が持っているものは、「例外」という心があります。

自転車を盗まれたという話はよく聞きますが、「自分の停めた自転車は、ちゃんとあるはず」と思います。

パソコンがウィルスにやられて壊れたという話を聞いても「自分のパソコンは大丈夫!」とウィルス対策ソフトを入れなかったりバックアップを取らなかったりしますよね。

ところが、大丈夫と思っているものにも無常がやってきます。「これも例外じゃなかったのか」と知らされた時に、「こんなはずじゃなかった」と後悔する事になるんですね。

▼そんな事、聞いたら暗くなっちゃうという声が聞こえて来そうですが、無常である事を見つめる事が本当の幸せの第一歩であると教えられているんですね。

身近な事で言うと、無常だと思うからこそ大事にするようになります。荷物でも、「ワレモノ注意」とあると慎重に扱いますよね。人間関係でも、この人との関係は大丈夫だと思うからこそついつい粗雑になって手でしなければならない事を足でする。足でしなければならない事を、尻でするようになる。尻でしていた事をしなくなります。

それによって、気付かないうちにだんだん関係が悪化していって、気付いた時には修復不能になっていくものです。無常だと思うからこそ、努力が生まれてくるんですね。

▼仏教では

「無常を観ずるは菩提心の一(はじめ)なり」と言われます。無常である事を見つめると、代わり通しのこの世界で変わらない、崩れない本当の幸福を知りたいという気持ちが起きるという事であり、無常を見つめる事が、本当の幸福の第一歩であるという事なんですね☆

それが、祇園精舎でなされていたお釈迦様のご説法だったので「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」と言われるんですね。