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Me and Songs

ダグ・アルドリッチ (The Dead Daisies) #3 / Dioへの加入と思い出

2020.08.03 07:00

KISS の熱狂的ファンが運営するYouTube 番組に出演したダグ・アルドリッチ。


前二回の記事では、彼がKISS のオーディションを受けた時のエピソードをご紹介しました。



この動画の訳はそこで終わりにしようと思っていたのですが、後半をつまみ食いで聴いていたところ、また面白いお話が色々ありましたので、異例の全四回構成でお届けしたいと思います。


今回は、Dio 加入時のお話です。



I: インタビュアー

D: ダグ


Lion /BMR/ Burning Rain


1:10:20


I: Dioとの活動について聞きたいんだけど、彼はどんな人だった?


D: 彼は素晴らしい人だったね。



僕がまだLion に専念して活動していた頃、ロニーに一度誘われたけど断ったことがあったんだ。


Lion は、Whitesnake Jr. とも言うべきバンドだった。


I: 確かに。僕らも覚えてるよ。


D: ボーカル(カル・スワン)はイギリス人で、彼を通して僕はWhitesnake の初期のアルバムを聴くようになったんだ。



見た目もデヴィッド・カヴァーデルに似てたしね。僕はあのバンドでの活動にワクワクしてたし、実際良いアルバムも作ったと思うんだ。


I: 僕が思うに、Lion はいつも「ブレイクまであと一歩!」という位置にいたと思うんだ。


D: あの時僕らが交わしたレコード契約は、本当にありえないものだった。レコード会社は契約を交わしたっきり、それ以上僕らに予算を割くつもりが無かったんだ。



その契約から抜け出そうと何とか二枚目も作ったけど、結局バンドは解散することになった。


(*これ、多分途中からLionじゃなくて Burning Rain 時代の話になってる気がします・笑)



いつもイングリッシュパブ


1:11:30


解散前、僕がまだ自分のバンドでやっていくつもりだった頃に一度ロニーからの誘いを断ったんだけど、解散が決まった頃に再びロニーが「一度会って話をしよう」と連絡をくれたんだ。


この時には、僕もロニーとの仕事に乗り気になっていたよ。



彼はイングリッシュパブが大好きでさ、彼と会う時はいつもパブだったよ。


二回目に彼とパブで会った時、僕は加入を決意したんだけど、あれはクリスマス直後の12月26日、朝11時半だったと思う。(*時系列から考えて、恐らく2001年)


ロニーはその時、「今制作中のアルバムでソロを数曲弾きたいか?」と訊いてきたんだけど、僕は「ノー」と答えた。



するとロニーは一緒にいたジミー・ベインの方を見て「ダグなら弾きたいって言うと思ったんだが」というから、僕はこう答えたんだ。


「僕は一部のソロだけじゃなくて、全てのギタートラックを弾きたい」ってね。


すると彼は「素晴らしい!じゃあ、明日から始めよう」ということで、すぐにレコーディングに入ったんだ。



Holy Diver を目指したアルバム


1:12:00


彼は僕やジミー、周囲の人間からベスト・パフォーマンスを引き出すのが上手かったし、一緒に仕事をするのが楽しい人だった。



彼は既にレジェンドで、それこそ、僕は車の免許を取れる年齢以前から ”Rainbow On Stage” を聴いていたし、リッチー・ブラックモアの横で歌う彼を聴いて育ったんだから。


そんな彼と一緒に音楽を作るだなんてね…。



彼は “Holy Diver” のようなアルバムを作って、ある種のカムバックを目指していた。粗削りで、直球のヘヴィーメタルなサウンドでね。


僕らは実際それを上手くやったと思うよ。


続く…