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李登輝先生から日本人へ

2020.07.31 04:16

http://www.suzaku-s.net/2007/06/post_97.html  【李登輝氏の真情に触れる】

台湾の前総統、李登輝氏の訪日と、奥の細道めぐりが実現しました。李登輝氏は、もう何年も前からこの奥の細道行を熱望していたのをご存知でしょうか。『李登輝学校の教え』という名著があります。この本は、李登輝先生からの日本人へ、目からうろこの率直な意見が多数あり、必見です。ここで少し目次を紹介します。

商品の説明 メディア掲載レビューほか

「武士道」解題 ノーブレス・オブリージュとは

 台湾前総統で旧制の日本教育を受けた著者は「日本の良いところや、精神的価値観の重要性を人一倍よく知っている」と言う。新渡戸稲造が100年余り前に著した『武士道』を解説しながら、日本人が忘れかけている高い精神性を取り戻そうと訴える。

 新渡戸は「義」を重んじ、「忠」を尊び、「誠」をもって率先垂範するといった武士道が、民族固有の歴史や風俗、仏教や儒教、神道などと深く関わっていることを記した。著者は1000年もの長い間、日本に浸透し、世界に誇るべき精神的支柱だった武士道や「大和魂」を、戦後、日本が意識的に踏みつけてきたことを批判する。

 日本再生を期す今こそ、武士道の規範を徹底的に再検討し、実践に移すべきだと熱く説いている。

(日経ビジネス 2003/05/05 Copyright©2001 日経BP企画..All rights reserved.)

-- 日経BP企画

出版社からのコメント

100年前に書かれた新渡戸稲造の『武士道』には、現代の日本人が忘れてしまった普遍的思想が貫かれている。その深遠な日本精神を、戦前日本の教養教育を受けて育った台湾の哲人政治家が、古今東西の哲学知識を総動員して解説。

内容(「MARC」データベースより)

「日本人よ、やまとごころを取り戻せ」 新渡戸稲造の「武士道」を台湾前総統が諄々と説く、21世紀の日本人必読の書。新渡戸稲造と李登輝、2人の国際人が考えるノーブレス・オブリージュとは?

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

李/登輝

1923年1月15日、日本統治下の台湾・台北県に生まれる。旧制台北高等学校卒業後、44年に陸軍に志願入隊。46年に中退して台湾大学に編入し、48年に卒業。同年から52年まで台湾大学講師。52~56年台湾省農林庁技正兼経済分析係長。この間アメリカに留学。58年より台湾大学非常勤教授。再びアメリカに留学し、68年にコーネル大学大学院農業経済学博士課程修了。71年国民党に入党。72年行政院政務委員(無任所相)として入閣。78~81年台北市長、79年国民党中央常務委員、81年台湾省政府主席などを歴任。84年副総統に指名。88年1月蒋経国の死去にともない総統に昇格。台湾人として初めて総統になる。96年3月台湾初の総統直接選挙に当選し5月就任。2000年3月総統選で国民党の連戦候補が民進党の陳水扁候補に大敗した責任を取り、国民党主席を辞任。同年5月総統を退任。2001年8月新党・台湾団結連盟(台連)を発足。2001年4月心臓病治療のため来日。現在、シンクタンク「台湾綜合研究院」名誉会長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

第一講 日本と台湾、そしてアメリカよ、「中国の正体」を見極めよ!

・中国は台湾に侵攻できない ・日本人はODAでチベット人浄化に手を貸すな

第二講 日本人から台湾人へ、歴史の荒波にもまれて誕生した哲人

・「人間とは何か」を学んだ日本思想

第三講 台湾民主主義国家への道程

・これが、「二国論」の真意だ

第四講 リーダーの資質・資格・条件と「権力の理論」

・「天下は公のために」―権力の放棄も資質なり ・先住民の言葉に残っていた日本語

第五講 日本人へ―過去の否定から脱し、現在を肯定しよう

・日本をゆがめる歴史教育 ・日本はこうすれば立ち直ることができる

第六講 世界へ―宗教、多様性の上に国家がある

・日本はなぜ国家を否定する国になったのか ・ダライ・ラマと近田「宗教の原風景への回帰」

第七講 正々堂々と日本に行って、奥の細道を歩いてみたい

と、これだけ内容の濃い本の最後に、わざわざ一項目を割いてまで奥の細道への夢が語られているのです。

そこでは、こんなことが書かれています。

日本にはビザなしで72時間滞在できるんだけど、私は台湾の前総統として、そういうことはしたくないのです。実は、2000年10月の「アジア・オープン・フォーラム」のときは、日本政府の顔を立ててビザを申請しませんでした。私は、正々堂々と日本に行きたいと思っています。

僕はこのことを知りませんでした。実はビザなしでも訪日できる。別に日本政府が支那の顔色を伺ってビザを発給しなかったからと言って、軽い旅行をするだけならいつでも来れたんです。しかし「正々堂々と行きたい」から、そういうことはしない。まさに、日本が失った武士道精神(李登輝氏は22歳まで日本人だった)が生きています。

李  もし体の調子が悪くなかったら、行ってみたい場所があるんです。

小林 どこへ?

李  奥の細道を、日本の人たちと歩いてみたいんです。石巻の少し北の方か、平泉あたりまで、歩いたり車に乗ったりしながらね。これが今の私の計画なんだ。

芭蕉はほんとうは外国の人に一番知られなければいけない日本の遺産ですよ。こういうものを深く掘り下げて知ろうとすることは、日本人に非常な自信を持たせることになると思うよ。

私みたいな外国人が、ほんとうに芭蕉を愛し、奥の細道を歩きたいと思っていることも、非常に意味があるんじゃないかと思います。

それに、俳句や芭蕉じゃ政治にも関係ないしね(笑)。

日本と日本人のことを、これほどまでに思ってくれている人が外国に、いや、日本国内の政治家にでも、果たして存在するでしょうか?

このような聖人をいつまでも邪険にして、心臓病が悪化してもしものことでもあれば、日本は最大の理解者と最大の同志国を失っていたかもしれません。今回、長年の悲願がかなったことをとてもうれしく思います。

「深川に 芭蕉を慕ひ来 夏の夢」

――李登輝

日本の古典から西洋哲学まで、幅広い学識と見聞を持つ李登輝先生らしい、味わいのある句です。

あとは、実兄が英霊として祀られている靖国神社への参拝が実現することを祈ります。

来日中の台湾の李登輝前総統は31日、都内の江東区芭蕉記念館など俳人・松尾芭蕉ゆかりの地を訪れ、今回の来日目的である「奥の細道」を行く第一歩を踏み出した。

芭蕉に関連する資料を展示する同館に、李氏は曾文恵夫人ら家族とともに到着した。山崎孝明・江東区長の案内で館内を見学し、奥の細道探訪を実現した自らの心境を俳句に託し「深川に 芭蕉を慕ひ来 夏の夢」と詠んだ。

李氏は「今回は芭蕉が歩いた道の半分も歩けない」と残念そうだが、この後、芭蕉旧居を記念する庭園を見学した。念願の旅路につく心境について「芭蕉がこれから歩く道がわからなかったのと同様、私にもわからない」とユーモアたっぷりに話した。(李登輝氏「奥の細道」第一歩 心境を俳句に託す-世界からのニュース:イザ!)