ねこみみプリンセス 01 温泉にいきましょおー
突然だが、この城の姫はかなりぽわぽわしていた。
腹立たしいほどに。
「さいたさいたー、今日もおはながさいたーよー♪」
城の中庭で、朝陽を浴びてくるくると回りながら歌う少女。
世にも珍しい蒼い髪をひるがえし、白い生花の咲くもこもことしたお姫様服を着ているその姫は、カレニーナといった。
彼女は口調も行動もかなり幼いが、いちおう年は十七才。服には小さな白いマトリカリアが根を下ろし、茎を伸ばして無数に咲いている。
彼女の趣味は、自分の洋服に花の種を植えて水をかけ、花が咲いたら着ることなのだ。服の替えが無限にある人だからこそできる、頭のほかほかした趣味だといえよう。
彼女が王家である証拠は、その頭上でぴこぴこしているねこみみだ。ちなみに本耳は別にある。
昔々、この国が悪魔に襲われたとき、国民は手当たり次第神様に祈った。
その時あいにく神様たちは皆出払っていて助けは来なかったのだが、唯一ネコの神様だけが比較的ヒマだったので、王子にネコの神通力を授け、王子はその力で悪魔を倒したのだった。自らがネコになることを代償に。
その名残で、王家の者にはねこみみが生えるようになったという。この伝説は存在が怪しいほど古いが、王家の血縁にねこみみが生えるのは事実だった。ちなみに遠縁ほど、ねこみみ率は減る。
「けっ、バカらしくてやっていらんねーぜ」
体長は五十センチくらいだろうか。羽は生えていないが、姫の傍でいつものようにふわふわ浮いている。その小さな妖精はいつものように舌打ちすると、プイと背を向けた。
「じゃぱんー、そんなに朝から怒ってるとー、血圧に悪いようー」
「血圧が上がるのはお前のせいだ! 超絶バカプリンセス! お前、なんでそんなに、毎日粗みじん切りにしてやりたいくらいムカつくんだよ!」
「そーんーなー」
「ああー! その語尾すげームカつく!」
じたばたと、全身でムカつきを表現する姿は、哀しいかな全く怖くなかったりするのだが。
この口の悪い妖精は、本名ジャック・パンサーという。小さいが、姿はねこみみ姫とそっくりだ。『形』が彼女の細胞から作られているのだ。いちおう彼女専用でつくりは高級な妖精なのだが、口は相当悪い。
スッ……。
しかし、突如感じた闇の気配に、妖精の背中が怖気だった。
そこにやってきたのは、艶やかな長い黒髪の女だった。赤いマントに身を包んだ彼女は、この国で一番強い戦士だ。いや世界かもしれないが。
高い背丈と白い肌、引き締まりつつも優美な曲線を持つ彼女は、軽く二百歳を越しているはずだった。先の精霊戦争で活躍した功により、かなりの長寿を授けられたのだ。
キリリと美しく整った顔だちをしているのだが、今、その表情はデレデレだった。
実は彼女はさっきからずっと壁の向こうで姫を隠れ見ていたのだが、耐え切れなくなり出てきたのだ。姫の可愛さに。
「おはようございます。姫様」
「おはようー、カーさん。みてー、今日もさいたのー」
ぴこっと倒れるねこみみ。
はう!
姫君の微笑みにくずおれそうだった理性を精神力で持ち直し、戦士はゆっくりと微笑み返した。
「姫の美しいお心が、花にも届くのでしょう。植物は愛情を感じると申しますから」
女はどこかうっとりと、花ではなく姫の顔を眺める。
このカーさんと呼ばれた女は、カサンドラという。かつて黒い死神とまで言われた女は、頬を薄紅に染めて、ねこみみ姫を見つめた。
カサンドラは、この脳内ネジが百億ほどゆるんでいる姫を溺愛しており、もーかわいくて仕方ないのだ。
「ああー! もうどいつもこいつもアホばっかりだあ!」
脳内温度が上がりやすい妖精は、アホくさいその様子に、ばたばたとその場で全身をかきむしった。
妖精の絶叫は誰にも否定できないのだが、あまりうるさく騒ぎすぎるとカサンドラは剣の鯉口を切るので危険だ。
案の定、カサンドラの爪がその長剣の柄に触れる音がしたので妖精は瞬時に動きを止める。じゃぱんは先の大戦で敵方にいた妖精なので、彼女の恐ろしさはリアルタイムで体験しているのだ。
恐怖に身体を冷たくしたじゃぱんを一瞥すると、カサンドラは慈愛に満ちた声でカレニーナ姫に声をかける。
「さあ、姫。お風邪を召してはいけません。そろそろ城にお入りなさいませ」
「でもー、おひさまにあてないと、お花がかわいそうー」
ぴこり。言葉とともにまたねこみみが倒れる。
はうううう。腰が砕ける最強戦士。 カサンドラは萌えゆえに崩れた姿勢をなんとか整え直す。
「いいえ、いけません。姫は大事なお人なのですから」
「ああ、うんー。わたしは元気でかわいくなって、イキのいいお金持ちのひとと結婚しなきゃだもんねー」
その言葉に、突然顔を曇らせたカサンドラに気付きもせず、ねこみみ姫はぎゅうっと拳を握って気合を入れる。
姫には上に、王である二人の兄がいるが、この王家は最近景気が悪いので、経営打開のために是非玉の輿にのり、権力とお金を持った国と親密になりたいと思っているのだ。二人の兄ではなく、姫が積極的に。
なぜなら、彼女は兄たちとこの国を、とても愛しているから。この国に一番いいことをしたいのだ。
「(姫……。この方は、まだ恋も知らぬ。何も知らぬのに。けなげにこんなことを思われて……)」
カサンドラはそっと袂をぬらす。彼女は最近、姫がお嫁に行ってしまったら、結婚式の前に新郎をぶち殺しに行きそうな自分が怖い、と本気で悩んでいる。
ともあれ、多少貧乏だが、姫の脳みそのように温暖なこの国には、数百年の平和が続いていた。
この国の名前は、ミスリンという。
ミスリン城の中は白い石造りでひんやりとしているのだが、貧乏ゆえ質素で、しかし小さいゆえに清潔だった。こじんまりと行き届いたそのたたずまいは、むしろ不思議な温かさを感じさせている。
わあわあと騒ぎつつ、三人がにぎやかに庭から城内に入ると、迎えに行こうとしていたのだろうか、廊下で侍女が明るい微笑で姫君を迎えた。
「カレニーナ姫様。王たちがお呼びですよ。プラータ様がいらしているようで」
「ええ! ぶーたんが!」
「……はい」
姫のつけたそのあだ名に、笑顔がやや歪む侍女。
プラータは、山ふたつ越えたところにある王国の三男坊である。旅好きで、上の兄二人とも仲が良く、二月に一度くらいは遊びに来るのだった。
ぱたぱてぽて。
ねこみみ姫は白い生花を揺らしながら、広間へ走る。十四年前、『ろうかははしらない』という張り紙が、王国開闢以来初めて貼られた。姫のためだけに。
しかし今でも貼られているのは効果がなかった証拠だろう。
ともあれ姫は廊下を走りぬけ、突き当たりの執務室の扉を開けた。
やや重い木製のドアの向こうには、三人の青年が立っていた。そのうち二人は同じ姿とねこみみを持っており、彼らは妹のいつもの足音にシンクロして顔を上げる。
「上にい、下にい、ぶーたん!」
その声に、微笑みつつ苦笑いする兄弟。
一応、上の兄にはアレクサンダー、下の兄にはカレリンという立派な名前があるのだが、最後にその名前を呼んでもらえたのは何年前なのか兄達は思い出せない。
兄達はカレニーナとは五つ上の二十二歳。整った顔立ちの二人は双子なのでそっくりであり、ピンと立った濃紺の耳をしている。それを姫はいつもカッコイイ……と思っている。
「カレニーナ。お前、温泉には行ったことがあったかい?」
長男のアレクサンダーは、いつもの通り優しく妹に語りかける。
「おんせん? それはなんですかー?」
「外で、みんなで入浴するところだよ。男女は別だけどね」
次男のカレリンが説明するが、姫はいまいちピンときていないようだ。かなりピントの合っていない顔をしている。
二人の兄の傍にいる旅装束の男は、にっこり笑って姫に言った。彼がプラータである。
年頃は兄たちと同じくらいだろうか。金茶の髪と緑の瞳の持ち主はいつも通り、明るく人懐っこい印象をたたえていた。
「姫、温泉ではおさるとお風呂に入れるよ。姫はおさる、好きだろう?」
ぱしっ。
それを聞き、一国の姫はヒザを打った。
「はいー。なるほど。おさるとお風呂に入る施設なのですねー」
……。
「そうだよー」
「……まあ、そうともいえるかもな」
プラータの悪びれもしない返事の後、長男はつぶやいた。この他国の第三王子は要領がよく、姫のレベルにうまく合わせて話をしてくれるので、兄達は信頼している。できれば姫の通訳としてずっと城にいてほしいほどだ。
ふと、どこかからバキッと音がした。
兄たちがその方向を見ると、庭に面した窓の外で、長い黒髪の女が体中を震わせ黒い殺気を放ちながら立っていた。右手には太目の枝を持っている。多分、折ってしまった事には気がついていないだろう。
かなりいい音がしたにも関わらずその方向を全く見ずに、プラータは話を進める。
「女湯で姫を一人にするわけにもいかないから、カサンドラとじゃぱんも連れて、四人で温泉に行って来てもいいかな?」
ニコニコと言うプラータ。カサンドラに許可は必要ないだろう。彼女は姫が行くところ、勝手に地獄の底まで付いて行く。
「ああ、是非頼むよ、プラータ」
「たのしみー。たのしみー。わあー。さるるるるー」
末っ子の姫はマジでぐるぐる回る。兄二人は、この姫を大変たいへん愛しているのだが、使用人はじめ城の者は、姫とつきあっているとたまに精神回路がおかしくなるので、定期的に外に出てくれるととても助かるのだ。
ぐるぐる回る姫に逆回転を加えながら、プラータは話しかける。
「姫は、温泉卓球って知ってるかな?」
「オンセンタッキュウ? タマの一種ですかー?」
「近いねー。白いタマをぴこぴこ打つんだよー」
「ぴこぴこー」
双子は同時に頭を押さえた。こんなとき双子は、円周率を思い出して回路を治そうとする。さんてんいちよんいちごうきゅーにーろく。
すかさず、ガチャバターンと音がして、カサンドラが豪快に入ってきた。
「プラータ様、お久しぶりですわ。ついさっきそこで聞いたのですが、姫と温泉にゆかれるとか。私もお供して宜しいですか? 実はわたくし温泉が大好きなのです」
……ついさっきそこで。
嘘はついていないな、と双子は感心した。
「みんなでおんせんー。わああー、わああー、どんどんぱふぱふー」
「よかったねー姫。いっしょにあそぼうねー」
「わーい」
傍目から見れば、脳髄液が耳から染み出ていそうなほど楽しそうな姫と、微笑みながら黒いものを発散する女とぜんぜん気にしない男。
王二人は、この微妙な三人パーティーを見ると、いつもじゃぱんの口癖を思い出してしまう。
「この城は、どいつもこいつもアホばっかりだー!」
……。
その言葉を、一ナノグラムも否定できない最高権力者たち。
ともあれ、一つ呼吸をして、精神的に区切りをつけると長男アレクサンドラは言った。
「それでは、楽しんでおいで」
そしてニッコリ笑ってねこみみ姫に外出許可の書類を渡し、ハンコを押した。ぽん。
「アニウエ、おみやげは、なにがいいですかー?」
「なんでもいいからね。さあさあ、早く行っておいでカレニーナ」
「はいー」
ぺっこりお辞儀をする姫。
このように、これ以上アホが伝染しないように、この王家の最高責任者は、たまにアホ一味を一時的に追放する。
ちなみに、この二人が『さすが名君』と国民に親しまれている理由は、多くはこの辺にある。かどうかというのはおいといて、少なくとも城の従業員にとってはこうした処置は英断と称えられているのだった。
有能な城スタッフは旅の知らせに狂喜乱舞した後、あっという間に用意を整え、五分後には全ての用意が整えられていた。姫たちもニコニコと城門をくぐった。
「いってきまんもすー」
厄介払い完了の瞬間にとどめを刺され、城内の者はかなりずっこけたが、表面上は何も現れなかった。こうして城の者の精神力は鍛えられ、皆の一体感は高まっているのだった。
「姫は、温泉たまごって知ってるかなー?」
「オンセンタマゴー? わかったー、割ったら温泉ー? あ、おっきくなったらかなー?」
遠くから聞こえる声に不安を抱えながら、皆は仕事に戻っていった……。