ねこみみプリンセス 02 温泉に着きましたー
高く明るい空。季節はこのあいだ桜が終わったばかり。気温は温かく、空と緑はなんだか新しい色をしている。
脇に白い花の咲く道を歩く一同。
先頭に立つ姫のねこみみは、歩くたびにぴこぴこ揺れる。しかし姫は道を知らないので、たまにプラータが引き戻したりしながら歩く道行である。
一行はくだらない会話などしつつ、お昼すぎには温泉行の快速馬車から降り、とことこと温泉旅館までの道を歩いていた。
「姫、温泉は普通のお湯よりあったまるのですよ」
満足そうに幸せそうに、女戦士カサンドラは話しかける。姫とお風呂に。ああ、ひめとおふろに……。背中の流しっことか当然してしまうだろうな。ああああああ。
鍛え上げられた精神力も妄想には勝てず、ほんわかと顔を赤くするLv232剣士。
「温泉はごはんも美味しいんだよ、姫」
笑顔を絶やさない青年、プラータも姫に気軽に話しかける。
「そうなのー? それはまさに、そうがんきょうだねー」
数瞬のち、ああ桃源郷かと全員が認識した。
ため息をついて、使役妖精が肩を落とす。
「なんで、温泉くんだりまで、このオレが……」
自動的についてくるじゃぱん。この使役妖精にはさまざまな制約がかけられており、姫と遠く離れてはいられないのである。
「ああ、じゃぱん君は姿に問題があるので女湯ですからね」
プラータはにっこり注意を促す。じゃぱんは外見はまんまミニサイズの姫なので、男湯ですっぽんぽんになれば国民に動揺が広がってしまう。
「冗談じゃねえ! これ以上バカに付き合ってられるか! 俺は絶対風呂になんか入らねえからな!」
いつものようにキレるじゃぱん。姫はそれを聞き、きゅーと眉を下げながら言った。
「だってー、じゃぱんがいないとー、おフロでだれが、セッケンを渡してくれるのー?」
姫はわけわからんことを言っているようだが、実は筋が通っている。
使役妖精は自ら異空間を作りだし、そこにあらゆる物を出し入れする能力を持っているのだ。
分かりやすく言えば、見えない『四次○ポケット』を持っているのだ。風呂桶も石鹸もてぬぐいも全部じゃぱんが持っている。見かけは手ぶらだが。
「セッケンはなー、自分で持つもんだ!」
怒りのあまり変な説教をしてしまうじゃぱん。
「……ふざけるな」
キーン、と音がする気がした。鋭く冷たい空気がカサンドラから流れる。
「姫の御手がわずかでも、アルカリに傾いて荒れてしまったらどうしてくれる……? そんなことになれば、お前は死罪だ」
明るい温泉街に流血の予感。100%自分が決めた法律によって、カサンドラは裁きを執行しようと柄に手をかけた。
「ああもう! わかったよ! 一緒に風呂場へ行くから、それでいいんだろ!」
あわてて自棄気味に叫ぶじゃぱん。何が怖いって、85%くらいは本気なのが怖い。
「はははははは。僕は一人だねえ。まあ、おさるもいるからいいかな」
「おさるおさるー」
きゃっきゃと、幸せそうに笑うプリンセス。カサンドラはこの男と姫が妙に気が合っているのが、正直面白くない。
しかしプラータは他国の王子でもあり、じゃぱんと違って隙を見せないので、手出しがなかなか出来ないのだ。昔は皮肉なども言ってみたことがあったが、結局サラリとかわされてしまった。
「……カーさん、カーさん」
「は、はい。姫」
「お風呂でお酒もフーリューなんだよねえ。だめー?」
姫の望みなら何でもかなえてさしあげたいカサンドラだが、そのお願いには首を振った。
「駄目ですよ、姫。もう少し大人にならなければいけませんし、お風呂では酔いが、急にまわってしまうのです」
「むー……」
姫は最近、お酒に興味を持っているようだ。兄上たちに少々きつめに禁止されたのが良くなかったらしく、かえって飲んでみたいと思っているらしい。
困っていると、プラータが助け舟を出す。この男はこういうタイミングが、いつもやたらと上手い。
「姫。姫がハタチを過ぎたら、とっておきの大吟醸を持ってきてあげるよ。一緒に飲もうね」
「ギンジョー? それは、甘酒よりもつよいのですかー?」
「強いねー。勝つね」
「むー……。マテウスロゼよりもー?」
「うん。勝つねー」
「アブサンよりもー?」
「うーん。それ違法だからねー」
……。
どこから姫は酒の名前を覚えたのだろう……。四六時中姫の傍を離れないカサンドラにも、一体どこから仕入れたのかわからない知識を姫は持っていることがあった。意味を正しく認識しているかどうかはかなり怪しいが。
ともかく一行は温泉旅館に到着し、浴衣なんぞを着てくつろぎ始めたのだった。
かぽーん。
ふー。
ねこみみとねこみみの間に手ぬぐいを載せるプリンセス。横にはおさる。二匹。人には慣れているようで、気にする風もない。
周りの人間は「プリンセス」「プリンセスだ」と驚き見つめるが、隣にいるカサンドラを見てそっと目を背ける。命はだれでも惜しい。姫の小柄でスラッとした足などは言うにおよばず、ピンクのタオルの端でさえ、客は目に入れることを避けた。
一国の王女がハダカで温泉にいるのは不自然かつ無用心だが、カサンドラがいれば安全は確実である。まあ、安全はともかく、姫は何も考えずにおさると共に湯に浸かっていた。
蒸気で、白い頬が桃色に染まる。ほわほわ。ゆだってきたところで、姫がカサンドラに声をかけた。
「ねー、カーさん」
「はい、なんでしょう、姫?」
「ぶーたんは、一緒に入れないんだねー。おさるははいれるのに」
ピクリと動く、戦士の片眉。
「……プラータ殿は、男性ですからね」
「でも、上にいと、下にいとは入れたのにー」
ピクピクピク。カサンドラはどうしても想像してしまう自分が嫌になる。
「だってそれは昔のお話でしょう? 今は……」
「どうしていまはだめなのー? どうしておさるはいいのー?」
……。
そりゃあ色んなところが成長してしまったからと言う訳にもいかないカサンドラ。こんな時はプラータの軽口が心底うらやましくなる。会話が止まると、姫は困ってしまうから。
返ってこない返事に少し顔をくもらせて、姫はつぶやいた。
「……なんかね、ちがうの」
「な、何がですか」
「昔はいっしょな気がしたの。アニウエたちと。でも今は、違う気がするの。それも、ちょっとじゃないよ。ぜんぜん」
いつもと違う哀しげな口調に、カサンドラはいたわるように尋ねる。
「……どんなふうにですか?」
「いつもどこかくるしそうー……。どうしてかな」
カサンドラは口をつぐんだ。心当たりがあったからだ。
王たちは、知っている。姫は、知らない。
知らないほうがいいからだ。
反響するお風呂場は、沈黙すら飲みこんだように、重い空気をとどめる。
「……姫。王様たちは、お仕事がお忙しいから、疲れているのでしょう。姫がおなぐさめすれば、きっと元に戻りますよ」
「そうなのかなー。……でもうんー、がんばってみるー」
「がんばりましょう」
少し元気が出た姫に、嬉しくなるカサンドラ。
実際は姫がなぐさめたら兄たちの頭痛は酷くなるだろうが、そんなことはカサンドラは気にしない。彼女は姫がよければ、ぶっちゃけこの国がどうなろうと全然かまわないのだ。
「おい! 体洗ったんだろう! もう俺は出るぞ! こんな暑いところに、いつまでもいられるか!」
洗い場のシャワーに腰掛けて、悪態をつくじゃぱん。体には一応ちっちゃいバスタオルを巻いている。実はじゃぱんは、毎日着る服にもチェックを入れられている身である。姫と同じ体ですごい服を着て歩かれたら大変だからだ。
「うるさい。早く出て行け。そら」
近くのセッケンを思いっきり当てるカサンドラ。いい音が風呂場に響いた。
風呂から出ると、廊下でプラータが待っていた。両手には壜をかかえている。
「姫。知ってるかい。お風呂からあがったら、コーヒー牛乳を飲むものなんだよー」
「どうしてですかー?」
「それはね、フーリューだからだよー」
「なるほどー」
心底感心して、冷たいコーヒー牛乳を受け取るプリンセス。
そのフタをじっと見たのち、姫はカサンドラにいきなり壜を渡した。
「カーさん。あけてくれる?」
姫は開け方がいまいちわからないようだ。ともあれその行為で、カサンドラは感動にうちふるえる。
あああ、姫が、姫が私に甘えている……。あまえているわ……。
「勿論ですとも。さあ」
姫が覗き込むと、いつのまにか紙のフタはどこにもなくなっていた。Lv232は伊達ではない。ちなみに姫がカサンドラに持っている感情は、デフォルトで「カーさんすごいなー」が多い。
「次は卓球だよー」
「ああ! ぴこぴこですねー!」
「そう。ぴこぴこだよー」
スリッパをぺたぺた鳴らしてはしゃぐ姫。
こうして、次は舟盛りだよー。次はもっかい風呂だよー。次はゲームコーナーだよー。とか、旅行は和やかに進んでいったのだった。
すぴよぴよぴよぴよ。
姫の寝顔をとっくり見つめ、大満足のカサンドラ。大変たいへん名残惜しいが、カサンドラは部屋を離れた。プラータを中庭に呼びつけてあるのだ。勿論デートではない。
ぺったんぺったん、スリッパは廊下を鳴らす。心と裏腹にのんきな響きだと思った。
「やあカサンドラ。早かったね~」
プラータは先に来ていた。松の木を眺め、ちょっと触ったりしていたようだ。指に松脂がついている。
「で、用は何かな?」
いつものようにゆったりとした笑顔を相手に、カサンドラは、前置きもなく質問した。
「……あなたは、姫がお好きなのですか?」
プラータは最初から質問がわかっていたかのように、わざとらしく首をかしげる。
カサンドラには心配があった。
どんなに仲良くなっても、プラータと姫が結婚することはありえないだろう。確かにプラータの国は大国だしお金もある。しかしそこは長男以外、領地も財産も与えられないシステムなのである。王家の面目を保つ最低限の財産以上のものが欲しければ、養子へ出るしかない。
今のところ、姫が財産のない男の下へ嫁ぐことも、姫の国が養子を貰うこともありえない以上、二人の結婚はありえない。
しかし、姫がどうしてもと望めば完全にありえないわけではないのだ。姫がプラータを好きになったら? 王たちは姫に甘いし、単純な姫はプラータが本気になれば簡単に篭絡されてしまう危険性がある。
だからこそカサンドラは確かめたかったのだ。プラータの思惑を。
プラータは悪戯っぽく笑い、切り出した。
「うーん。ちょっと正確さに欠けるねえ。姫がというより、僕は面白いことが好きなんだよ」
「面白いこと……?」
「姫といると面白い。旅をすると面白い。温泉なんかも楽しいね。じゃぱんや君の反応も楽しくて好きだ」
軽い口調に、軽い思想。いつも通りの態度に、何の食い違いもない。
しかし、どこかこの男には、そぐわない。気のせいなのかもしれない。気のせいで終わればいいのだが、終わらなかった時が怖いのだ。戦いというのはいつもそうだった。
「……私は、姫が大事なのです」
「うん。知ってる」
「あなたは、姫を傷つけませんか。永遠に」
「たぶん」
「誓ってください。この剣に」
「ああ、いいよ。僕は姫を、傷つけたりしない」
あっさりと、カサンドラの剣に誓いを立てるプラータ。
剣を吸い込む、緑の瞳。
じっと、カサンドラはプラータの目をみつめる。わからない。でも、それは初めから決まっていたことのように思える。所詮口ではこの男には、かなわないのだ。
戦士はひとつ、ため息をついた。
「……今日はこのへんで、勘弁してさしあげます」
「それはどうも」
カサンドラは華麗に身を翻し、廊下を去っていった。
プラータはその後姿に、思わず笑みを洩らす。戦士が歩きながら揺らす、姫がぐちゃぐちゃに編んだ三つ編みが可愛かったからだ。
するり、と彼の浴衣の袂から何かが出てきた。
それは姫の使役妖精ジャック・パンサーだった。妖精は小さなねこみみを、ぴこ、と動かし、不敵に笑った。
プラータは自らもくるりと身を翻し、つぶやいた。
「……誓いに嘘をつく人間もいるんだよ。カサンドラ」
旅館のどこかで、子供が泣いている声がした。プラータは小さく笑う。楽しげに。
「……誰が泣かせたのかな? 悪い奴だね。それとも勝手に泣いたのかな」
小さな姫の姿をした妖精は浴衣をはだけさせながら浮いている。いつも通り、どこか不機嫌そうに。
「ふん。白々しいなお前は。……取引の続きを話そうぜ」
そんなことになっているとは知らず、部屋に戻ったカサンドラは、帯が首に巻きついてとんでもない寝姿になっている姫君を、あわてて修正したりしていたのだった。