温故知新~今も昔も変わりなく~【書評・第49回】 キケロー『老年について』(講談社学術文庫,2019年)
作家・塩野七生氏の手にかかるとキケローはカエサルの引き立て役の如き者として扱われがちで、塩野氏のキケローに対する評価はせいぜい中の下くらいのようだ。ハードカバー・文庫どちらも大変よく売れた『ローマ人の物語』は氏のその独特の批評眼に基づいて書かれている。作品のなかで、「この連作の通し表題を『ローマ人の物語』つまり「ローマ人の諸々の所行」としたことが示すように、人物を描きながら時代を描くことにある・・」(ローマ人の物語8文庫版p142)と告白しているように、その人物の選定にあたっては氏の好みが当然ながら強く反映されているのだ。もちろん、それが読み物としての面白さを際立たせることに成功しているし、だからこそよく売れているのだろう。氏のユリウス・カエサルに対する評価はとても高く、彼を中心にしてその時代を描いている。いわゆる聖人君子などではまったくなかったカエサルの行動、知性、知恵(悪智恵を含む)、教養、求心力、魅力、胆力、豪胆さなどをリズミカルにテンポよく書いていく。さらに、女性作家からの独特の批評なのか、カエサルを「女にモテただけでなく、その女たちから一度も恨みをもたれなかったという稀有な才能の持主」(同書p210)であったとして、そちらにもスポットをあてつつカエサルのそれにまつわる行状をどこか美徳らしく扱うのだ。
カエサルは生涯を通して天文学的な借金をこしらえたが、それは女性への贈物だけでなく、街道の修復といった公共事業、剣闘試合の主催、選挙運動などに散財した結果であり、自分の財産を増やすためではなかったと持ち上げる。そこでは何故かキケローが引き立て役で登場させられるのだ。
「・・キケロのように借金までして、ローマの一等地パラティーノの丘に豪邸をもったり、イタリア各地に八つもの別荘を購入したりはしなかった。カエサルの不動産への関心は、ローマの心臓部であるフォロ・ロマーノの拡張をはじめとする公共事業ばかりで、私用に造ったテヴェレ西岸の庭園も、遺言でローマ市民に寄付している。この男は、自分の墓にさえ関心がなかったようである。事実、彼の墓はない・・」(同書p214)
そして、別の箇所ではカエサルのことを一言で「・・・生涯を通じて、公的にはストイックでも私的にはエピキュリアンでありつづけたカエサルである」(同書p86)と喝破している。(エピキュリアン=享楽主義者)
このようなカエサルの評価の仕方やアプローチは面白いとは思う。ただ、私自身はカエサルのような人物に「公的」と「私的」の線引きを適用したところで、レトリックとしては良いが、その人物と歩みを言い充てるには無理があるように思う。カエサルはこの線引きが根本的に意味をなす人物だったとも思えないのだ。
さてここではカエサルが主人公ではない。それよりも引き立て役にされたキケローのことを私としては少しばかり触れたいのだ。当代随一の知識人で多くの著作をのこしたキケローは「哲学者でありエッセイスト、弁論家であり教師、政治家であり政治屋、家庭人であり友人、また有能な翻訳家であり決して拙くない詩人、膨大な数の書簡の書き手であり機知で名高い人、村荘を所有する田舎の紳士・・彼のその全生涯は、哲学的諸作のための準備であると言えるかもしれない」とある人は書く。(MacKendrick 1989, p.1)
キケローは名門出身ではなくいうなれば田舎者で新参者。それでも巧みな弁舌と論理の力を以って弁護士として成功し、43歳という年齢でローマの執政官という最高官職に到達した。キケローは自ら「善き人々」と呼んだ穏健な元老院議員で構成される元老院、加えて、騎士、平民といったそれぞれの身分の協和に基づきつつ、元老院を主導とする共和制ローマを如何に守るかがその政治的信条であった。ただ、キケロー自身は執政官以後、激しい政治的闘争に勝ち続けることは出来ずに落ち目ともなっていく。そして、カエサルに敗北して政界から遠のきその頃から著作活動を本格化させた。キケローが書き残したものには「国家について」「法律について」「弁論術分類」「ブルートゥス」「弁論家」などいろいろあるが・・・その中で「老年について」といった作品がある。これはキケローの作品中でもよく読まれ且つ評価が高いものだ。タイトル通り人間の老年を扱ったものである。一応対話形式とし作品のなかではキケローが自分よりもかなり前に活躍した「大カトー」なる政治家の口を借りて、老年とはいかなるものかを滔々と述べるスタイルだ。対話形式とはいいつつも「大カトー」が9割以上話をして、話し相手のスキピオ―やラエリウスはほとんどお飾りのような扱いだ。前半で老年の境涯を若年とは異なり、体力の衰え、欲望の薄れなどはあるがそれが悪いものではなく悪くないと肯定する。そして、老年なりの楽しみも大いにあると述べる。キケローはいう。
「喩えれば、舞台のかぶりつきの観客のほうがアンビウィウス・トゥルピオー(*)を観る楽しみは大きかろうが、最後列で観ている観客にも楽しみはあるのであって、それと同じように、快楽を間近に見つめている若者の喜びのほうがおそらく大きいのであろうが、老人もまた、それを遠くから眺めながら、十分なだけの喜びは得ているのだ。だが、性欲や野心、争いや確執、またあらゆる欲望の、いわば苦役を果し終えて、精神がみずからに立ち返り、よく言われる言葉を借りれば、みずからとともに生きるのは、どれほど大きな価値のあることであろう。まことに、仕事や学問のいささかの糧とも言うべきものがあれば、閑暇のある老年ほど心地よいものはないのだよ。」(*大カトーと同時代に人気俳優)(14・48)
だが、それは老年すべての者に当てはまるわけではないとも厳しく突き放す。
「とはいえ、忘れてもらっては困るよ、これまで語ったすべての話で私が賛辞を呈している老年は、若いころの礎の上に築かれた老年だ、ということをね。このことからは、また、こういう見解も導き出される-これは、かつて私が語って、居合わせていた全員の賛同を得たものだが-、言葉で繕い、弁解しなければならない老年は哀れな老年だ、と。威信というものは、白髪になり、皺ができたからといって、いきなりつかみとれるものではない。それまで立派に送った生涯が最後の果実として受け取るもの、それが威信というものなのだ。挨拶されること、探し求められること、道を譲られること、立ち上がって迎えられること、行くにも帰るにも誰かに先導されること、相談されること、こうしたことは大したことではなく、ありきたりのことだと思われようが、まさにこれこそが名誉の証なのである。・・」(18・62)
なお、キケローはいわゆる現代でも巷によくいる「頑固じいさん」については次のように喝破している。
「しかし、老人は偏屈で、心配性で、怒りっぽく、気難しい。さらにあら探しをすれば、欲深くもある。だが、それらは性格の欠陥であって、老年の欠陥ではない」(18・65)
なるほど、確かに若くても偏屈で心配性、怒りっぽい・・・の人はいる。性格の欠陥を老年の欠陥と結び付けて一緒くたに論じるのは避けねばならない。なお、大カトーの口を借りて、自分の老年に対する思いを書いたキケローは十分に老年を楽しむことができたのだろうか・・・実のところ、キケローは政争に巻き込まれて暗殺され63歳で生涯を閉じているのだ。だからといってこの作品の価値を落とすわけでもない。私自身は頑固じいさんにならないように今からの礎に気を付けて生きていこうと思う。
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筆者:西田陽一
1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。