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作業療法と俳句

2020.08.14 07:40

http://ryureha-ot.hatenablog.com/entry/2017/08/17/225147

【「第1回作業療法学科俳句会」をやってみました!】  より

作業療法学科の学生さんは、専門知識や技術の獲得を目指して、日々学業へ励んでいることは言うまでもありません。その中で、「基礎作業学」という科目では、様々な作業を実際に体験、分析をして、どのようにして治療へ活かすかを学んでいます。今回は、その中で実施した「俳句を詠む」作業へチャレンジしてもらいました。「つながり」をテーマに、それぞれ思い思いの俳句が仕上がり、学科の先生方で品評会もさせていただきました。俳句は、その詠む人の心情が表出される作業の一つです。学生さんたちが今何を考え、何も思うのかがわかる良い機会となりました。個人的には第2回、第3回と継続していければと考えています。今回詠んでもらった句を掲載しますので、是非ご覧いただきたいと思います。


https://toda-hp.jp/activity/oc/2017/06/29/777 【第3病棟 6月期レクリエーション 「俳句大会」】  より

第3病棟(男性閉鎖病棟)では毎週1回、看護師主催のもと、作業療法士や病棟スタッフが連携して運営する病棟レクリエーションを行っています。

6月のレクリエーションは毎年恒例、俳句大会。

患者様、病棟職員より病棟での出来事や時事ネタを交えた句が多く集まり病棟ホールで発表会を行いました。

自分の考えた句を「ちょっと面白くないけど・・・」と遠慮がちに発表する方もいれば、1人で10句以上発表する猛者も。

発表された俳句の中には、季語や難しい単語を使った句もあり、「表現が凄いと思う」と注目を浴びていました。

発表後、発表者に俳句への感想を伝えたり、お気に入りの俳句を筆ペンで和紙に清書したりと各々が楽しんだ俳句大会となりました。


https://blog.goo.ne.jp/nbg02217  【暴漢と俳句】

昨年の9月に暴漢に襲われてから丸1年を経過したが、以来体調も勝れず作句意欲もかなり落ち込んでいる。この状況を何とか早く脱出したいのだが、最近は足も萎え、眼の状態も余り良くない。

自分史の一部となる俳論『つれづれ俳句雑感』は何とか4校まで進んだ。月末には上梓出来るだろう。一段落して作句意欲も蘇るかも知れない。追って上梓報告を纏めたい。

第一句集上梓しました

去る1月下旬、第一句集「航(もやい)」を上梓した。平成29年から選句編集作業を続け、途中結社舞の芭蕉研究「おくのほそ道」等の原稿執筆のため中断していたが、一年をかけて一冊に纏めた。搭載句数400句と、多くの先輩諸氏の句集よりも句数が多くなってしまったが、自分史を兼ねるという編集方針からは妥当な句数ではないかと考えている。

句集上梓に際しては、結社舞主宰の山西雅子先生から懇切なるご指導と共に、俳句としての表記や仮名遣いについての校正や添削、更には各俳句の並べ方までご指導戴き、完璧な句集に仕上げることが出来た。また、沖まで遠望するカバーの装丁は、喜怒哀楽書房の木戸敦子氏や菅真理子氏のご提案により、これもとても良い形になったものと思う。

帯文は、舞誌編集長であり、筆者の句友でもある今井とんぼ氏に纏めて戴いた。筆者の心象を的確に言い当てており、句集「航」に相応しいものになった。

上梓迄に戴いた各氏のご協力に感謝したいと思う。

現在までに謹呈させて戴いた方からの反応はとても好意的であり、筆者にとっても大変喜ばしいことであった。特に、十数年前の小学校教員時代の教え子からの謝辞は涙がでる程嬉しかった。俳句を遣っていて良かったと思う。今後出来るか否かは別として、次の第二句集編集に繋げる気力にもなった。有り難いことである。

二年越しのブログ更新が、句集「航」の上梓報告になった。向後暫くの間は、俳論「つれづれ俳句雑感」の編集と、中断していた「東海道吟行記」等、本ブログの記事の更新をしたいと思っている。

「舞俳句会」舞岡吟行句会(平成29年9月6日)

横浜市戸塚区所在の「舞岡ふるさと村」は、横浜市指定の二つのふるさと村の一つであり、横浜市の略南東に位置し、千年以上も続く田園地帯である。かっては、徳川家康の旗本蜂谷氏が所領していた場所だが、現在まで殆ど都会化されずに自然が残されている。このふるさと村の奥に続く谷戸田の周辺には七カ所程の水源(湧き水)があり、下れば舞岡川に出て柏尾川へ流れ、更に江ノ島まで続いている。柏尾川は、昭和50年代までは、国道東海道線にある江戸方見附当たりで度々氾濫を起こす暴れ川でもあった。横浜市指定のもう一つのふるさと村は、「寺家ふるさと村」で、横浜市の北西、青葉区に所在し、町田市と多摩川に接している。「舞岡ふるさと村」とは、横浜市中央部を挟んで対象的な位置にある。

「舞岡ふるさと村」は、結社「舞俳句会」の発祥の土地であり、結社揺籃の時期から吟行地として盛んに訪れていた。また結社の歴史的行事として、毎年9月には必ず舞岡吟行会を予定しており、筆者の筆により時々、舞岡史の紹介文を結社誌にも掲載している。

今年の舞岡吟行会は、9月6日(金)に実施した。生憎の雨催いではあったが、遠くは東京からの参加者も加えて盛会に行われ、ふるさと村にある「虹の家」で2句投句2句選で句会を行った。当日の成績。

主宰詠:君あらず鵯花の咲けばなほ

主宰特選:草むらを分けて露草脚長し

(主宰推薦:7句)

梨売りの娘一人の販売所

秋風や水口世々に水守る

稔り田の一角を風乱れ舞ひ

草の花ことば貧しく老いにけり

小流れの湧き出す所秋茜 呑舞

虚栗誰も拾はず見向かれず 呑舞

ハム燻す桜チップや天高し

秋雨や鎮守の杜の闇深し

四阿に昼餉の笑ひ竹の春

特選句、並選句は省略。

今回は、2句投句して2句推薦句 (両句とも会員による特選)に入選することができた。地元在住の俳人としては、自慢する程ではないかも知れない。依頼原稿の執筆が多くて、ブログアップが大幅に遅れてしまった。9月は、30日締め切りの原稿が多く、更に、結社の研究会の講師を引き受けているので、時間的に余裕が無いのが残念。


巨星逝く(日野原重明先生追悼)

日野原重明第一句集『百歳からの俳句創め』

2015年5月横浜みなとみらいでの講演会風景

筆者の心の師でもあった日野原重明先生が去る7月18日の朝呼吸不全で亡くなられた。つい先日まで、今年10月4日106歳の誕生日を楽しみにしておられたことが夢のように感じられる。先生の医師としての業績は既に周知の事であるが、オームサリン事件の時、救急の陣頭指揮にあたられ、600余の患者の治療に専心された事は、特に有名である。

  また先生は、98歳を過ぎても色々な事に興味を持たれ、俳句やその他の文芸にまで意欲を示されると共に、「新老人の会」作り、各所の会合に出席され、更に毎日メール通信により励ましの言葉を送り続け、多くのシニヤ世代に勇気と希望を与える努力をされて来た。

   駆け巡る新老人会年暮れる

  先生は、常々「創めることを忘れぬ限り、人はいつまでも若い」と言う言葉を使われて来た。この言葉は、元々はマルティン・ブーバーの言葉だが、先生ご自身の実践であったと考えられる。また、何か新しいことを創めるのに遅いと言う事はない、とも言われていた。その証が、俳句創作活動になり、2014年には第一句集を上梓される事に繋がっている。下の写真は、先生が103歳の時に横浜みなとみらいで講演された時のものである。車椅子で入場された先生が壇上では立った姿勢のまま1時間に及ぶ講演をされた事が印象的であった。

  先生が俳句を創めると宣言されたのが、98歳の時であったと記憶している。その時、印象に残った御句は、2008年新年7句として詠まれた、

    初御空我上り坂米寿超え  (米寿は達成目標ではなく関所のひとつ)

    私には余生などないよこれからぞ

と言う二句である。如何にも先生らしい前向きな姿勢が読み取られる。その後、「俳句療法学会」を設立され、医療に俳句を取り入れると言う新しい試みに挑戦された。更に、先生の興味は、若者を凌ぐ広さをお持ちであった。100歳になられた2012年頃には、

    百歳は私の関所ゴールでなく

    早々と晦日前後に作家目指す

等と詠まれ、童謡、童話作家になる決心を述べられている。また、限りない精神的な若さや行動力を維持されており、この頃トンボ帰りのイギリス行きを決行されたり、2013年にはマンハッタンでヘリコプターる搭乗したりされている。

    イギリス行二日スティのとんぼ返り

    ヘリに乗りマンハッタン見下ろす百二歳

  また、ユーモアも人一倍旺盛で、

    露天風呂扇のかなめに股開き(川柳)

    百二歳スピード狂に歳はない

  この句は、富士の裾野にある「富士教育研修所」へ通われていた時のもので、先生は「ドライバーも乗っているが、私もスピード狂で、年50回程東京から東名高速を飛ばして研修所まで行き、医学教育学会主催の中堅医師のためのワークショップの講師を務め」られていた。「スピード狂の私は時速百キロでいつも心が弾む」とも述べられていた。恐れ入った精神力、行動力をお持ちであったことが伺える。

  亡くなられた今、ご自身のお言葉通り、天空の星に成られて我々を見守って頂けるものと思う。心からご冥福をお祈りしたい。合掌

    

   夢追ひし人の逝きけり星涼し    呑舞


『俳句』 7月号と現代俳人名鑑Ⅲ

今月号で特に目を惹いた記事は「若手俳人競詠10句」である。22歳~44歳までの若手俳人29名の10句抄が集録されている。年配者には出番が無いことに些かの寂しさを伴うものの、俳句界の次世代を担う若手俳人が育っていく事に頼もしさを感じる。特に、29名の中には筆者と関わりのある若手俳人も数名混じっており、尚更ながら親しみを感じた。その中には筆者所属の結社「舞」に関わる俳人、小川楓子氏、涼野海音氏やFB友達の能美顕之氏も含まれている。何れも日頃から筆者が知るご本人の俳句感が溢れており、夫々の作風の違いも明確である。たかが17文字の世界で、詠者によって此れだけの違いが表現される事に俳句に関わる一人として大変面白さを感じた。小川氏と涼野氏は既に斯界で認められた俳人であり、「現代俳人名鑑」にも10句抄と共に紹介されている。能美氏は、現役の宗教人で西本願寺系のお寺の住職でもある。筆者も西本願寺の教義に少しばかり関わっており、そう言う意味では同門かも知れない。

また、今月号付録の「現代俳人名鑑Ⅲ」には、筆者の師匠でもある山西雅子氏が10句抄と共に紹介されている。何れの方の句を読んでも筆者との感性の違い、歳の違いを感じさせられる作品が多く、筆者の出番は既に終わったと言う思いである。筆者の好きな句を下記する。

山西雅子詠(現代俳人名鑑Ⅲより)

冬空を緋色の靴の落ちくるか 『夏越』

芋虫にして乳房めく足も見す 『夏越』

石鹸玉まだ吹けぬ子も中にゐて 『沙羅』

小満のみるみる涙湧く子かな 『沙羅』

喜びの米といふありこぼしけり 『舞』

小川楓子詠(競詠10句抄「一輪車」より)

夏の雨イヤフォンをして昼ごはん

六月のキリン寂しいかと父は

ひやうふつと潮風のきて蜘蛛の糸

夏シャツの乳を授ける日あたりに

夕涼のくきくきとゆく一輪車

涼野海音氏詠(競泳10句抄「アメリカの地図」より)

さるぼぼの大きな頭春立ちぬ

五月来る森の中なる神学部

山頂に来て蟻地獄ひとつのみ

アメリカの地図を開いて端居かな

小鳥来るオリーブ園の坂の上

能美顕之氏詠(競泳10句抄「立夏」より)

職人のリズムに遠き蛙かな

立ち話終らぬ気配藤の花

落武者に始まる寺や風五月

新聞の風にはらりと夏に入る

よく見れば毛虫にいのちありしこと

一読語、夫々の方の個性が明確に表れていることに驚き。俳句にも個性が滲み出る。小川氏の句は何れも女性らしさ、若い女性ならではの個性に溢れる。涼野氏の句は、何方かと言うと伝統的な客観写生に近い詠み方である。また、能美氏の句は、下地に宗教者らしい感覚が溢れている。筆者の感想ではあるが、今後も夫々の個性が生かされて独自の俳句道を進まれるものと推察した。

上記各氏に比べお恥ずかしい拙句。先週の松山俳句ポスト佳作入選作(夏井いつき選)。もう少し修行が必要。法律の論文書きの方が得意なので、仕方がないか。

白靴を汚さぬやうに歩きけり 呑舞


俳句雑誌『草の花』 6月号

『草の花』は、藤田あけ烏を師系とし、現在、名和未知男先生が主宰をされている。現在、大阪、名古屋、宮崎まで句会を展開し、主宰は満遍なく各地を訪問され、地方の吟行会にも出席されている。筆者は、『草の花』の講読会員に近いが、時折、横浜句会に参加させて頂いている。この2月程は、椎間板ヘルニヤ治療の為、句会には出席できないでいるが、毎月の投句は略継続している。

【今月のあけ烏句】

にはとりを撫でて六月二日なり

梅は実になりて机の狛土鈴

苗取の水おもしろく捌くなり

【「さねさしの」名和未知男】

黄心樹の咲き降臨の宮薫る

花曇り神降り立ちし峰遠き

知覧てふ名を畏みて一番茶

放屁一発春風の比企郡

亡き父の生まれし日なり蝶生まる

さねさしの相模の風や青き踏む

【今月の拙句】

(草の実抄:特選)

啓蟄や一日は本の虫となり

(草花抄:入選)

分け入つてまたその先も春の山

春愁や大空襲の記憶なほ

深川や三月十日落椿

亀鳴くを信じて探す谷戸の池

※筆者は、東京深川三好町生まれ。3月10日大空襲の被災者である。戦後70年を経て、この記憶を消す事が出来ない。現在の政局は、戦前回帰を企図している様だが、時間を巻き戻すことを容認する事は出来ない。

金子敦著句集『音符』

金子敦氏から句集『音符』が送付されて来た。表紙見開きには達筆な毛筆で句集中の一句の染筆をして頂いている。金子敦氏は、FB(フェイスブック)を通じて友人となった俳人であり、偶然にも筆者とは極めて近い所に住まわれている。まだ実際にはお目に掛かった事はないが、FB上に投稿された氏の記事からは、その人柄の良さ、優しさが伝わって来るような人物である。と言う事もあって、句集が手元に届くまで大変楽しみに待っていた。

句集『音符』は、想像していた通り、装丁からも明るい清々しさが感じられる。内容は、2012年から2016年までの5年間405句が年代順に編集されており、2016年作が157句と全体の三分の一強を占める新作に力点が置かれている。全体を読み通して感じたことは、日頃から作者について感じていた通り、その人柄の良さが滲み出るような優しい暖かな感じを受ける句で占められており大変好感が持てる。何れの句も作者の日常や身の回りの事象を詳細に、かつ愛情深く観察して句材にされており、平易な表現でありながら主観の入らない的確で透明感に溢れる詠み方をされている。また、季語の本意を十分に生かした作句も、特に技巧が凝らされている訳でもなく、自然と読者が句の情景の中に引き込まれる様な詠み方である。これは、作者の人柄だけでなく、作句に際して身近な事象に対する自然な向き合い方と経験の積み重ねによる作句力の高さから来るのかも知れない。最近、FB上に限らず、難しい言い回しや珍奇な比喩、難語を使用した目眩らまし的な句を目にすることが多いが、金子敦氏の句は、極めて素直、誰が読んでも美しい詩情を感じることが出来る。また、何れの作品も「景」が良く描写されていて、良く見える。失礼を省みずに言えば、俳句の教科書にでもしたい様な句集である。到底未熟な筆者の及ぶ所ではない。ただ、作者は、猫好きと聞いていたが、猫を句材にものは意外と少ない感じもした。また、作者は多趣味な方と拝察した。音楽(カラオケ)やデッサン等。従って、措辞中にカタカナ文字が目立つことも一つの特徴である。

通読して筆者の共感を呼ぶ好きな句を書き出してみたところ、60句余りに達した。勿論、他の句が良くないと言う訳ではない。無理に選んでと言う事である。これを本稿に全部書き写すことは到底無理なので、更に好きな句を選らばせて頂いた。筆者は、俳人と言うより、法学者であるから、選句、鑑賞の仕方にも自分の本質や癖が影響している事を予めお断りしておく。以下に、大まかで勝手な分類ながら、俳句の主題毎に年代に分けて紹介して見たい。同じ主題による作品でも年毎に微妙に変化している事が分かる。作者は、今後も益々作句力を向上させて行くに違いない、と拝察した。

【少年の心を感じるような句:作者の心情か、ご自分のお子さんか】

(2012年作)

太陽より大きく画かれチューリップ

三拍子で弾んで来たる雀の子

夏休み粘土はどんな形にも

恐竜を組み立ててゐる夜長かな

(2013年作)

泣きじやくりながらバナナ剥いてをり

ピアノ弾くごと指動く昼寝の子

(2014年作)

紙雛にクレヨンの香の残りけり

開きたる絵本の上のバナナかな

ひとすじの涙の跡や昼寝の子

お釣りでしゆといはれ落葉を渡さるる

(2015年作)

ジャグリングのごと筒放る卒業生

をさなごの手によれよれのつくしんぼ

翼めく肩甲骨や水着の子

(2016年作)

縁側に座敷わらしの夏帽子

【猫:作者はかなりの猫好きである】

(2012年作)

恋猫が古き手紙の束を嗅ぐ

(2014年作)

猫のゆく方がすなわち恵方道

にやむにやむと猫の寝言や神の留守

(2016年作)

猫可愛いと言はれ可愛くなる子猫

【音楽:カラオケがご趣味で常時高得点を取られているとか】

(2012年作)

まんさくやト音記号の渦いくつ

(2013年作)

シンバルの連打のような残暑かな

秋薔薇にボサノバの音滲みけり

春を待つ八分音符に小さき羽

(2015年作)

ティンパニを叩けば風の光り出す

カスタネットまでたんぼぼの穂絮飛ぶ

(2016年作)

RとL発音練習ラフランス

【家族:母上は亡くなられている】

※家族に対する愛情に満ちている。

(2012年作)

亡き母のメモの通りに盆支度

(2013年作)

雪の夜や父の部屋より紙の音

(2015年作)

望の夜や父の書棚に吾が句集

半分に割り焼薯の湯気ふたつ (奥さんか?、お子さんか?)

【作者の思想(社会詠):現在の世相に対する作者の心情が詠まれた句は少ない】

※僅かに2句があり、「反戦」の心情が読める。

(2016年作)

焼薯を剥き配給を語る父

雑炊やラジオに流れ反戦歌

上記してはいないが、本句集の題号となっている〈巣箱より出づる音符のやうな鳥〉は、極めて完成度が高い秀句であると思った。確かに、小鳥が巣箱から飛び立つ様子は、音符のように見える。小鳥を「音符」に見立てる等と言うことは、音楽に関わっている俳人でなければ発想出来ないだろう。

本稿は、現在の所、まだ未定稿である。更に、読みを深めてみたいと考えている。こんなにも身近に句材を求めることが出来る事に大変感激した。俳句詠みとしては見習うべき作句姿勢であると、自分の理屈っぽい俳句を反省している。感謝である。

(平成29年5月24日記)