自分の死期 ~野口晴哉先生語録~
《野口晴哉語録より》
私は大勢の死ぬ人に会えましたので、その人達に、自分がいつ死ぬかどうか判っているかを訊きますと、十人のうち九人くらいの人は、外れます、それは他人の言葉を標準に判断しているからです。
「あの人に、もう三ヶ月ぐらいしかもたないだろうと言われたから、三ヶ月くらいの命だろう」というように、他人の言葉や他人の考えを元にして判断して言いますが、そういう他人の言葉を無視して、じっくりと自分の感じだけで言う人は、十人のうち一人か二人は必ずいる。
そういう人はみんな自分の死期をちゃんと知っている。だから自分の体の感じを素直に聴いている人は、みんな自分の死ぬ時期を知っていたと言っていい。
どうしても判らない人は、意識して死ぬつもりでいただけで、まだ死ぬ時期ではなかったということです。
だから意識以前の心の中では、健康と病気はスッキリ分けられている。いや死ぬことまで判っている。だから動物は死ぬときに姿を消すのだと思う。
醜態を見せようとして電報を打ってまで人を集めて、みっともない格好を晒すのは人間だけです。
その点象などはよほど綺麗である。
醜い姿を人目に触れないように姿を消す慎みがあります。
人間のように意識する心が余り多くなってくると、モウモウと雲が立ち込めているような状態、つまり意識で生活している。そして教育ということで意識でやっているために教育で方向を与えてもその通りにならない。
「悪いことはするな」と言う側から煙草を吸っている。「煙草は体に悪いんだけどね」と言いながら吸っている。また、「嘘はつくな」などと言っていながら嘘をつく。
「善事を成して悪を成さず」ということは子供のときから知っていても、六十になっても七十になっても実行できない。
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by Hitomi スマホ