東京タイムトラベル
私のお父さんとお母さんはもう何年も前から、家族4人で住むには3LDKとは名ばかりの窮屈な、だけど一般的なこのマンションの一室で一緒に生活しながら、ほとんど口をきいてない。
小さい頃は割と家族4人であちこち出かけてたんだけど。
そんなお父さんとお母さんのことを、口をきかなくなり始めた頃こそハラハラと様子を見ていた私だけど、今となってはかなり醒めた目で見てる。
大方の原因はお父さんにあるみたいだけど「対人関係において片方だけが100%一方的に悪いことなどあり得ない」ということをどこかで知識として得ていた私は、一概にお父さんだけが悪いとも思ってない。
お父さんは昔から無口な人で、仕事から家に帰るとお酒を飲んでテレビを見て寝ちゃう。お母さんに相談もなく職を転々として高額な物を買ってきちゃうところがあることは知っていたけど、私たちに暴力を振るったりするようなことはなく、金髪にピアスだけど普段はどちらかと言うと大人しい人に思える。
お母さんは昔は明るく優しく元気なママで友達も多く社交的って印象だった。それがいつ頃からかだんだん塞ぎ勝ちになってきて、最近では休みでも外出しない日も珍しくない。それでも普段は元気で、口うるさく小言をよく言われるけど私たちの面倒を見るのはいつもお母さんだったし、14歳になった私にも未だに冗談交じりに「可愛いね」と言ったり出かける前には必ず「気をつけてね」と声をかけてくれる。在宅で仕事をしながら、家事も1人でほとんど全てやってる。それについてはお母さんは家族によく文句を言っていたけど、それでも私たち家族は隙あらば家事を押し付け合いさぼって、結局私たちがさぼった家事は当然のようにお母さんがやってる。
お母さんは私を14年ほど前にこの世に産み落とし、妹を12年ほど前に産み落とした。
世話しなく家事や私たちのお守りをするお母さんを、お父さんが積極的にサポートする姿はあんまり見たことはなかった。
私と妹も、そんな2人を見て家事を積極的に手伝おうなんてことも特になかった。
「この2人はなんで結婚したんだろう」という私たちぐらいの思春期の子にありがちな疑問は、当然私の中にも浮かび上がった。
だけど、その疑問が浮かび上がった頃には2人の関係は既に悪く見えたし、私がそれを口にしたことはない。
ただ、お母さんと他愛もない雑談をしていた時に、結婚式では既に私がお腹の中にいたことを知った。
知った当時は「私も二人の式に参加していたんだ」っていう高揚感があっただけだったけど、今となっては2人が結婚した原因は私だった“せい”だったのかなと、時々思う。
とは思うものの、両親が結婚した責任まで子供である私が負う必要もないと思うほどには、私は醒めている。
今朝いつものようにダイニングに続く部屋で目覚めると、朝日が差すうちのダイニングに2つの影がぼんやりと見えた。
寝ぼけ眼が覚めてくると、2つの影の正体はお父さんとお母さんがダイニングで2人で仲良さげに話をしてる姿だった。
ここ何年もろくに口をきかず、話す時は離婚をするかしないかという諍いでしかなかったお父さんとお母さんが、お互い大切な人を見る目で見つめ合ってにこやかに談笑してる。
ずっと幼い頃は父の朝食や昼食の弁当も欠かさず作っていたお母さんだけど、お父さんがいとも簡単に手をつけずに過ごすことに堪えられず、作るのを止めたと少し前に言っていた。「ごめん」も「ありがとう」もなく、ただテーブルに丸々残されている食事を見ると、虚しくなるんだって。
私と妹にはいつもフルーツ、サラダ、トーストにスープ、それに紅茶や白湯など食べきれないほどの朝食を今でも用意してくれるけど、お父さんは今は私や妹が起きる頃にはもう仕事に出かけていて、お母さんが作った朝食を食べる姿を目にした記憶はあんまりない。
だけど今朝は、お母さんがいつも私と妹に用意してくれてるような朝食を2人分用意して、2人で朝食を取ってる。
それに、いつもなら「おはよう」「おかえり」「おやすみ」なんて声をかけてくることのないお父さんが、私と妹を起こしたことのないお父さんが「おはよう、もう起きな。」とダイニングから声をかけてくる。
お母さんはそんなお父さんのことを、近年お父さんに向かって見せたことのないような幸せそうな笑みを浮かべて見つめてる。
私はノソノソと起き上がって、もしかしたら誰かにとっては当たり前なのかも知れない、でも我が家にとっては異様なこの光景を目にして、涙が出るほど嬉しかった。
少し涙が出てきていたけど、お父さんお母さんに見られたくはないから、急いで洗面所に行った。
そんなことはとうに望んでないはずだったんだけど、結局、私はお父さんとお母さんにただ仲良く過ごしてもらえれば良かったんだ。
洋服やお気に入りの声優さんたちのグッズや出演するDVDがもっと欲しいとは思うけど、それよりも何よりもお父さんとお母さんが仲良くしている姿を見れたことが泣けるほど嬉しいなんて。
自分の醒めた感情は醒めていたんじゃなく押し殺していただけで、本当はずっとそこにあったんだ。
洋服やDVDは欲しいけど、今はそれをねだるのはやめておこうと思うぐらいには私は喜んでた。
父が食事の席に着いているうちにと、急いで洗面所から戻り、気分がいいので、いつもはしないが妹のことも起こしてあげた。
久しぶりの家族4人の朝食を味わった。
いつもより美味しい気がした。
アラームが鳴り目が覚め、つい今しがた見ていた幸せな夢を反芻する。
・・・そうか。夢か。
・・・そうだ。夢だ。
結局、父と母は私が14歳の年に離婚したのだった。
長年冷戦を続けていたものに終止符を打ったのは、父が家にお金を入れなくなり、母の収入だけではもうこれ以上はこの家に住み続けられない、ということだった。
母の口から離婚したことを後悔する言葉を聞いたことは一度もなかったが、離婚してすぐの頃「仲のいい家庭を築いてあげたかった」と言ったことを覚えている。
私が見た夢は叶わなかった父と母の並ぶ朝食の夢だった。
夏の早朝、乱立する高層マンションの一室で、あの夢で見た優しい光は薄明るく室内を微睡ませる。
私はスマホを手探りで探す。
まだ朝の6時前。
隣に寝ている夫を起こすにはまだ早い。
私はそうっとベッドから抜け出すとキッチンで湯を沸かす。
昔、母が毎朝用意してくれた白湯や紅茶を、今は私が家族のために用意する。
もう少ししたら夫を起こし、このダイニングで2人で白湯を飲むのだ。
そして、白湯を飲み終えた夫が子供たちを起こしに行く。
子供の頃に叶わなかった私の夢は、今、私の日常に優しく寄り添っている。
母が私たちに見た夢は、叶っただろうか。