デイケア俳句会
http://www.sapporo-ohta.or.jp/www/AB/haiku.a-5.html 【山の手デイケア俳句会第五集刊行に寄せて】
山の手デイケア俳句会第五集刊行に寄せて
1.
山の手デイケアの俳句会が二年目を終えようとしている。小さな積み重ねが、長い歴史を作ってきた。参加者の頭には「毎週木曜日は俳句の日」という位置づけができているはずである。次の木曜日までに俳句を作らなきゃ、という思いがあるからこそ、周囲の光景を注意深く見ようとする。そして得られた発見や感動を575にするのである。俳句は、句作する者の目を外に向けさせる力がある。その力は憂鬱や苛立ちや悲しみに捕らわれた人間を解放し、快い感情へと誘導するものである。少年犯罪や中高年の自殺が多発し、経済的な基盤も不安定な、極めて混迷した時代を我々が生きていくためには、視点を変えることが必要である。暗いニュースに意識を奪われてはいけない。周囲を見渡せば、川は流れ、鳥は空を飛び、山は威風堂々としてそこにある。自然は破壊されながらもまだ人間を見捨ててはいない。自然の美しさは心の荒廃を防ぐ偉大な機能がある。そしてその機能を引き出す手段として、俳句がある。だから俳句会は絶対に無くしてはいけない。絶対に存続させていかなくてはならない。
私は第三デイケアに異動するに当たり、山の手デイケア俳句会を上島有美子さんと山下佳代子さんに引き継いだ。このお二人の力で、俳句会は楽しく、明るく、にぎやかな会であり続けた。また工藤部長には俳句会をあたたかく見守って頂いた。院長先生はお忙しい中、俳句集にご丁寧に目を通して頂いた。俳句会のメンバーには俳句集を購入して頂き、そのお金で俳句集の材料を買いそろえることができた。
皆様のご協力で俳句会は充実した一年を送ることができた。
本当に、ありがとうございました。
そしてこれからもよろしくお願いします。
2.
私は、上島氏の次の俳句に息を飲んだ。
秋満載石狩鍋に栗御飯
なんという贅沢な句だろうか。どちらも秋の季節を代表する豪華な料理である。それが食卓に並んでいるのだ。私はふと横光利一の小説「頭ならびに腹」を思い出した。その書き出しはこうだった。「真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で馳けていた」。真昼、特別急行列車、満員、全速力、いずれも最上級の状態を表わす言葉である。新感覚派作家の横光の感性を、この句の中に見ることができよう。なお小説は「沿線の小駅は石のように黙殺された」と続く。前出の文章のスピード感を倍加させる一節である。二つの文は相互に影響を与えあい高次の意味を産出している。私もこれにならい、上島氏の句に 次のような付け句を添えてみた。
秋満載石狩鍋に栗御飯
空虚な心さえも満たされ
他者の575に77をつける連句は、世界を拡大させるものである。過去の経験も思考様式も異なる複数の人間が連句を媒介にして一つの世界を構築していく。私はそこに文学の連帯性という機能を見い出す。この機能は医療機関において、当然治療的に働く。比喩的に言うならば、形式は水路であり、意味内容とそれに付随する感情は水路を流れゆく水である。他者を恐怖する対人恐怖症、自閉的な世界にひきこもる分裂病等は、連句を通して、他者と繋がっていることを感じると思われる。
人間と人間の関係が希薄する現代、俳句ばかりでなく連句も大いに行っていくべきであろう。
3.
日本の太平洋戦争は侵略戦争だったのか。欧米からのアジア解放戦争だったのか。歴史教科書問題からこのような議論が生まれ、知識人たちの発言はいずれかの立場に支えられている。そして二つの立場が収束に向かう気配はない。どちらも、過去にこういう出来事があった、と決定的に立証できないでいる。なぜなら、その歴史を証明するもの(証言、写真、テープ等)には偽造の可能性が内在されているからである。提出された証拠品が常に真実とは限らず、政治的な戦略から生み出された場合も多い。第三の権力と呼ばれるマスコミが情報操作を行い、偏った情報しか報道しない場合もある。とすれば、どの事実を信じ、どの解釈を受け入れるか、自分の価値判断で取捨選択していくしかないだろう。
俳句会のメンバー、大船秀吉氏が平成十三年八月、永眠した。彼は青年時代、山岳兵として中国に赴き、戦い、そして奇跡的に日本に生還した。長い人生の道のりの後、俳句会に巡り会い、そこで戦争体験をもとに句作した。六十年近くも前の出来事を、彼は色鮮やかによみがえらせ、言葉を当てていった。実に多彩な俳句が、彼の記憶から生まれ出た。想いを寄せていた女性と別れ戦地に行ったこと。多くの戦友と死別したこと。本当は戦争などせずに、平和に暮らしていたかったが、時代はそれを許さなかったこと。しかしそれでも、天皇のために命をかけて戦いたいと思った――。戦争を知らない世代の私が、俳句を通して大船氏と通じることができた。
大船氏の俳句は、第七十回のときに皆に公表し、その死を偲んだ。彼は亡くなったが、彼の戦争にこめた怒り、悲しみ、絶望などの多種多様な感情は、俳句の中に生き、そしてそれを詠む者の中で生き続けるだろう。この度、俳句集に載せた大船氏の句は、過激なものが多い。編集者として掲載するのをためらった句もある。だが二度と戦争を起こしてはいけないという元兵士の切実な思いが伝わってくる句でもある。私は、平和を望む一人として、結局掲載することに決めた。もしも読者の皆様が何らかの不快感を覚えたとしたら、それは私個人の責任であることは言うまでもない。
ただ、最後に一つだけ言わせて頂きたいことがある。自分の胸中を言いたくても言い出せない時代性というものがある。現在、戦争についての発言は比較的自由であり、解放されている。今だからこそ、発表できる。この機会を逃すべきではないと思った。そして大船氏も、句の公開を望んでいた。
懸命に人生を生きられた大船氏のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
平成十三年十二月二十五日
臨床心理士 平山 崇