たとえばマーク・ロスコの抽象画を前にしたとき
夏の盛り。
蝉たちの爆音で今朝はいつもより1時間早く目が覚めた。
脳内まで染み入る蝉の声。
頭がボーッとして、目が覚めたというのに現実世界から意識がだんだんと遠のいていくようだった。
先行きの不透明な閉塞的な状況に、自分自身も不安や悲観に包まれて、脅かされて、近頃はそんな自分を取り巻くものすら陰鬱で呼吸しにくい空気に変わってきている気がする。
足元が常に不安定で気持ちが悪い。
何か措置を講じなければ。
良くないことだと解りつつ、私はこういう時しばしば「排除」の思考になって、目に入るもの耳に入るもの一切が鬱陶しく感じて遠ざけてしまうのだが、そんな鋭利で排他的な精神状態に陥った今でも、自分の感性のもとで理解し平穏な気持ちで受け入れられるものがある。
たとえばマーク・ロスコの絵画を観て、あの抽象表現について思いを巡らせるとき。
何か発端があったのか無かったのか自分でも思い出せないけれど、磁石でジリジリと引き寄せられるように、ロスコの絵画群を(書籍や、スマホの小さな画面を通して)眺める時間が、不思議と増えてきた。張り詰めている緊張の糸がいつの間にか緩んでいる。
現代アートという大きな括りのなかでマーク・ロスコを学んだことはあったけれど、芸術家個人に焦点をあてて特別に研究などをしたことはなかったので、ここは成り行きに任せ、私が普段鑑賞しているロスコの抽象絵画に関して少し掻い摘んで調べてみることにする。
前衛芸術運動が盛んだったニューヨークの、豊かな芸術的雰囲気のなかで美術学生時代を過ごしたマーク・ロスコ。いわゆる初期の頃の作品は、大学で講義を受けたマックス・ウェーバーやパウル・クレー、ジョルジュ・ルオーなどの影響を受けたキュビズム的あるいは表現主義的な印象が漂う。
左《Sacrificial Moment》1945
右《Hierarchical》1944
ロスコの絵が縦長の大きなキャンバスに矩形の色面を配置していく、あの広く知られているスタイルに変化を遂げるのは、1940年代末頃。それは、そのようになる以前にロスコが神話や哲学、精神分析への関心を抱いたことが大きく影響しているそうだ。
フロイトやユングの夢に対する理論や元型無意識に注目し、またニーチェの『悲劇の誕生』を通した、ギリシア悲劇が人々を人生の恐怖や絶望から回復させたと述べる著者の芸術観に触れたことなどから、特定の歴史や文化を越えた人間の意識に働きかけるものを芸術で表現したいと考えはじめる。
(※この辺りは画家の思想部分として文献で調べて経緯を追求しなきゃいけないところだけれど…私にはとても難解で今すぐに理解できる世界じゃない、と諦めてしまった。『悲劇の誕生』はギリシャ悲劇の成立とその盛衰を「アポロ的」と「ディオニュソス的」という対立概念によって説いたもの。比較的わかりやすく解説してくださっているサイトがあるので以下をご参照ください。)
時代や地域によって変わることのない普遍的なものを希求し、現代人の精神性へ呼びかける絵画。
彼自身は特定の芸術運動に分類されることを拒んだけれど、同時期に活躍したカンディンスキーやポロック、ニューマンらの様に、自身の形態や空間、色への関心の高まりを満たす主題を求める「抽象表現主義」に、少なからず同調に近いものを抱いただろうと思う。
ちなみに、ロスコは1949年に、ニューヨーク近代美術館でアンリ・マティスの《赤のアトリエ》を鑑賞している。フォーヴィズム、印象派、後期印象派などこれまでマティスがたどってきた芸術スタイルを融合させた上で、海外旅行で見たさまざまな美術や文化的要素を上書きして表現している、マティスの初期の集大成的な作品、この作品との出会いはロスコの晩年の抽象絵画のインスピレーションの源になった。
Henri Matisse《L'Atelier Rouge》1911
1950年代初頭にも5ヶ月間かけてヨーロッパを旅し、イギリス、フランス、イタリアの有名美術館で重要コレクションを鑑賞した。なかでもフィレンツェのサン・マルコ修道院でみたフラ・アンジェリコのモザイク画に感銘を受ける。
マティス自身も、マティスの絵画に出会ったロスコのように《赤のアトリエ》制作前に重要な旅をしていた。ミュンヘンでイスラム美術の展覧会を訪れ、スペインのグラナダ、コルドバ、セビリアを訪れ、ロシアのモスクワやサンクトペテルブルクを探訪している。絵画のトーンや装飾的モチーフは、当時の海外旅行で出会った美術から影響を受けている。
旅先で受けた影響は、その後の自分をどの様に変貌させるのか予想できない。やはり人は死ぬまでに出来る限り、自由に旅を繰り返していくべきだなと思う。
1958年11月、ロスコはプラド美術館で講演を行い、そこで美術作品の"レシピ"を提案する。レシピとは何か、それは絵を描くときに念頭において、慎重に計画するための成分をいうらしい。鑑賞者はロスコの絵画を鑑賞する際、以下の特徴を連想させてみるのもいいかもしれない。
とても大雑把にでもマーク・ロスコという画家について調べていくうちに、彼の絵に惹かれていくのは必然的だったのかもしれないと感じている。不安と悲観に丸め込まれそうになる、そんなマイナスな内面に向けて、ロスコの絵画は人間の精神を形取って、有りのままでいいのだと心を軽くさせてくれたようだった。
正しく前に進んでいくことを自ら求めているけれど、時に立ち止まり、静かな精神状態で自分の想念と向き合う時間も必要なのだ、と頭の中に佇んでいる絵を前にして思う。
ロスコの絵画に私の精神が飲み込まれていく感覚は、これからも愉しんでいきたい。
※追記
悲しいことに、私は実際にロスコの絵画を一度も観たことがない。国内にあるロスコの作品群、DIC川村記念美術館の《ロスコ・ルーム》。7点のシーグラム壁画から成る静謐な空間を、五感で体験してみたいものだ。
※追記2
大阪の中島美術館で、はじめてロスコの絵に対面する。
光をテーマにした展覧会、そこでは、光の構造や効果とはべつに、光が持っていた意味に触れていた。希望はもちろん、不安も、恐れも、光のなかにちゃんと表されていたことに喜びを覚えた。
ロスコの絵は展覧会の最後のほうに展示されていた。
向かいにあるリヒターの抽象画も大変素晴らしく、多くの人が集まっていたけれど、わたしはロスコの赤と黒の絵に目一杯気持ちを注ぎたい、時間を費やしたいと思った。
色彩と画面構成に対する厳格なアプローチ。
とはいっても、わたしが絵から感じたのは(心に寄り添ってくれるような)深い安心感だった。
吸い込まれるような赤と黒の中に、ところどころ青い色を見つけることができた。わたしはこの青が忘れられなかった。
※追記3
DIC川村記念美術館の今後の運営について、そして2025年1月からの休館についてのニュースが目に入ってきた。