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純情ヒエラルキー

「狂わない嘘吐き」:本編沿い / 2期3話キスの後

2009.12.31 15:00


 あのフェルトとか言う女の唇は柔らかくて、美しく清らかだった。 あんな純な女とキスをしたのは本当に久しぶりで、あんな美女とのチャンスもそうそうないというのに。それでもあんな風に接してしまったのは、彼女が俺の中の兄さんだけを見つめていたからだった。 


狂わない嘘吐き


 少女は走った。もう、右も左も分からないくらいに走った。胸が苦しい。悲しくて苦しくて仕方なかった。 彼は違うのに、大好きで、憧れて、焦がれて、思い続けたあのひととは違うのに。彼の中にあのひとを求めていた自分の愚かさが嫌になる。いつの間にか押しつけていたのだ、彼にあのひとの存在を。 涙が浮かんできて、ごしごしとそれを拭った。擦った目頭が熱くて、目尻に手を当てる。ぶつかる小さな衝撃。誰。謝罪を述べる余裕もなかった。ごめんなさい。そう言おうとした喉は詰まって、告げる言葉は嗚咽に変わってしまった。ごめんなさい。誰なの。 

 「フェルト、グレイス」

  少し驚いた顔。四年前よりぐんと伸びた背丈。彼の腕に抱き留められていた。

 「せつ、な…」

  見上げた先には、刹那の顔が間近にいた。その近くにある、凛とした整った顔にさっきの彼を重ねてしまって、思わずわたしは目を背けてしまう。涙は止まらずに溢れて、彼の服を濡らした。すると突然、強い、でも優しい力がわたしの腕を引いた。 


  甘い、砂糖とミルクがたっぷり入った紅茶の匂いが鼻孔を擽って、湿らす。刹那が淹れてくれたものだった。いつも此処ではコーヒーが主流なのに、あえてそれを淹れてくれたのは、泣き止まないわたしを気遣ってだろうか。 刹那にそんな風にされたのは本当に初めてだった。でもわたしは自分のことで精一杯で、その優しさの殆どを涙声で返す羽目になる。 あの時、廊下の真ん中で訳も分からず泣いていたわたしを、刹那が素早く彼の部屋に連れていってくれなかったら、今頃どうなっていただろう。 

 「落ち着いたか」

  頭上から静かな声が降ってきた。刹那だった。慌てて、ありがとう。そう言おうとしたのに、上擦って妙な声が出てしまう。 

「無理するな」 

 また情けない嗚咽がこみ上げてくるわたしの背を、刹那は慣れない手つきでさすってくれた。こんなに泣いたのはどれくらいぶりだろう。しかもあの刹那の前で。 今まで1日一言二言会話するくらいで、しかもそれも事務的なものばかりだった。年が近いこともあって、関係を冷やかされたこともあったのに、刹那とはいつも自然にこの距離を保ち続けていた。

 それが今、彼の部屋でわたしが泣きじゃくっている。四年前から思えば奇妙すぎて、わたしは複雑な気分になりながらも泣いた。 刹那はすごく無口だったけど、本当はすごく優しいことを、みんなが知っている。その表現の仕方を知らないだけだって。そして、わたしも同じだと、そう言われた。意味が分からなかったから、その時は曖昧に答えたけれど、今思うと、わたしたちは似ているのかもしれない。 

 「…ありがと、」 

 やっと絞り出した声で、そう言った。酷い鼻声。刹那は隣に座って、いや、と小さく言っただけだった。やはり会話が続くわけではなく、わたしの鼻を啜る音だけが部屋に聞こえる。恥ずかしさと悲しみが入り混じった、妙な気分だった。 

「…理由は聞かない」

  突然、刹那が言った。

 「だが無理は良くないと…俺は、思う」 

  刹那はそう言った切り黙り込んで、俯いてしまった。すごく不器用。そして簡潔。でも真っ直ぐで、素直な優しさ。それが刹那の優しさなのだと分かった。 その言葉を聞いた瞬間、心が暖かな光で包まれた気がした。そして、気付いた。刹那とわたしは似てなんかいない。刹那はよっぽど、わたしなんかよりも強くて、強くて、真っ直ぐで。 

 「…強いね、刹那は」 

「何故」

 「前に…進もうとしてる、いつも、前だけ見ているから」

  紅茶を口に含んだ。少し濃くて、甘くて、優しい味と香り。

 「わたしは…だめ。昔のことばかり後悔して、忘れられずにいる」 

そのせいで、彼にあのひとを重ね続けている、押しつけている。 

 「…ロックオンのことか」

  刹那は静かに言った。同様の欠片も見つけられなかった。わたしは、答えてしまえばまた悲しみが沸き立ってくる気がして、ただ黙っていた。本当に情けない。情けない、わたし。

 「…ライルをここに連れてきたのは、俺だ。」 

 責任なら、俺にある、そう言う刹那に、思わずわたしは叫ぶ。 

「違うの!」 

 刹那は黙ってわたしの方をみる。

 「違うの、刹那は悪くなんてない、わたしが、…弱いから…」 

 また涙がこみ上げてきて、カップの縁を握りしめる。紅茶に反射している刹那の顔が揺れた。

 「…わたし、ロックオンのことが忘れられないの」 

 一言一言、話す度に、わたしの弱さが浮き彫りにされてゆく。 

 「ライル、に、あのひとを重ねてばかりいるの、代わりなんて、いないのに…」 

 (ああ神様、懺悔の証を頂けないでしょうか。)

  また涙がこぼれた。 口付けされた唇が痛くて、噛み締めた。

 「…忘れてなんかいない」

  泣いているわたしに、刹那の静かで、心地よい声。

 「忘れない。ロックオンのことも、リヒテンダールも、クリスティナも、ドクター・モレノのことも。…忘れない」 

 わたしは顔を上げた。刹那の意志の強い瞳が、わたしを射抜いた。

 「お前も同じだろう」

 「…刹那」

 「だがロックオンの名を継ぐのはライル・ディランディしかいないと思った。…例え辛くとも、悲しみに暮れてばかりでは、前には進めない」 

 俺たちに立ち止まることは許されない、刹那はそう言った。 

「…分かってる、分かってるの…でも…」 

 でも、それでも、認めることの出来ない愚かなわたし。 

 「…刹那は、嫌じゃないの…?」 

 死んでしまった人と同じ、似ている人と、また一緒に戦うなんて、 わたしがそう言ったら、刹那は初めて言葉を躊躇った。わたしが非難がましい言い方をしたからだろうか、刹那の方を見た。

 「…分からない」

  小さく刹那が言った。今まで聞いたものの中でも、言葉の中には迷いがあった。 

 「…大切なものは、取り戻した、と思っていた」 

 (アレルヤも、スメラギも、世界を変える力も、「ロックオン・ストラトス」も…)

 (だが、この心にぽっかりと空いた穴は、四年前に破けて、そのままだ。)  

  浮かぶのは、今はもういない、彼の優しい笑顔。 

 「これでいい、これでいいはずなのに、迷っている。心のどこかで」 

「刹那」

 「…あいつが生きていたら、笑いそうな話だ」

  刹那の口元が自嘲気味に笑った。決して良い意味の笑顔ではないのに、それはすごく綺麗だった。始めて見た、刹那の笑顔。

 「だから、あいつだったら、立ち止まるな、振り返るなと言うはずだから、」

  そう迷いなく言える刹那が、わたしは羨ましかった。あのひとと刹那の、強く堅い絆が見えるようで。 

 「俺は…俺たちは前に進まなければならない」

  刹那の瞳は真っ直ぐで、やっぱり迷いなんてないように見える。 ああ、わたしはこんな心の真っ直ぐな人と共に闘っていたのだ。なんて、なんて心強いことだろう。 共に闘っていく決意。今までの仲間とも、これからの、これから共に闘っていく仲間とも。 その境界線が曖昧でも良い。迷って、時には立ち止まっても良い。 この人と、この人たちと共に歩んでいくことが、出来る気がした。 何を考えているのか、黙っている刹那の、握りしめた手にそっと触れた。刹那は驚いたようにわたしを見た。でも、拒絶はしなかった。 

「ありがとう、刹那」 

 わたしは言った。刹那は大きな瞳で、わたしを見つめている。刹那の閉じた手をそっと開いて、優しく抱く。

 「…わたし、闘う。刹那と一緒に」 

「フェルト…」 

  刹那が私の顔をまじまじと見て、そしてふと視線を下に下ろした。固く握り合った手と手に気づいて、わたしは声を上げてそれを離す。 

「ご、ごめんなさい」

  顔が赤くなって、鼓動がばくばくと鳴った。急に気恥ずかしさが顔を出して刹那のほうを見ると、刹那もなんだか照れたような、いつもより柔らかな表情でわたしを見ていた。 その顔がなんだか珍しくて、可愛らしくて、わたしは思わず笑みを零す。 刹那も、張っていた糸が取れたように、口元を小さく笑わせた。 不器用で、慣れていないぎこちない笑顔。手を握り合いながら、見つめあうわたしたちは、まるで鏡みたいだった。   



2010/おろこ