法令番号に秘められた悲しい歴史
法令には、公布の際に、暦年ごとの番号が付けられる。これを法令番号という。同じ題名の法令があるため、それらを識別できるように番号を付しているわけだ。例えば、地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)は、昭和22年に公布された67番目の法律ということだ。
私が調べた限りでは、この法令番号に西暦紀元(キリスト教でキリスト(救世主)とみなされる イエスが生まれたとされる年の翌年を紀元(元年)とする紀年法)を用いた国の法令はない。
国の法令がある年を表す場合には、原則として元号が用いられるが、例外的に、条約との関連で西暦紀元が用いられることがある。
cf.1 メートル条約(明治十九年勅令第○号)
明治八年(西暦千八百七十五年)仏蘭西(フランス)国(こく)巴里府(パリふ)ニ於(おい)テ独逸(ドイツ)国外(ほか)十六箇国ノ間ニ締結セルメートル条約訳文
(以下、省略:久保。太字・ルビ:久保。)
cf.2特許法(昭和三十四年法律第百二十一号)
(国際出願による特許出願)
第百八十四条の三 千九百七十年六月十九日にワシントンで作成された特許協力条約(以下この章において「条約」という。)第十一条(1)若しく は(2)(b)又は第十四条(2)の規定に基づく国際出願日が認められた国際出願であつて、条約第四条(1)(ii)の指定国 に日本国を含むもの(特許出願に係るものに限る。)は、その国際出願日にされた特許出願とみなす。
(以下、省略:久保。太字:久保。)
これに対して、法令番号に西暦紀元を用いた条例はある。いずれも沖縄県の自治体なのだが、お若い方はなぜだかお分かりだろうか。
沖縄(琉球諸島及び大東諸島)の施政権がアメリカ合衆国から日本国に返還された(沖縄本土復帰)のは、昭和47年(1972年)5月15日だから、これよりも前でアメリカの治世下に制定された条例には西暦紀元が用いられているのだ。
cf.3那覇市役所位置の変更条例(1953年5月30日 条例第34号 )
那覇市役所の位置を那覇市牧志町2丁目より那覇市天妃町2丁目に変更する。
那覇市役所位置の変更条例(1963年7月11日 条例第22号 )
那覇市役所の位置を那覇市天妃町2丁目10番地から次の位置に変更する。
那覇市泉崎1丁目1番1号
cf.4那覇市職員厚生会条例(1965年7月1日 条例第12号)
(目的及び設置)
第1条 職員の福祉の増進を図るため、那覇市職員厚生会(以下「厚生会」という。)を設置する。
cf.5宜野座村課設置条例(1952年6月29日 条例第1号)
第1条 本村に次の課を置く。
総務課
企画課
村民生活課
健康福祉課
産業振興課
観光商工課
建設課
上下水道課
下記のスクショは、内閣府沖縄戦関係資料閲覧室の「所蔵資料」の「省庁所蔵資料」の「防衛省 戦時資料 [B03-4] 71-80件」の「南西諸島方面電報綴(昭和20.6)(2) (PDF形式:4156KB)」にある昭和20(1945)年6月6日夜、沖縄根拠地隊司令官大田実海軍少将が海軍次官あてに発した電文だ。
おそらく当時の電波状況が悪くてモールス信号を聞き取れなかったためだろうが、一部解読不能な箇所がある。
しかし、末尾にある有名な「沖縄縣民(けんみん)斯(か)ク戦(たたか)ヘリ 縣民ニ對(たい)シ後世(こうせい)特別ノ御高配(ごこうはい)ヲ賜(たまわ)ランコトヲ」(ルビ:久保。)は、しっかりと読み取れる。
この決別を伝える電文には、天皇陛下万歳などの言葉は一切ない。ただひたすら県民の現状を伝え、県民への後世のご高配を願っている。
県民を守ることができず、さぞやご無念だっただろう。死力を尽くした後、6月13日大田少将と6名の参謀は自決した。大田少将は56歳だった。
検索したら、電文を分かり易く現代語訳してくれているものがあったので、リンクを貼っておく。
https://www8.cao.go.jp/okinawa/okinawasen/index.html