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アンラッキー

2020.08.04 12:14

空白という男に出会ったのはあたしの人生最大のアンラッキーだった。


毎日の日々で鮮明に思い出せる出会いの瞬間は衝撃以外の何者でもなかったし、これからも何度だって驚くと思う。


何故って?

理由は簡単だ。


空白が、あたしの亡くなった旦那にそっくりな姿をしてたから。


冬の寒空の下、安いホテルから出て身に沁みる冷たさを感じると生きてるんだなあってなんとなく思う。


そしてこの季節になると嫌でも思い出す。


「もう3年もたったのか…。」


街はクリスマス前で賑わっており、思わず左手に嵌めた指輪を撫でてしまった。


あの日も寒かった。


けれどあたしは、幸せだった。



あたしは20歳で結婚したのだ。


相手は職場の先輩だった。


看護師と医者。

その立場から恋人になるのは早かった気がする。


あたしはまだまだ駆け出しの新人看護師で、日々の業務をこなすのに必死だった。


昼夜を問わない勤務の中、失敗なんて許されない人の命に関わる仕事は白い天使なんて可愛いものじゃない。


ストレスも苦労も、精神的疲労も体力も。

並外れてるもんだ。


慣れるまでには時間がかかったし、仮眠室で泣いてる同僚も当たり前にいた。


看護師の世界はかなりシビアで、新人いじめなんて当たり前にあったし。


理不尽なことなんてザラにある。


あたしも例外じゃなかった。


こんな仕事もわからないの?とか。

あなたなんで看護師になったの?とか。


いくら資格を持ってたとしても初めての業務なのだ。


入って早々実践できるわけもないことを逆手に言葉の暴力は凄まじいものだった。


何度だって辞めたいと思ったし、何度だってこいつの首を絞めてやりたいとか思ってた。


ただ、それでもあたしが続けられたのは旦那がいたから。


その時はまだ赤の他人だったけど、たまたま…。


本当にたまたま、自販機の前でばったり会って。


ちょっと会話するようになったことから始まったのだ。


病院の中でも若い先生で目立ってたし、何より見た目が落ち着いていながら派手だから。


看護師の間では有名だった。


若くてハンサムで医者なんて恰好の標的って意味でね。


そんな人と何故か密かなるおつきあいが始まったのはどんな幸運だったのか…。


残念ながらあたしのタイプとは程遠い人だったんだけど…。


『栗花落ちゃんって案外口悪いよね。』

『先生は見た目ほど女の口説き方なってませんよね。』

『おい…、おいおい…。あれ?口説いてるって気づいてた?!』

『そりゃこれだけ自販機の前でばったり会ってたら疑いますよ。』

『マジか…………。』


頭を抱える彼を横目に、自販機で買った飲み物を飲みながら。


簡易な椅子に並んで座って、夜勤の時の休憩時間。


もう何度目かの偶然に気づかないほどあたしも鈍くないから。


『先生って馬鹿だったんですね。』

『おーい、俺これでもこの病院のエースなんですけど?』

『難関な手術をこなせる人が女ひとりを口説くのに頭抱えてるなんて面白いですね。』

『知ってて心の中で笑ってたなら俺にとっては笑えないけどね。』

『いえ、まさか先生があたしを…なんて自惚れもおこがましいと思ってたんですよ。でもあんまりにも偶然が続くものだから直球で聞いた方が早いかと。』

『………告白のタイミング伺ってた俺の計画ぶち壊し作戦は大成功だよ。』

『え、すいません。もう一回やり直しますか?ジュースもう一本くらい飲めますよあたし。』

『やめてくれ…。俺の羞恥心を抉って何が楽しいんだおい。そんな格好悪い告白あるかよっ。』

『はあ…?格好つけるのなんて今更じゃ…?』

『栗花落ちゃん。俺のことどう見えてんの?』

『ヘタレ。』

『即答?!』


いや、本当に。

見た目こそ飄々として女口説くのも手馴れてそうな人なのに。


実際何度も偶然、自販機で遭遇しながらポツポツと会話するうちに奥手で、結構ピュアな人だと知ったのだ。


だからあたしは彼に一度たりとも格好いいという印象はなかった。


『いやもういい。この際だ。格好つけるとか元々無理だったんだ、うん。』

『先生、独り言大きいですね。』

『できるなら、塁(ルイ)って呼んでほしいんだけど。』

『はい?』

『呼び捨てしあえる関係になりませんか…。』

『………………ヘタレ。』

『うるさいな?!栗花落ちゃんが俺に格好つけさせてくれないんじゃん?!』


本当に自然と笑ってしまった告白だった。


あんなにグダグダな告白は一度もされたことはなかった。


これでも自分の容姿はコンプレックスもなく恵まれてるものだとは思ってたから。


母はあたしなんかとは比べ物にならないくらい、既婚者のくせに未だにナンパされてるほどだし。


なんなら化粧品会社のモデルだって気まぐれに応募して選ばれて雑誌に載ってるような人。


父はそんな自由奔放な母に苦笑いしながら甘える人だ。


そんな控えめな父も、未だにバレンタインのチョコは凄くて。


子供の頃はそれを待ちわびてたもんだ。


そんな両親の遺伝子を受け継いだのだから当然あたしだってそれなりに自分を過小評価するまでもなく自信はある。


まあそれでも並より上ってだけで。

とんでもなく綺麗な人っていうのは当たり前にいて、美人だなあと見てるだけのような女だった。


そして美人だなあと初めて男の人に対して思ってた人にグッダグダな告白されてたのだ。


『あははっ!だめだ。久しぶりにツボった!』

『酷…!俺真剣なのにっ!!』

『す、すいませ…っ』

『待って。告白したタイミングですいませんとか聞きたくないっ!』

『あはははははっ!!』

『爆笑?!』


今考えるとあんなに幸運なことはなかったと思う。


今考えると、あんなにも笑ったことはなかったと思う。


今考えると、あの偶然はなんて愛しいものだったのかと思う。


『いいですよ、お付き合いしても。』

『え…、』

『まったくあたしのタイプじゃないですけど。』

『ええ…?!』

『でもどうしてでしょうね。あたしも塁って呼びたいみたいです。』

『栗花落ちゃん……っ!』

『塁きゅん?』

『いや、なんで?!なんで甘い雰囲気をわざざぶち壊すの?!』

『あたしの言葉ひとつに一喜一憂してる塁が可愛いからですかね?』

『ん〜〜〜っ、超複雑っ!!』


そんな告白からお付き合いを始めたあたしは、自分でも想ってた以上に彼を好きになっていた。


だって気がつけば結婚までしてたんだから。


しかも付き合って半年ほどで。


あたしはまだ社会人になって間もないし、ようやく仕事が楽しくなってきたところでもあったから。


お互いに子供はもう少し先に考えようってことで、同じマンションで暮らすようになったのだ。


そんな幸せな結婚生活がずっと続くと思ってた。


当たり前に子供を授かり、見た目に似合わないヘタレな旦那を蹴飛ばして見送る主婦生活だって想像してた。


家族に恵まれ、旦那を愛し。

一生を共に過ごすのだと。


そう、思ってたのに……。


「塁……。」


結婚生活は1年で終わった。


その日は今と同じクリスマスを迎える前だった。


夜勤から帰ってくる塁に胃に優しい食事を作りながらお風呂も沸かしてた時だ。


急に電話が鳴り、はいはいと出たら警察の人からひと言。


『塁さんが、亡くなられました。』


そう告げられたのである。


その先はかなりうろ覚えだ。


頭が真っ白になって、理解するのを身体が拒んでたから。


それでも詳しい事情は署で説明しますので、という言葉だけは聞いていて。


あたしは意思に反して警察署へと向かい、事情を聞かされていた。


死因は薬物の過剰摂取。


そんなまさか!って言った。

あの人はそんなことしないって。


けれど死体からは過剰な薬物反応が見られ、彼の周りには薬物が散在していたと言うのだ。


事件性はなく、ストレスの多い医者にはありがちな羽目を外しすぎた報いだと処理されて終わり。


こんなことってある?


それから葬儀を終えて、親にはあんな男だったのんて!と嘆かれて。


彼の親からはなぜか頭を下げられて。


泣く暇もないくらい怒涛の日々を過ごし。


あたしは未だ、塁の死が受け止められないまま喪に服してる。


何もわからないまま。

わかってるのは塁が死んだってことだけ。


どうして薬物の過剰摂取をしていたのか。

何があったのか。


彼が薬をしてたならあたしは気づいたはずだ。


これでも看護師なんだから。


けれど彼にそんな兆候は一切なかった。


でもそんな主張、誰も聞いてはくれなかった。


塁は死んでから、医者としてのプライドや人柄までもを薬物中毒者として認識され。


その妻であるあたしはなんて可哀想な未亡人という目で見られたのだ。


こんなのあんまりでしょう?

あたしだけはわかってる。信じてる。


塁はそんな人じゃないってこと。


でもそれを証明する術なんか持ち合わせてなくて、あたしはそれからずっと喪服を着たまま。


「ごめんなさい、塁…っ。」


彼のお墓に通い詰めては、自分の無力さに謝罪を繰り返していた。


こんなの死んでも死に切れない。


だからってどうすることもできなくて、あたしは1年間。


自分がどうやって過ごしてきたのかまるで記憶がないくらいにはお墓に通い続けていた。


仕事も辞めてしまい、それまで2人で子供を設けた時に使おうと貯金していたお金を崩して生活してる。


周りからはお金だけでもあってよかったとか、逆にロクデナシをわざと見つけて金目当ての結婚だったんじゃないかとも言われてた。


でもそんなの、今となってはどうでもいい。


子供のための貯金なんて、取っておいても今更なんの価値もない。


だって塁はもういないんだから。

あの人の子供はもう産めないんだから。


それなら使い切ってしまったほうがいい。


そんな1年を過ごしていたあたしは、なんの偶然か、それとも必然なのか…。


いつものように通っていた墓地への道筋筋で、空白と出会ったのだ。


最初は本当に塁かと思った。

思ったからこそ走り、彼の腕を掴んで生きてたの!?って口を開きかけたんだけど…。


「………は?誰あんた。」


振り返ってきた男は綺麗な黒髪をしてた塁と違って真っ白な髪を靡かせ。


痛いのは嫌いだとヘタレっぷりを理由にしてピアスすら開けたことのない塁と違って耳には大量の重りをつけていて。


見た目の派手さは否めなくても、口調はいつも丁寧な塁と違って不躾で迷惑そうな言葉を落とされ。


いつでも優しく甘い眼差しの塁と違って、底冷えするような眼差しに絶望したことは鮮明に覚えてる。


ドッペルゲンガーって単語を思い出すくらいには、なんの不幸かと思った。


こんなに不幸は重なるものなのかと。


まるで双子のようにそっくりなのに、全然違う。


『ごめん、なさい…っ。人違い、でした…っ。』

『はあ?何それ。あんた男の趣味最悪なの?』

『なん…?!』

『だってそうでしょ?俺みたいな奴に縋るような目え向けてさ?捨てられたの?それとも遊ばれた?…あ、おんなじ意味かこれ。』


ケラケラと、本当に不躾という他ない男だった。


塁はそんなこと言わない。

塁はそんな目をしない。

塁は……、


そんな思考をするくらい。


その見た目でそんな言葉放って欲しくなかった。


その見た目で嘲笑うなんてことして欲しくなかった。


その見た目であたしを、そして塁を。

バカになんてして欲しくなかった。


でもその見た目を、あたしは掴んでいた腕に力を込めて…


『死んだ……っ!』

『………は?』

『死んだの……っ!!』


どうしてか、彼の言葉を訂正していたのだ。


捨てられてもなければ遊ばれてもいない。


未だに喪服を着て悲しみに暮れ、指輪もつけているくらい愛してた人だと。


そしてその人はあなたの見た目と本当にそっくりなのだと。


自分でもどうしてこんな風に叫んだのか、その時はわかってなかった。


ただ、この出会いを不幸だと決めつけるのは早い気がしたのだ。


だからって幸福ですとは言い切れない。


どっちかといえば不幸だろう。


でもラッキーだとも思った。


あたしはまだ塁を失ってはいないと。


そう、言うなれば…


『………どうやって?』

『え…、』

『どうやって死んだの?死因は?』

『や、薬物…の、過剰摂取……っ。』

『そんなことする奴だったの?』

『まさか!!あの人はピアスも開けられないの!!なのに薬に手を出せるわけないっ!犯罪できるほどの度胸なんかなかった!!』

『………』

『告白だって…っ!格好つかない人で…っ!!女口説くのもままならない臆病者なのに…っ!そんなの絶対ないっ!!』

『………あんたほんと、男の趣味悪いね。』

『な…!』

『でも…、いいよ?その誘い乗ってあげても。』

『は…、』

『好きな男と見間違えたんだろう?あんたの相手してやれる俺はまだ生きてるけど?』

『…っ!?』


どうかしてるとしか思えなかった。

あたしも、そしてこの男も。


その言葉にふざけんなって言えたらあたしは正常だった?


でも、


『生きて、る……っ。』

『うん。でも呼び間違いだけはやめてよね。俺は空白。』

『……っ、』

『あからさまに嫌そうな顔しないでくれない?生きてはいるけど身代わりになってやるつもりもないんだけど?』

『あ…、ごめんなさい……っ。』

『まあ、いいけどさあ。あんたの名前は?』

『つ、栗花落……っ、』

『栗花落ちゃん、ね。』

『……っ!』


見た目はそっくりでも中身は全くもって違う。


でもハスキーな声音も塁とそっくりで。

その声に、ずっと呼ばれたかった。


『栗花落ちゃん』って…。


そう呼んでもらえたことに涙が出そうになった。


どうかしてると思うならそれでもいい。

罵倒して軽蔑してくれたっていい。


だってあなたは、本当に心から愛した人を亡くしたことなんかないでしょう?


こうして、心底愛した人とそっくりな見た目の人に出会ったことはないでしょう?


未だに死を嘆き、自分の無力さに謝り続け。

そして、愛してやまない人と。


こんなにも瓜二つな人を。

全くの別人だとわかっていても手放せるほどの愛し方なんてしてないの…!


『もう一回……っ!』

『………は?』

『もう一回…っ!名前、呼んでくれませんか…っ?!』


何よりも愛した人の死を、なぞらずにはいられない。

 

そんな気持ちを、理解してくれとは言わない。

そんな気持ちを、知らないからこそ蔑めるんだから。


思わず縋り付いたあたしに、空白と名乗った男はゆるりとほくそ笑んでいた。


そして、あたしは気がつけば安いラブホテルの一室に連れ込まれて身体を開かされていたのだ。


『へえ…。案外いい身体してんじゃん。“栗花落"ちゃん。』

『……っ、』

『不幸な顔して誘ったのはあんただ。どうされても、やめないからね?』

『そうかもね。違うかもね…。でも、そんなのどうでもいい…っ。』


自ら腕を伸ばし、塁とそっくりな顔を包んで。


ただこの顔が、この姿が。

生きていればなんでもいいと思った。


そして、きっと…


『どうせ、どっちでも悪いんだから。』


こんなあたしを見たら塁はきっとやめろと叫び、嘆き悲しむんだろうなって。


それでもあなたを愛し続け、今でも帰ってこないとわかってるあのマンションの一室で待ち続けられるならと。


そう思って手を伸ばしてしまった。


こんな愛し方、塁は望まないだろう。

でもあたしはこうでもしないと、もう限界だったの。


誰にも声は届かなくて。

誰もあなたを信じない世界。


真実を探そうともしてくれない警察。

あたしの愛してた心までも疑われる状況下。


あたしは……っ、


『あああ………っ!』


報われない想いを、愛してくれるならなんだってよかった。


塁を愛すること。

それに苦しみたいと願ったのだ。


そうすることで塁に泣かれるとしても、死人の声なんか聞こえないんだから。


そうすることで嘆かれたとしても、あたしは塁を愛することを選んだのだ。


だから…、


『お願い…っ。もっと、呼んで……っ。』

『栗花落ちゃん……。』

『もっと…っ、』

『栗花落ちゃん…、』

『うん…っ、』

『栗花落ちゃん。』

『う、ん……っ。』


だからこれはきっと、あたしにとって何よりの幸福であり不幸だろう。


言うなれば、そう……


アンラッキー