起業 後編/岡村友章
研究教育系の団体で5年勤め、1年の育児休業を取得し、復帰せずにそのまま退職した。すぐに大阪の茨木税務署へ向かった。開業の届け出を出すためだ。2017年4月のこと。
「辞職願」と同じくらい、「開業届」も単純なものだった。「私はいついつからどこどこを拠点にしてどういう生業をやります」。税務署職員が受付印を押した控えをもらい、確定申告をちゃんとしてくださいね、というお知らせを渡された。拍子抜けした。新たなスタートを切るときの不安も期待も入り混じった爽やかさを感じると思ったのに。辞職も起業も淡々としたものだ。
とはいえ、さあ今日から僕は創業者だという誇らしい気持ちがふつふつとしてくる。起業だなんて、レールの上を走るのが専門の指示待ち人間であった僕にとっては、最も向いていないと思っていたのに。だから、人が自分自身について向き不向きを自己判断するとき、必ずしもあてにならないことを僕は学んだ。あなた自身も、来年の今頃に何をしているのかなんて、とんと分からないと思ってもいいのではないだろうか。
前職の退職金が振り込まれ、普通自動車を買えるくらいの貯蓄があった。多くはないが当面は売り上げがなくても生きていける。そこで僕は、販売もそこそこに、農家まわりを続けることにした。このような活動にかかる出費は、種の水やり。だから惜しまない。心ある農家と会って得られる感情を、僕は必須栄養素ビタミンTと呼んでいる。Tは当然teaで、ださいことは分かっているのでそっとしておいてほしい。
妻は育児休業の途中だったし、まだ歩けなかった娘も連れて家族3人で熊本と宮崎を1週間ほど旅した。そして4人の茶農家と出会った。立派な仕事の一つであるにも関わらず、レジャー感に高揚する。これは仕事なのか?遊びなのか?
それまで自分はオンとオフをはっきりと分けていた。「オン」は職場でのてきぱきとした時間。そして「オフ」は休日に家で過ごす、ゆったりとした時間。世間一般でもオンとオフは明確に分けるべしという論調がふつうで、雑誌でもそのことを取り上げる記事が載っているくらいだった。
しかし今は、そのどちらもない。毎日をどうにかこうにか送っていくだけになった。仕事が遊びのように感じられることがあり、またはその逆に成り代わっていることもある。仕事と遊びは、必ずしも切り分けができないのではないだろうか。特に、仕事に楽しさを見出している場合は。あなたならどう思うだろうか。
いつもの日々はこんなふうに過ぎていく。
農家に電話をしてお茶を注文する。娘を幼稚園に送る。資材を集めて個包装する。朝ごはんをたまに作る。催事に申し込み、出店して販売する。洗濯物を干す。近所のお店に配達する。ブログを書く。合間にSNSで告知などをする。息子のオムツを替える。オンラインストアの対応をする。新規取引先と、打ち合わせという名の雑談をする。既存の取引先をときどき訪ねて雑談をする。皿を洗う。会計事務をする。子どもと風呂に入る。
これほどまでに仕事とそうでないものがごちゃまぜになることはなかった。おおむね嫌な感じはしないけれど、人によるだろうと思う。昨今の国からの在宅勤務推奨の流れは、働き手の精神状態の悪化につながる場合が多々あるのではないかと感じる。在宅だと人の目がないから、どうにもシャキっとしないことも多い。
ところで赤裸々な話だけれども、今はお茶だけでは食えていない。縁あって地元の社会福祉法人から声をかけていただきグループホームで世話人として働いていて、知的障害のある方々の身の回りのことをお手伝いする。僕はこの仕事のことを「副業」と呼ぶことに抵抗がある。片手間な気持ちでやっていい仕事ではないし、金銭的にも大いに世話になっているからだ。
起業した人がアルバイトをすることには賛否両論があるけれど、僕自身はいいことも多いと思っている。
ひとりで起業したら、同じ組織の同僚も上司もいない。全ての決定を自分で考えて、全ての行動結果にともなう責任を持つ必要がある。だから、考えすぎてつらくなってしまうことがある。そんなときには違う仕事の空気を吸わせてもらえるだけでも気持ちの入れ替わる思いがするし、思わぬ出会いもある。それに、無理して自身の事業だけにしがみつこうとするあまり、本意ではない針路をとって初心を歪めてしまうくらいならば、他の収入源を持ち精神的な落ち着きを得て、のびのびとやりたいことを育ててあげるほうがいい。
そうやって曲げたくないことを頑固に曲げずに続けているうちに、だんだんと興味を持ってくださるお客さんや事業者さんが少しずつ増えてきた。顔なじみになって世間話ができるようになると嬉しい。異業種の方であっても、根本のところで似た方向性を持っている方も多いから、そのような方々との雑談には希望があふれていて常々励まされる思いがする。孤独な時間が意外と多いから、人との交流には救われる。
きちんとした準備もろくにせず、貯蓄も大してせず起業して、アルバイトをしながらであってもどうにかこうにか3年と少しを暮らすことができた。心配事は意外と少なく、それはきっと起業前に思い悩んだいろいろについて大して考える暇もないからだと思う。(専らの心配事は、2歳の息子の少食気味であることだ)
感情面で言えば、前の仕事と比べて嬉しさとか胸の震えるような感動を味わう機会がぐっと多くなった。人の支えてくれるありがたみもよくわかる。縁なくしては生きていけないことを噛み締める。それだけでも、やはりやっていてよかったと感じている。以前の自分ならばあまり感じなかったことばかりだ。
ブレなければ、どうにかなるものだ。
起業 前編
いつのまにかあなたはそのドアの前にいた 前編
いつのまにかあなたはそのドアの前にいた 後編
岡村友章
大阪府島本町に生まれ育ち、いっとき離れるも戻る。「にほんちゃギャラリーおかむら」主宰。茶農家に会い、ときに農作業や茶工場の仕事を一緒にしつつ、彼らから茶葉を仕入れて販売している。