【京都府】東舞鶴(舞鶴市)
京都府北部の日本海に面する港湾都市・舞鶴は、市の中心部に五老岳があるため、市街地が東西に分かれ、それぞれ性格が異なる。
西舞鶴が近世から繁栄してきた田辺藩の城下町だったのに対し、東舞鶴は小さな寒村に過ぎなかった。
明治22(1889)年に湾口が狭く防御に適した舞鶴湾に海軍鎮守府の設置が決定されると、東舞鶴に海軍所施設の建設が開始され、同34年に鎮守府が開庁された。
同時に碁盤目状の市街地が区画され、軍港都市として発展する。
鎮守府軍需本部があった北吸地区には、明治34年から大正8年にかけて建設された鎮守府倉庫施設の煉瓦造り及び鉄骨煉瓦造り建築物が12棟、軍をなして現存し、うち8棟が重要文化財指定を受けている。
一方、市街地の東側にある竜宮地区はかつての遊廓地で、全盛時には貸座敷が46軒、娼妓が340~350人と規模が大きかったが、ワシントン会議により軍縮が実施されると貸座敷29軒に娼妓80人と衰退した(『全国遊郭案内』より)
【京都府】東舞鶴「赤れんがパーク」(舞鶴市)201908
京都府北部の日本海に面する舞鶴だが、市の真ん中にある五老岳のため市街地が東西に分かれている。
江戸時代、もっとも栄えていたのは城下町だった西舞鶴の方で、東舞鶴は小さな寒村だった。
そんな東舞鶴に鎮守府が置かれたのは明治22(1889)年で、現在市役所が置かれている北吸地区には明治から大正にかけて建造された鉄骨煉瓦造りの倉庫12棟が集結し、うち8棟が重文指定を受けている。
これらの建築群を活用し、「赤れんがパーク」と呼ばれる観光施設として公開している。
写真の正面に5号棟(旧砲銃庫 大正7年築)、両側に3号棟と4号棟(いずれも旧兵器廠倉庫 明治35年築)が向き合う箇所は有名な撮影スポットである。