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純情ヒエラルキー

「禁欲主義者の欲望」:本編沿い / ライ刹要素有

2009.12.31 15:00

 変だわ。 頭が焼けるみたい。 胸が燃えているみたい。 

 わたし、おかしくなってしまったのかしら。 



 それは、本当にふとした、ふとしたきっかけだった。 わたしは、もう気が動転していてなんの仕事かさえ忘れたけれど、何らかの理由があってトレミーのどこかの通路を移動していた。みんなそれぞれの訓練や食事を取っていたりして、あまり人気のない時間帯。その時、その時だった。曲がろうとした角に差し掛かったとき、聞き慣れた二人の男の声がしたのだ。 

  一瞬驚いたわたしは、思わず足を止めて影から二人の様子を伺った。何故かと言うと、明らかに険悪な雰囲気が漂っていたからだ。どうやら、言い争っているよう。ロックオン、ライルが刹那を壁に押し付けて、何かを訴えている。わたしは思わず聞き耳を立ててしまった。

 「刹那、いい加減にしろ。俺をここに連れてきたのはお前だぞ?」 

「…分かっている」 

「分かってないから言ってるんじゃないか」

  何だか事情がありそうな雰囲気だった。 刹那はライルに腕を掴まれていて、動きたくとも身動きも出来ない状況だ。…多分、深入りするのはよくない。そう思ったわたしはそっと元来た道を戻ろうとした。が、振り返ったときに、刹那の、何だかくぐもった様なそんな声が聞こえるではないか。わたしはまた驚いて、つい好奇心に負けて二人の様子を壁から伺ってしまった。それがいけなかったのだ。すぐに立ち去れば、こんなことにはならなかったのに。

 「んっ…あ…」

 「刹那…」

  目を見開いた。そして、思わず壁に再び身を隠した。 …なにしているの?二人とも? 一瞬移った二人の姿。足と足を絡めて、額を合わせて…キス、してた…? 

 わたしは何が何だか分からなくて、ただ顔を真っ赤にさせることしか出来なかった。押さえた耳には、微かにどちらのものとも言えぬ色っぽい声が入り込んでくる。何やっているのよ。やめて、やめて…! すっかり気が動転してしまったわたしは、そのまま、その場に凍り付いてしまって。動くことすら、出来なかった。 


 * 


 いきなりキスを求められたので、その手を振り払って睨み付けた。 ライルは一瞬驚いたような顔をして怯んだので、その隙に彼の腕から逃れて駆け出した。走る。最初の通路を曲がって、ブリッジのほうへ、そこ、には、 

 「…フェルト、グレイス」 

  目を丸くさせた彼女が立っていた。真っ赤な顔で俺を真っ直ぐに見て、何も言わずにそこに立っていた。

 「…いつから、」

 なんて言葉をかけていいのか分からなかった。 言い訳すればいいのか、はぐらかせばいいのか、あるいは何も言わずに立ち去ればいいのか。そして、脳がフル回転して生み出した結果は、何故か彼女を責めるような言葉になっていた。口に出した瞬間、自分が嫌になるほど後悔した。俺は自分が動揺していることに気づいた。そして理由は、相手が彼女だからだと、何故かはっきりと自覚していた。彼女の顔を見つめる。真っ赤な顔で、唇が戦慄いていた。

「…ごめんなさい!」 

 次の瞬間、彼女は驚くくらいの勢いで頭を下げて、そのまま踵を返して走っていった。引き止めようとも何と言えばいいのか分からなかったので、伸ばしかけた手は微妙な高さで止まったまま。俺は彼女の後姿を見つめることしか出来なかった。

「おおっと、見られちまった?」 

 真後ろから能天気な声。俺はとりあえず背中の男を一通り睨み付けたあと、足早にそこを去ったのだった。彼女を追いかけるつもりは微塵もなかったが。 



 彼を自然に避けてしまっていた。 顔を見ると、あのときのことを思い出してしまいそうで。申し訳ないやら恥ずかしいやら、とにかくいろんな思いがスーパーボールみたいに私の身体の中で跳ね躍っている。胸が苦しくなる。熱くなる。頭が燃えるようになる。…そんな状態がもう長く続く。

 刹那もそれをしっかり感じ取っているようだった。 今まで微妙な距離感を保っていた私たちだったから、この奇妙で可笑しな繋がりは滑稽にも思えた。嫌だなあ。せっかく出来た繋がりなら、もっとよいものが良かったわ。と一人考えてみる。でも最後には、もう取り返しの付かないことなのだとやっぱり一人で落ち込むのだ。

 ライルと刹那。二人が一線を越えた関係だと言うこと。もう18になっていたわたしには、心のどこかでうすうすとそれを感じていたのかもしれない。刹那があの人を連れてきたその日から。私はあの人のことを認められなくて、今はいないニール・ディランディに重ねてばかりいた。あの人が私にキスをしたときに、もうそれからは決別したけど(今思い出しても胸がむかむかして、頭に血が上る)。 

 わたしは刹那の顔を見るたび気まずい、この何とも言えない気持ちに駆られるのに、とうの刹那は何にも気にしていないように見えた。無表情だから、余計分かり難いのだと思うけど。 

「なぁんかヘンね。なにかあった?」 

「…え?」 

「貴方と刹那よ」

 さすが、スメラギさんは鋭い。

 そうですか? なんでもないですよ、とかろうじて小さな声で呟いた。 

「そお?ならいいんだけど…」 

 納得のいかない様子だったが、何気なく仕事に戻っていくスメラギさんを見て少しほっとした。

 そう、誰も知らなくていい。こんな気持ちになっているわたしの弱さも、かき乱されているこの心も。キーボードを打つ手は、なかなか進まなかった。刹那のことばかり考えてしまう自分が嫌だ。すぐに治ると思ったのに、日に日に増していくこの気持ちに、混乱していた。

「…あ、そうそうフェルト、悪いんだけど、」 

「はい?」 

「この前言ってたあれ、今日中に終わらせて欲しいのよ。出来るだけ早く必要になって」

 ああ、この前後回しにしていた仕事のことだ。その膨大な量を思い出して、少しやるせなさを感じたが仕事ならしょうがない。

「分かりました」

「悪いわね。こんなこと急に頼んで」

「いえ…任務ですから」 そんなつい出てしまうわたしの口癖を聞いて、スメラギさんは困ったように笑った。堅苦しいところは何年経っても変わらないのだ。

 期限は明日まで。なら今すぐにでも取り掛からなくては。そう思って立ち上がった。微笑むスメラギさんに会釈して、わたしはブリッジから出て行く。

「あのお~ノリエガさん?」

「なあにミレイナ?」

「あの、今の仕事って、確かグレイスさんじゃなくて…」

「ミレイナ」

「はい?」

「世の中にはね、知らなくて良いこともあるのよ」

「はい…です」 

  戦術予報士のその言葉に、少女は頷くしかなかった。



 …スメラギさんを恨んだことは初めてだ。そう、わたしはあの人を見くびっていた!


 膨大なデータが保管されているコンピュータ・ルームに行かなければ、その作業は出来ない。 コンピューター相手の立ち仕事だし、一人じゃ気が重い仕事だ。刹那のこともあるし(つまり、一人になるとつい刹那のことを考えてしまうのだ)、わたしはため息をつきながら部屋のロックを開けようとした。

「…?」 

 おかしい。部屋のロックは解除済みだった。殆ど使わない部屋だから、誰かが掛け忘れたのかと思うのも変だ。疑問に思いながらドアを開ける。

 …このときのわたしの動揺と来たら、本当に天と地がひっくり返ったかと思ったくらいだ。そのくらい驚いて、心臓が飛び出しそうになった。

「…フェルト・グレイス? 何故ここに」

 本棚のように立ち並んだ機械からひょっこり顔を出したのは、少し驚いた顔をした刹那だった。

「刹、那…?」

 どうしてここに、と聞き返したかったけれど、刹那の問いにも答えなきゃいけないとか、今にも逃げ出したいとかそんなことでわたしはいっぱいいっぱいだった。やっとの思いで出した声は本当に掠れて奇妙な声で。

「その、この前あと回しにしてたデータ整理、スメラギさんに頼まれて…」

「…奇遇だな、俺もだ」

「そ、そうなんだ、」 

 その瞬間全てを理解した。スメラギさん! あなたは一体なんてこと! 

「思っていたより量が多い。手伝ってもらえるとありがたいのだが」

「うん…」

 いつもと変わらない刹那の態度、表情。誰に対しても、平等。それがわたしを嬉しいような悲しいような、複雑な気持ちにさせる。わたしはゆっくりと刹那の横まで歩いて行って、コンピューターを起動させた。目が眩むくらいの量のデータ。刹那が助けを求めるのも肯ける。

「判断に迷うところはそちらに転送する」

「うん。多分もう必要ない奴だと思うから」

 もともとデータ処理なんて刹那の分野ではないのに。何故自分に白羽の矢が立ったのか刹那も不思議なはずだ。スメラギさんを少し恨みつつも、巻き込んでしまった刹那に申し訳なさを覚えた。出来ればもう刹那との繋がりを絶ちたかったから。

 なるたけ何も考えずに、黙々と作業を続けていると、何だか4年前のわたしたちを思い出した。4年前、会話らしい会話なんて殆どしたことがなかった。お互い仲間としての意識しかなくて、それ以上でもそれ以下でもなかったからだと思う。今はもう二人とも大人になって、男と女の境界線が出来て、いろいろ勝手が変わってきたのだ。

 それに気付かなかったから、わたしは刹那とライルのあんな光景をみてこんなにも動揺したのだ。もっとわたしが大人だったらこんなことにはならなかった。そう、全部わたしが幼かったせい。刹那のことを思う度、胸が苦しくなるのも、全部、全部。

「…ひとつ、聞きたいんだが」

 ちょうどそう考え終えた瞬間、刹那が突然口を開いた。

「…え?」

 驚いて刹那を見ると、俺の思い過ごしかもしれないが、と前置きをした。 

「…俺を、避けているのか?」 

 誰が、とは言うまでもなかった。鼓動が速くなる。体温が上がる。目頭が、熱くなる。そんなこといきなり聞くなんて、ずるい。理由なんてあなたが一番知っている。

「……」 

 黙っているわたしに、刹那は続けた。

「…この前のことを気にしているなら…あれは違う、ただの…」

「…違ってなんかないでしょう」

「?」 

 今度は刹那が驚く方だ。言葉が体の奥から沸き上がってくる。…ダメ。もう止まらない。

「違く、ないんでしょ? もうずっと前から、二人はそういう関係だった」

「フェルト、」

「秘密だったのよね、二人だけの。でもわたしがそれを見ちゃって、…邪魔して、…」 

 自分でも何を言ってるのか分からなかった。辛い。ライルと刹那が妬ましくて、浮かび上がってくる感情は怒り。嫉妬だ。初めての感情。いまのわたしの中で渦巻いている感情。 なんで刹那はあの人とキスをしていたの? 何故、何故…? 

「違う、俺はただ、」

 「聞きたくない…!」

 叫んだ拍子にわたしの手からキーボードが乾いた音を立てて床に落ちていった。 



 彼女は今までに見たことがないくらい動揺していた。拳を強く握って、何かを必死に堪えているようだった。ライルとキスをしていたことが、何故彼女をこんなにも苦しめているのか、刹那には理解できなかった。 彼の恋愛観は人よりかいくらか逸脱していたから、嫉妬だとか執着だとかの思いに捕らわれずに生きてきた。だから彼女が何の感情に苛まれているのかが分からなかったのだ。

 でも、涙さえ浮かべる彼女を見て、こんなにも悲しんでいる彼女を、見て。

(…そんな顔をしないで欲しい)

  そう思えた。何故だかは分からない。自分の体の、心の奥底から沸き上がってくる感情は確かに、彼女が悲しんでいることに嘆いている自分だ。泣かないでくれ。悲しまないでくれ。…笑っていてくれ。 でも彼はどうしたらいいのか分からない。どんな言葉をかければいいのかも、その術を知らないのだ。



 沈黙が流れた。心地よさは皆無で、お互いに言葉を探して、迷い戸惑っていた。わたしは後悔しかしていなかったし、刹那はそんなわたしに辟易しているはず。当たり前だ。自分の愚かさに落ちたキーボードを拾う気にもなれない。俯くと、自然と涙がこぼれた。刹那の、ヒュウと息を飲む声が小さく聞こえた。

「フェル、…」

「ごめんなさい」

 何か言おうとした彼の言葉を遮った。涙がまたわたしの頬を流れこぼれていく。

「もう、邪魔したりなんかしないわ」

「フェルト、さっきから誤解を、」

「誤解…違う、だって…だって、誤解なんかじゃ…」

「俺の目を見ろ!」 

 そう刹那が叫んだと思うと、手首を掴まれた。強い力で顔を上げさせられて、涙がきらりと宙を舞う。 一瞬驚いて、悪いことをして怒られた時みたいな、そんな風に鼻の奥がつんとする感覚。わたしは刹那の切羽詰まった表情を、滲む視界の中見つめていることしか出来なかった。恐ろしいような、あるいはまるで刹那がこうしてくるのを待ちわびていたような、奇妙な心情に、戸惑って、ぐちゃぐちゃにされて。

「…う、」 

 静寂の中、わたしの小さな嗚咽が情けなく響く。両の手首は強い力によって抵抗することは叶わない。それが嬉しいと思う自分がいる。離さないで。掴まえておいて、と。 

「フェルト、俺は…」

「…いや、いやなの…もう、刹那のことを考えるのも、全部、全部…終わりにしたい…」 

 そう呟くのが精一杯だった。刹那のことが好きなんだ。好きで好きで仕方がないんだ。こんなに苦しいのはわたしが幼いからなんかじゃない、わたしが、わたしが好きだからなんだ。でも苦しくって、心が痛い。どうしようもならない。

「お前…」

  刹那が何かに感づいたように、掠れた声で言った。 その後降りてきたのは、そんなに辛かったのか、と言う彼の優しい声だった。突然船が揺れて、わたしの体は力を失い、刹那を道連れにしてずるずると床に倒れていく。刹那はそのままわたしをゆっくりと抱き寄せると、おずおずとした仕草でわたしの背中に腕を回した。潮の流れのせいで機体が不安定だと告げるアナウンスも、わたしの耳に入らない。彼の体温を間近に感じる。それだけで精一杯だったのだ。

「すまない」 

 心地良いその声が耳朶を振動させた。

「気付いてやれなくて」 

 刹那の声は苦しかった。後悔して、悲しくて、溜まらないような声だった。 わたしもそっと彼の背中に手を回した。好き、刹那のことが好き、とわたしは愛を囁いた。彼は答える代わりにわたしを真っ直ぐに見て、そして不器用な仕草でわたしにキスをした。

 これでは彼を満足させてあげられない自分がいることを、キスの中で知った。それは彼も同じのようだった。わたしも必死で彼の体と、唇と、微かな彼独自の匂いとを感じていた。そっと唇が離れると、彼はわたしを真っ直ぐに見て、今夜部屋に行ってもいいかと呟いたので、わたしは顔を真っ赤にしながら、はい、と呟いた。