好きも嫌いも執着にかわりはない
こんにちは。
こころの健康支援室 そらいろのmirineです。
8月に入り、連日各地で新型コロナウイルスの新規感染者数が高止まりしている状態が続いています。
政府と各自治体によって方針もバラバラのため、ますます混乱が深まっている印象です。
どうぞ皆さま、くれぐれもご自愛くださいませ。
「執着」と聞くと、好きなものや人にこだわるというようなイメージがあるでしょうか。
デジタル大辞泉によると、「一つのことに心をとらわれて、そこから離れられないこと」と定義づけられており、例として「金に執着する」が挙げられていました。
お金に執着するということは、やはりお金が好きだからこそ執着するんだと感じられるのではないでしょうか。
とはいえ、辞書に挙げられている定義には、心をとらわれて離れられないとはありますが、心をとらえるものに対する好悪については示されていません。
好きなものに心をとらわれて離れられないというのは、自分の経験をふり返ってみても分かりやすいかと思いますが、嫌いなものに心をとらわれて離れられないというのは、もしかしたら直感的には分かりにくいことかもしれません。
たとえば、嫌いな人やその人にされたことというのは、忘れようと思ってもなかなか忘れられないものではないでしょうか。
好きの反対は無関心とよく言われるように、好きも嫌いもベクトルが異なるだけで、とらわれていることに変わりはありません。
好きは近くにあることを好ましく感じ、離れることを嫌だと感じる。
嫌いは近くにあることを嫌だと感じ、離れることを好ましく感じる。
好きも嫌いも、自分と対象との距離によって感情が揺さぶられるという点では同じです。
好きでも嫌いでも、執着は過ぎれば苦しくなるものです。
好きであればあるほど、相手から嫌われること、離れることが辛く苦しくなります。
嫌いであればあるほど、たとえ物理的に距離があっても、思考がそこから離れなくて辛く苦しいこともあるでしょう。
執着が強ければ強いほど、感情もそれに合わせて揺れ動きます。
まずは、感情の荒波も、大波も、さざ波も、飲み込まれることなく向き合うことで、そのもとにある執着の詳細を見ることができるようになります。
なぜとらわれて離れられないのか、解きほぐす糸口を探すことができるようになります。
好きすぎて離せないも、嫌いすぎて離せないも、どちらもしんどいものです。
「一つのことに心をとらわれて、そこから離れられない」状態に気づくことが、自分をとらわれから解放する最初の一歩になるでしょう。
かしこ