ラヴィクマール監督『ムトゥ 踊るマハラジャ』
日本語のルーツは
歌と踊りと哄笑の世界にあり?
207時限目◎映画
堀間ロクなな
ひたすらノーテンキであることの楽しさ、まぶしさ! この映画に接したら、どんなに落ち込んでいても目を釘付けにされて、たちまちインドの青天のように気分が晴れわたるに違いない。当今の「ボリウッド」ブームの先駆けとなったK・S・ラヴィクマール監督の『ムトゥ 踊るマハラジャ』(1995年)だ。
大地主の屋敷で働くムトゥ(ラジニカーント)は気が優しくて力持ち、いつも陽気に周囲を盛り上げている大の人気者だ。ある日、芝居好きの若主人のお供をして赴いた旅芸人の一座で看板女優のランガナーヤキ(ミーナ)と出会い、はじめはいがみあったものの、そこはそれ、ふたりのあいだに恋心が芽生えてからはお約束どおりのド派手な歌あり、踊りあり、哄笑あり……のめくるめくスペクタクルが繰り広げられていく。かくて気がつくと、わが身も自然とリズミカルに左右に揺れているのである。
ただし、わたしが久しぶりにこの作品の再見におよんだのは、たんに頭のなかをスッカラカンにしてリフレッシュしたかったからだけではない。現行のDVDがオリジナルのタミル語で収録されていると知ったことが理由だ。
タミル語といえば、あの碩学の国語学者・大野晋博士が日本語のルーツだとした言語ではないか! 南インドに分布するドラヴィダ語族のひとつ、タミル語と日本語のとのあいだには単語や文法の面で、他の言語に見られないほどの密接な対応関係があるという。おそらく紀元前10世紀ごろに古代タミル文明の人々が船で北九州に到来して、水田稲作、鉄の使用、機織りなどの当時の最先端技術を伝えたばかりでなく、それにともなって生活の基本となる言葉や五七五七七の歌の韻律が持ち込まれたと推定しているのだ。いかにも気宇壮大な博士の学説に、はるかな歴史へのロマンをふくらませて心ときめかせた覚えがあるのはわたしだけではないだろう。
そのタミル語をこれまで耳にする機会などなかったから、改めてこの映画のDVDを眺めることで多少なりとも日本語の原風景に触れてみたいと考えたのだ。もっとも、浅学菲才のわたしには当然ながら、そこで口にされている言葉の発音を聞き分けるのさえ困難で、まして日本語との接点を見出すなどとうていできる相談ではなかったけれども。
晩年の博士が心血を注いで編纂に取り組んだ『古典基本語辞典』(2011年)には、ときに応じて見出し語とタミル語の対比も記述されていて、たとえば、【叫ぶ】sak-ebu、sak-abu(方言)について、タミル語ではak-avuといい、意味は〔1〕(孔雀のように)声を立てる、〔2〕歌う――と説明しているのだ。その単語が示す華やかな内容は、まさに映画のなかでムトゥとランガナーヤキが惜しげもなく披露してくれているものだろう。そしてまた、わが国の『古事記』上つ巻において、太古の神々たちが演じるエネルギッシュでエロティックな歌謡の世界にも重なってくるようではないか。
日本語のタミル語起源説は、大野博士が世を去ったのちはめっきり旗色が悪くなった印象があるものの、学問上の論議はともかく、われわれの文化にはそうしたノーテンキな歌と踊りのDNAが埋め込まれていると想像するのは愉快だ。いや、待て。ノーテンキだけを言い立てるのは軽率の誹りを免れまい。ここに描かれる極彩色の歌と踊りは、インドの身分差別にがんじがらめにされた社会を足元に踏まえて、その不条理に向かって哄笑を爆発させていることに気づく必要がある。だからこそ、ムトゥはランガナーヤキと初めて対面したときにこんな説教をしたのだ。
「男は顔じゃないぞ、心だ。そんなふうにひとを傷つけるのはやめて、同じことを言うにも微笑んで話せ。そうすりゃわかる、この国の素晴らしさやタミル語の美しさが。高慢ちきもほどほどにしな」
それは遠い祖先が日本列島に稲作を伝授してから3000年、いまや経済大国となりおおせたわれわれへのメッセージでもあるのかもしれない。