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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

30年戦争3-反ハプスブルク、リシュリュー登場

2020.08.07 08:48

ボヘミアでは勝利したフェルディナンド2世によってプロテスタント首謀者の処刑ははおろか658家の貴族と50都市が領地を没収された。そして選挙王制は廃止され、ハプスブルクの世襲領土となり、苛烈な再カトリック化が行われ、15万人が亡命した。

スペイン軍はプファルツを占領し、反乱の首謀者プファルツ選定候フリードリヒ5世はオランダに亡命した。そして教皇をまきこみ、1623年2月23日、選定候の地位をバイエルン侯マクシミリアン1世に与えたのである。そしてバイエルン侯の権力を抑えるため、プファルツにスペインを残留させた。

これは欧州諸国は愕然とした。東西両ハプスブルクの連携はかつてのカール5世ではないか。隣国フランスでは王太后マリーが幽閉を脱出し、母子戦争が勃発していた。この調停役として弁舌が巧みで、王太后マリーに近い枢機卿リシュリューが活躍するのである。

リシュリューはルイ13世と王太后マリーとの間を巧みに渡り、1624年には、国務会議の長として権力の最高の地位に立つ。枢機卿はハプスブルクの力の増大を警戒し、何と新教国であるオランダ、デンマーク、イングランド、スウェーデンとハーグ同盟を結ぶのである、いやいや奇々怪々。

下はルーベンス作「マリー・ド・メディシスの生涯」より左ブロア城脱出右アングレーム条約