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俳人蕪村 ②

2020.08.07 14:29

http://www2s.biglobe.ne.jp/~Taiju/taiju_annex/1899_haijinbuson.htm  【俳人蕪村】より

人事的美

天然は簡單なり。人事は複雜なり。天然は沈默し人事は活動す。簡單なる者に就きて美を求むるは易く、複雜なる者は難し。沈默せる者を寫すは易く、活動せる者は(*ママ)難し。人間の思想感情の單一なる(*、)古代にありて比較的に善く天然を寫し得たるは易きより入りたる者なるべし。俳句の初より天然美を發揮したるは偶然にあらず。然れども複雜なる者も活動せる者も少しく之を研究せんか(*、)之を描くこと強 ち難きにあらず。只俳句十七字の小天地に今迄は輕うじて(*ママ)一山一水一草一木も寫し出だしゝものを、同じ區劃の内に變化極りなく活動止まざる人世の一部分なりとも縮寫せんとするは難中の難に屬す。俳句に人事的美を詠じたる者少き所以なり。芭蕉去來は寧ろ天然に重きを置き、其角嵐雪は人事を寫さんとして端無く佶屈聱牙(*原文「贅牙」)に陷り或は人をして之を解するに苦ましむるに至る。此の如く人は皆之を難しとする處に向つて獨り蕪村は何の苦もなく進み思ふまゝに濶歩横行せり。今人は之を見て却て其容易なるを認めしならん。しかも蕪村以後に於てすら之を學びし者を見ず。

芭蕉の句は事を詠みたる者多かれど、皆自己の境涯を寫したるに止まり

鞍壺に小坊主のるや大根引

の如く自己以外に在りて半ば人事を加へたるすら極めて少し。

蕪村の句は

行く春や選者を恨む歌の主

命婦より牡丹餅たばす(*原文「たはす」)彼岸かな

短夜や同心衆の川手水

少年の矢數問ひよる念者(*念入りな人)ぶり

水の粉(*麦こがしの類)やあるじかしこき後家の君

虫干や甥の僧訪ふ東大寺

祇園會や僧の訪ひよる梶がもと  (*梶の葉に所願の歌を書く。)

味噌汁をくはぬ娘の夏書(*げがき。夏安居の写経。)かな

鮓つけてやがて去にたる魚屋かな

褌に團扇さしたる亭主かな

靑梅に眉あつめたる美人かな

旅芝居穗麥がもとの鏡立て

身に入むや亡妻の櫛を閨に踏む

門前の老婆子薪貪る野分かな

栗そなふ惠心の作の彌陀佛

書記典主(*でんす)故園に遊ぶ冬至かな

沙彌律師ころり\/と衾かな

さゝめごと(*原文「さゝめこと」)頭巾にかづく(*原文「かつく」)羽折かな

孝行な子供等に蒲團一つづゝ

の如き(*、)數さへ盡さず。此等の什(*歌)必ずしも力を用ゐし者に非ずと雖も(*、)皆善く蕪村の特色を現して一句だに他人の作とまがふべくもあらず。天稟とは言ひながら(*原文「言びながら」)老熟の致す所ならん。

天然美に空間的の者多きは殊に俳句に於て然り。蓋し俳句は短くして時間を容るる能はざるなり。故に人事を詠ぜんとする場合にも、猶人事の特色とすべき時間 を寫さずして空間を寫すは俳句の性質の然らしむるに因る。たま\/時間を寫す者ありともそは現在と一樣なる事情の過去又は未來に繼續するに過ぎず。こゝに例外とすべき蕪村の句二首あり。

御手討の夫婦なりしを更衣

打ちはたす梵論(*ぼろ。梵論字=乞食僧。)つれだちて夏野かな

前者は過去のある人事を叙し後者は未來のある人事を叙す。一句の主眼が一は過去の人事に在り、一は未來の人事に在るは二句同一なり、其主眼なる人事が人事中の複雜なる者なる事も二句同一なり。此の如き者は古往今來他に其例を見ず。

理想的美

俳句の美或は分つて實驗的理想的の二種となすべし。實驗的と理想的との區別は 俳句の性質に於て既に然るものあり。此種の理想は人間の到底經驗すべからざること、或は實際有り得べからざることを詠みたるもの是れなり。又た實驗的と理想的との區別(*、)俳句の性質にあらずして作者の境遇に在る者あり。此種の理想は今人にして古代の事物を詠み、未だ行かざる地の景色風俗を寫し、曾て見ざる或る社會の情状を描き出す者是なり。こゝに理想的といふは實驗的に對していふものにして兩者を包含す。

文學の實驗に依らざるべからざるは猶繪畫の寫生に依らざるべからざるが如し。然れども繪畫の寫生にのみ依るべからざるが如く文學も亦實驗にのみ依るべからず。寫生にのみ依らんか(*、)繪畫は終に微妙の趣味を現す能はざらん、實驗にのみ依らんか(*、)尋常一樣の經歴ある作者の文學は到底陳套を脱する能はざるべし。文學は傳記にあらず記實にあらず。文學者の頭腦は四疊半の古机にもたれながら其理想は天地八荒(*八方の隅。八紘。)の中に逍遙して無碍自在に美趣を求む。羽なくして空に翔るべし、鰭 なくして海に潜むべし。音なくして音を聽くべく、色なくして色を觀るべし。此の如くして得來る者必ず斬新奇警人を驚かすに足る者あり。俳句界に於て斯人を求むるに蕪村一人あり。翻つて芭蕉は如何と見れば(*、)其俳句平易高雅奇を衒せず新を求めず盡く自己が境涯の實歴ならざるはなし。二人は實に兩極端を行きて毫も相似たる者あらず、是れ亦蕪村の特色として見ざるべけんや。

芭蕉も初めは

菖蒲生り軒の鰯の髑髏

の如き理想的の句無きにあらざりしも、一たび古池の句に自家の立脚地を定めし後は徹頭徹尾記實の一法に依りて俳句を作れり。しかも其記實たる(*、)自己が見聞せる總ての事物より句を探り出だすに非ず、記實の中にても只自己を離れたる純客觀の事物は全たく之を抛擲し只自己を本として之に關聯する事實の實際を詠ずるに止まれり。今日より見れば其見識の卑きこと實に笑ふに堪へたり。蓋し芭蕉は 感情的に全く理想美を解せざりしには非ずして、理窟に考へて理想は美に非ずと斷定せしや必せり。一世に知られずして始終逆境に立ちながら、堅固なる意思に制せられて謹嚴に身を修めたる彼が境遇は苟にも嘘をつかじとて文學にも理想を排したるなるべく、將た彼が愛讀したりといふ杜詩に記實的の作多きを見ては俳句も斯くすべきものなりと自ら感化せられたるにもあらん。芭蕉の門人多しといへども芭蕉の如く記實的なるは一人も無く、又芭蕉は記實的ならずとてそを惡く言ひたる例も聞かず。芭蕉は連句に於て宇宙を網羅し古今を翻弄せんとしたるにも似ず、俳句には極めて卑怯なりしなり。

蕪村の理想を尚ぶは其句を見て知るべしといへども彼曾て召波に教へたりといふ彼の自記は善く蕪村を寫し出だせるを見る。曰く

(略)其角を訪ね嵐雪を訪ひ素堂を倡ひ(*「倡へ」か。)鬼貫に伴ふ(*。)日々此四老に會してわづかに市城名利の域を離れ林園に遊び山水にうたげし酒を酌て談笑し句を得るこ とは專不用意を貴ぶ(*。)かくの如くすること日々(*、)或日又四老に會す(*。)幽賞雅懷はじめの如し(*。)眼を閉て苦吟し句を得て眼を開く(*。)忽ち四老の所在を失す(*。)しらず(*、)いづれの所に仙化し去るや(*。)恍として一人自彳む時に花香風に和し月光水に浮ぶ(*。)是子が俳諧の郷なり(略)

蕪村は如何にして理想美を探り出だすべきかを召波に示したるなり。筆にも口にも説き盡すべからざる理想の妙趣は輪扁の木を斷るが如く終に他に教ふべからず(*『荘子』の逸話から。)といへども、一棒の下に頓悟せしむるの工夫なきにしもあらず。蕪村は此理想的の事を猶理想的に説明せり。且つ其説明的なると文學的なるとを問はず(*、)斯の如き理想を述べたる文字に至りては上下二千載我に見ざる所なり。奇文なるかな。

蕪村の句の理想と思しき者を擧ぐれば

河童の戀する宿や夏の月

湖へ富士を戻すや五月雨

名月や兎のわたる諏訪の湖(*うみ。『古事記』の逸話を踏まえる。)

指南車を胡地に引き去る霞かな  (*涿鹿における黄帝と蚩尤の戦の故事を踏まえる。)

瀧口に燈を呼ぶ聲や春の雨

白梅や墨芳ばしき鴻臚館

(*元慶三年初夏、鴻臚館で渤海使と菅原道真・紀長谷雄らが応酬した『鴻臚贈答詩』を踏まえ、道真ゆかりの梅から春の季に改めた句か。)

宗鑑に葛水たまふ大臣かな

(*瘧を病んだ山崎宗鑑に近衛公が戯れた「宗鑑が姿を見れば餓鬼つばた」に宗鑑が「飲まんとすれど夏の沢水」と付けたという。)

實方の長櫃通る夏野かな

(*藤原行成の冠を打ち落とした藤原実方に激怒した一条天皇が「歌枕見て参れ。」と言って陸奥守に任じた故事。)

朝比奈が曾我を訪ふ日や初鰹

(*朝比奈三郎義秀と曾我五郎が鎧の草摺を引き合い力比べをする逸話と端午の節句を取りなした。)

雪信が蠅打ち拂ふ硯かな

(*狩野之信が伊勢国岩根山の絶景に筆を投げ捨てたため筆捨山の名が生れたという言い伝えを蠅のためとした句か。)

孑孑(*ぼうふり)の水や長沙の裏長屋(*裏借家)

追剥を弟子に剃りけり秋の旅

鬼貫(*伊丹の酒造家の出身。)や新酒の中の貧に處す

鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな

(*保元の乱で崇徳上皇方に集まった武家が僅少だったことを指す。)

新右衞門(*狩野秀信)蛇足をさそふ冬至かな

寒月や衆徒(*しゅと)の群議の過ぎて後

高野

隱れ住んで花に眞田が謠かな

(*関ヶ原合戦で敗将となった真田昌幸・幸村父子が高野山に配流されたこと。)

歴史を借りて古人を十七字中に現し得たる者以て彼が技倆を見るに足らん。

複雜的美

思想簡單なる時代には美術文學に對する嗜好も簡單を尚ぶは自然の趨勢なり(*。)我邦千餘年間の和歌の如何に簡單なるかを見ば人の思想の長く發達せざりし有樣も見え透く心地す。此間に立ちて形式の簡單なる俳句は却て和歌よりも複雜なる意匠を現さんとして漢語(*原文「漢話」)を借り來り佶屈なる直譯的句法をさへ用ゐたりしも、そは一 時の現象たるにとゞまり、古池の句は終に俳句の本尊として崇拜せらるゝに至れり。古池の句は足引の山鳥の尾のといふ歌の簡單なるに比すべくもあらざれど猶俳句中の最簡單なる者に屬す。芭蕉は之を以て自ら得たりとし終身複雜なる句を作らず(*、)門人は必ずしも芭蕉の簡單を學ばざりしも複雜の極點に達するには猶遠かりき。

芭蕉は「發句は頭よりすら\/と云下し來るを上品とす」と言ひ(*、)門人洒堂に教へて「發句は汝が如く物二三取集る物にあらず(*。)こがねを打のべたる如くあるべし(*。)」と言へり。洒堂の句の物二三取集るといふは

鳩吹くや澁柹原の蕎麥畑

刈株や水田の上の秋の雲

の類なるべく(*、)洒堂亦常に好んで此句法を用ゐたりとおぼし。然れども洒堂の此等の句は元祿の俳句中に一種の異彩を放つのみならず、其品格よりいふも鳩吹(*・)刈株 の句の如きは決して芭蕉の下にあらず。芭蕉が此特異の處を賞揚せずして、却て之を排斥せんとしたるを見れば、彼は其複雜的美を解せざりし者に似たり。

芭蕉は一定の眞理を言はずして時に隨ひ人により思ひ思ひの教訓をなすを常とす。其洒堂を誨へたるも此等の佳作を斥けたるにはあらで寧ろ其濫用を誡めたるにやあらん。許六が「發句は取合せものなり」といふに對して芭蕉が「これ程仕よき事あるを人は知らずや」といへるを見ても強ち取合を排斥するには非るべし。されどこゝに言へる取合とは二種の取合をいふ者にして洒堂の如く三種の取合をいふに非るは芭蕉の句許六の句を見て明なり。芭蕉亦凡兆に對して「俳諧もさすがに和歌の一體なり(*。)一句にしをりあるやうに作すべし」といへるも此の間の消息を解すべき者あり。凡兆の句複雜といふ程にはあらねど亦た洒堂等と一般、句々材料充實して、彼の虚字を以て斡旋する(*取り持ちをする)芭蕉流とはいたく異なり。芭蕉之に對して今少し和歌の臭味を加へよといふ、蓋し芭蕉は俳句は簡單ならざるべからずと 斷定して自ら美の區域を狹く劃りたる者なり。芭蕉既に此の如し。芭蕉以後言ふに足らざるなり。

蕪村は立てり。和歌のやさしみ言ひ古し聞き古して紛々たる臭氣は其腐敗の極に達せり。和歌に代りて起りたる俳句幾分の和歌臭味を加へて元祿時代に勃興したるも支麥以後漸く腐敗して亦た拯(*すく)ふに道なからんとす。是に於て蕪村は複雜的美を捉へ來りて俳句に新生命を與へたり。彼は和歌の簡單を斥けて唐詩の複雜を借り來れり。國語の柔軟なる冗長なるに飽きはてゝ簡勁なる豪壯なる漢語もて我不足を補ひたり。先に其角一派が苦辛して失敗に終りし事業は蕪村によつて容易に成就せられたり。衆人の攻撃も慮る所にあらず、美は簡單なりといふ古來の標準も棄てゝ顧ず、卓然として複雜的美を成したる蕪村の功は沒すべからず。

芭蕉の句は盡く簡單なり。強ひて其複雜なる者を求めんか、

鶯や柳のうしろ藪の前

つゝじ活けて其陰に干鱈さく女

隱れ家や月と菊とに田三反

等の數句に過ぎざるべし。蕪村の句の複雜なるは其全體を通じて然り。中に就きて數句を擧ぐれば

草霞み水に聲なき日暮かな

燕啼いて夜蛇を打つ小家かな

梨の花月に書讀む女あり

雨後の月誰そや夜ぶり(*夜舟に松明を灯して釣ること。)の脛白き

鮓をおす我れ酒かもす隣あり

五月雨や水に錢踏む渡し舟

草いきれ人死をると札の立つ

秋風や酒肆に詩うたふ漁者樵者

鹿ながら山影門に入日かな

鴫遠く鍬すゝぐ水のうねりかな

柳散り清水涸れ石ところ\/

水かれ\〃/蓼かあらぬか蕎麥か否か

我をいとふ寒夜隣家に鍋を鳴らす

一句五字又は七字の中猶「草霞み」「雨後の月」「夜蛇を打つ」「水に錢踏む」と曲折せしめたる妙は到底「頭よりすら\/と言ひ下し來る」者の解し得ざる所、しかも洒堂凡兆等も亦夢寐にだも見ざりし所なり。客觀的の句は複雜なり易し。主觀的の句の複雜なる

うき我に砧打て今は又やみぬ

の如きに至りては蕪村集中亦他にあらざるもの、若し芭蕉をして之れを見せしめば惘然(*ぼうぜん)自失(*原文「惘然失」)言ふ所ろを知らざるべし。

精細的美

外に廣き者之を複雜と謂ひ、内に詳なる者之を精細と謂ふ。精細の妙は印象を明瞭ならしむるに在り。芭蕉の叙事形容に粗にして風韻に勝ちたるは、芭蕉の好んで爲したる所なりといへども、一は精細的美を知らざりしに因る。芭蕉集中精細なる者を求むるに

粽結片手にはさむ額髪

五月雨や色紙へぎたる壁の跡

の如き比較的に爾か思はるゝあるのみ。蕪村集中に其例を求むれば

鶯の鳴くや小き口あけて

あぢきなや椿落ち埋む庭たづみ(*原文「庭たつみ」)

痩臑の毛に微風あり衣がへ

月に對す君に投網の水煙

夏川をこす嬉しさよ手に草履

鮎くれてよらで過ぎ行く夜半の門

夕風や水靑鷺の脛を打つ

點滴に打たれてこもる蝸牛

蚊の聲す忍冬の花散るたびに

靑梅に眉あつめたる美人かな

牡丹散て打ち重りぬ二三片

唐草に牡丹めでたき蒲團かな

引きかふて耳をあはれむ頭巾かな

緑子の頭巾眉深きいとをしみ

眞結び(*固結び)の足袋はしたなき給仕かな

齒あらはに筆の氷を嚙む夜かな

茶の花や石をめぐりて道を取る

等いと多かり。

庭たづみ(*原文「庭たつみ」)に椿の花の落ちたるは誰も考へつくべし。埋むとは言ひ得ぬなり。若し埋むに力入れたらんには俗句と成り了らん。落ち埋むと字餘りにして埋むを輕く用ゐたるは蕪村の力量なり。善き句にはあらねど埋むと迄形容して俗ならしめざる處精細的美を解したるに因る。精細なる句の俗了し易きは蕪村の夙に感ぜし所にやあらん、後世の俳家徒に精細ならんとして益〃俗に墮つる者蓋し精細的美を解せざるが爲なり。妙人の妙は其平凡なる處拙き處に於て見るべし。唐詩選を見て唐詩を評し展覽會を見て畫家を評するは殆し。蕪村の佳句ばかりを見る者は蕪村を見る者に非るなり。

「手に草履」といふことも若し拙く言ひのばしなば殺風景となりなん。短くも言ひ得べきを「嬉しさよ」と長く言ひて、長くも言ひ得べきを「手に草履」と短く言ひし者良工苦心の處ならんか。

「鮎くれて」の句、此の如き意匠は古來無き所、縱しありたりとも「よらで過ぎ行く」とは言ひ得ざりしなり。常人をして言はしめば鮎くれしを主にして言ふべし。そは平凡なり。よらで過ぎ行く處景を寫し情を移し時を寫し多少の雅趣を添ふ。』(*ママ)

(*「靑梅に」の句、)顔しかめたりとも額に皺よせたりとも斯く印象を明瞭ならしめじ、事は同じけれど「眉あつめたる」の一語美人髣髴として前に在り。

(*「唐草に」の句、)蒲團引きあふて夜伽の寒さを凌ぎたる句などこそ古人も言へれ、蒲團其物を一句に形容したる(*、)蕪村より始まる。

「頭巾眉深き」只七字(*、)あやせば笑ふ聲聞ゆ。

足袋の眞結び、これをも俳句の材料にせんとは誰か思はん。我此句を見ること熟 せり、しかも如何にして此事を捉へ得たるかは今に怪まざるを得ず。

「齒あらはに」齒にしみ入るつめたさ想ひやるべし。

用語

蕪村の俳句に於ける意匠の美は既に之を言へり。意匠の美は文學の根本にして人を感動せしむるの力亦多くこゝに在り。然れども用語句法の美之に伴はざらんには可惜意匠の美を活動せしめざるのみならず、却て其意匠に一種厭ふべき俗氣を帶びたるが如く感ぜしむることあり。蕪村の用語と句法とは其意匠を現すに最も適せる者にして、しかも自己の創體に屬する者多し。其用語の概略を言はんに

(一)漢語 は蕪村の喜んで用ゐたる者にして、或は漢語多きを以て蕪村の唯一の特色と誤認せらるゝに至る。此一事が如何に人の注意を惹きしかを知るべし。蕪 村が漢語を用ゐたるは種々の便利ありしに因るべけれど、△第一△に漢語が國語より簡短なりしに因らずんばあらず(*原文「あらす」)、複雜なる意匠を十七八字の中に含めんには簡短なる漢語の必要あり。又簡短なる語を用うれば叙事形容を精細に爲し得べき利あり。

○指南車○を○胡地○に▼引き去る▼かすみかな

○閣○に▼坐して▼遠き蛙を聞く夜かな

▼祇や鑑や▼髭に落花を捻りけり  (*宗祇〔炭太祇?〕・宗鑑等を指すか。)

鮓桶をこれへと○樹下○の床几かな

三井寺や日は○午○▼に逼る▼若楓

柚の花や善き酒○藏す○塀の内

○耳目肺膓○こゝに玉卷く芭蕉庵

○採蓴○をうたふ彦根の○傖夫○(*田舎爺)かな

鬼貫や新酒の中の○貧に處す○

月○天心○貧しき町を通りけり

秋風や○酒肆○▼に詩うたふ▼○漁者樵者○

雁鳴くや舟に魚燒く▼琵琶▼○湖上○

の如き此例なり。されども漢語の必要ありとのみにて濫りに漢語を用ゐ、爲に一句の調和を缺かば佳句とは言はれじ。「胡地」の語の如き(*、)餘り耳遠く普通に用ゐるべきには非るを「指南車」の語上に在り「引去る」といふ漢文直譯風の語下にあるために一句の調和を得たるなり。「落花」の語は「祇や鑑や」に對して響き善く、「芭蕉庵」といふ語なくんば「耳目肺膓」とは置く能はず。「採蓴」は漢語に非れば言ふ可らず、さりとて此語ばかりにては國語と調和せず。故にことさらに「傖夫」とは受けたり。

△第二△は國語にて言ひ得ざるにはあらねど漢語を用ゐる方善く其意匠を現すべき 場合(*原文「現すべき合」)なり。漢語を用ゐて勢を強くしたる句

五月雨や○大河○を前に家二軒

夕立や筆も乾かず○一千言○

時鳥○平安城○をすぢかひに

○絶頂○の城たのもしき若葉かな

○方百里○雨雲よせぬ牡丹かな

「おほかは」と言へば水勢ぬるく「たいが(*原文「たいか」)」と言へば水勢急に感ぜられ、「いたゞき」と言へば山嶮しからず「ぜつちやう」と言へば山嶮しく感ぜらる。

漢語を用ゐていかめしくしたる句

蚊遣してまゐらす僧の○坐右○かな

○賣卜先生○木の下闇の訪はれ顔

「坐右」の語は僧に對する多少の尊敬を表し、「賣卜先生」と言へば「卜屋算」(*うらやさん=「占屋算」とも。占い師、またその呼び声〔占や算〕。)と言ひ しよりも鹿爪らしく聞えて善く「訪はれ顔」に響けり。

○寂○として客の絶間の牡丹かな

○蕭條○として石に日の入る枯野かな

の如きは「しんとして」「淋しさは」など置きたると大差無けれど猶漢語の方適切なるべし。

△第三△は支那の成語を用うる者にして、こは成語を用ゐたるが爲に興ある者又は成語を其儘ならでは用ゐるべからざる者あり。支那の人名地名を用ゐ、支那の古事風景等を詠ずる場合は勿論、我國の事をいふ引合に出されたるも少からず。其句

○行き\/てこゝに行き行く○夏野かな  (*「行行重行行」〔『文選』古詩十九首〕)

朝霧や杭打つ音○丁々○たり

○帛(*きぬ)を裂く○琵琶の流れや秋の聲  (*琵琶の奏でる裂帛の響き)

釣り上げし鱸の○巨口○玉や吐く  (*龍・麒麟が玉を吐くということがあるらしい。)

○三徑○の十歩に盡きて蓼の花

(*「三逕」とも。隠者の住まい、その庭。漢蒋詡〔しょうく〕が庭に松菊竹の小徑を作った故事〔『蒙求』〕から。『帰去来辞』等に出る。)

冬籠り○燈下に書す○と書かれたり

佗禪師から鮏(*さけ=鮭)に○白頭の吟○を彫る

(*卓文君「白頭吟」〔『玉台新詠』〕に拠り、「願得一心人、白頭不相離。竹竿何嫋嫋、魚尾何簁簁。男子重意氣、何用錢刀爲〔何ぞ錢刀を用ゐることを爲さん〕。」の句を念頭に置く。原詩は魚尾に女性を喩え、夫司馬相如に離縁を迫る意だが、これは結尾の句や芭蕉の句に依り乞食僧が乾鮭をねだる様を歌ったものか。)

○秋風の(*原文「秋の」の後一字分空白。)呉人○は知らじふぐと汁(*ふくと汁)

(*呉汁からの連想か。劉禹錫「秋風引」などの連想もあるか。)

右三種類の外に

春水(*圏点無し。)や四條五條の橋の下

の句は「春の水」ともあるべきを「橋の下」と同調になりて耳ざはりなれば「春水」とは置たるならん。但し四條五條といふ漢音の語なくば「春水」とは言はざりけん。

蚊帳釣りて○翠微○(*靄の立ち籠めた青い山。翠嵐。)つくらん家の内

特に翠微といふは翠の字を蚊帳の色にかけたるしやれなり。

○薰風○やともしたてかねつ嚴島

「風薰る」とは俳句の普通に用ゐる所なれど爾か言ひては「薰る」の意強くなりて句 を成し難し。只夏の風といふ位の意に用ゐる者なれば「薰風」とつゞけて一種の風の名と爲すに如かず。蓋し蕪村の烱眼は早く此に注意したる者なるべし。

(二)古語 も亦蕪村の好んで用ゐたる者なり。漢語は延寶天和の間其角一派が濫用して終に其調和を得ず、其角すら是より後、復用ゐざりしもの、蕪村に至りて始て成功を得たり。

古語は元祿時代に在りて芭蕉一派が常語との調和を試み十分に成功したる者(*、)今は蕪村に因て更に一歩を進められぬ。

およぐ時○よるべなきさま○の蛙かな

命婦より牡丹餅○たばす○(*原文「たはす」)彼岸かな

更衣母○なん○藤原氏なりけり

○眞しらげ○(*原文「眞しらけ」)のよね一升や鮓のめし

おろしおく笈に○なゐふる○夏野かな

夕顔や黄に咲いたるも○あるべかり○

○夜を寒み○小冠者臥したり北枕

高燈籠消え○なん○とする○あまたゝび○

渡り鳥雲の○はたて○(*原文「はたで」)の錦かな

大高に君○しろしめせ○今年米

蕪村の用ゐたる古語には藤原時代のもあらん、北條足利時代のもあらん、或るは漢書の譯讀に用ゐられたる(*、)即ち漢語化せられたる古語も多からん。いづれにもせよ今迄俳句界に入らざりし古語を手に從て拈出したるは蕪村の力なり。只漢語を用ゐいたづらに佶屈の句を作り以て蕪村の眞髓を得たりと爲す者未だ他の半面を解せざるべし。

(三)俗語 の最俗なる者を用ゐ初たるも亦蕪村なり。元祿時代に雅語俗語相半せし俳句も享保以後無學無識の徒に翫弄せらるゝに至て雅語漸く消滅し俗語益〃用 ゐられ意匠の野卑と相待て純然たる俗俳句となり了れり、されど其俗語も必ずしも好んで俗語を用ゐしにあらで雅語を解せざるが爲知らず識らず卑近に流れたる者、故に彼等が用ゐる俗語は俗語中の成るべく古に近きを擇みたりとおぼしく(*、)俗中の俗なる日常の話語に至りては固より用ゐざりしのみならず、彼等猶之を俗として排斥(*原文「排斤」)したり。檀林派の作者といへども其意匠句法の滑稽突梯(*とらえどころのない、庸俗な様)なるに拘らず、亦此俗語中の俗語を用ゐたるものを見ず。蕉門も檀林も其嵐派も支麥派も用ゐるに難じたる極端の俗語を取て平氣に俳句中に插入したる蕪村の技倆は實に測るべからざる者あり。しかも其俗語の俗ならずして却て活動する、腐草螢と化し淤泥蓮を生ずる(*それぞれ『礼記』月令、周敦頤『愛蓮説』の言葉。)の趣あるを見ては誰か其奇術に驚かざらん。

出る杭を打たうとした○りや○柳かな

酒を煮る家の女房○ちよとほれた○

繪團扇のそれも○清十郎○に(*「それも」に圏点があるべきか。)お夏かな

蚊帳の内に螢放して○アゝ樂や○

杜若○べたり○と鳶の○たれ○てける

藥喰(*滋養・保温のために猪鹿等の獣肉を食うこと。)隣の亭主○箸持參○

○化さうな○傘かす寺の時雨かな

(*「かな」以外、一行欠字。後文より「時雨」の句と思われる。「化さうな傘かす寺の時雨かな」等か。)(*以下、欠字部分4ヶ所を講談社文芸文庫版『俳人蕪村』により補う。〔2006.3〕)

後世一茶の俗語を用ゐたる(*、)或は此等の句より胚胎し來れるには非るか。藥喰の句は蕪村集中の最俗なる者一讀に堪へずといへども、一茶は殊に此邊より悟入したるかの感なきに非ず。蓋し一茶の作時に名句無きにはあらざるも全(*以下、6字分空白。)体を通じて言はゞ(*講談社版では「言へば」)句法に於て蕪村の「酒を煮る」「繪團扇」の如きしまり無く、意(*1字分空白。「意匠」か。)匠に於て「杜若」「時雨」の如き趣味を缺きたり。蕪村は漢語をも(*以下、15字分空白。最初は「古語をも俗語をも」等か。最後は「佶屈な」か。)古語をも極端に用ゐたり。佶屈なり易き漢語も佶屈ならしめざりき。冗漫なり易き古語も冗漫ならしめざりき。野卑なり易き俗語も野卑ならしめざりき。俗語を用ゐたる一茶の外は漢語にも古語にも彼は匹敵者を有せざりき。用語の一點に於ても蕪村は俳句界獨歩の人なり。