俳人蕪村 ③
http://www2s.biglobe.ne.jp/~Taiju/taiju_annex/1899_haijinbuson.htm 【俳人蕪村】より
句法
句法は言語の接續をいふ。俳句の句法は貞享元祿に定まりて享保寶暦を經て少しも動かず。寧ろ元祿に變化したるだけの變化さへ失ひ「何や」「何かな」一天張(*ママ)の極めて單調なる者となり了りて唯時に檀林一派及び(*原文「及ひ」)鬼貫等の奇を弄するあるのみ。此際に當りて蕪村は句法の上に種々工夫を試み或は漢詩的に或は古文的に、古人の未だ曾て作らざりし者を數多造り出せり。
春雨やいざよふ月の海半
春風や堤長うして家遠し
雉打て歸る家路の日は高し
玉川に高野の花や流れ去る
祇や鑑や髭に落花をひねりけり
櫻狩美人の腹や減却す
出べくとして出ずなりぬ梅の宿
菜の花や月は東に日は西に
裏門の寺に逢著す蓬かな
山彦の南はいづち春の暮
月に對す君に投網の水煙
掛香(*かけごう=匂い袋)や啞の娘の人となり
鮓を壓す石上に詩を題すべく
夏山や京盡し飛ぶ鷺一つ
淺川の西し東す若葉かな
麓なる我蕎麥存す野分かな
蘭夕狐のくれし奇楠(*奇楠香=伽羅)を炷ん
(*らん、ゆふべ…。「蘭」は藤袴〔蘭草・香草〕か。乾燥茎葉に芳香があるという。)
漁家寒し酒に頭の雪を燒く
頭巾二つ一つは人に參らせん
我も死して碑にほとりせん(*「ほとり」は「辺」という。)枯尾花 (蕉翁碑)
の如きは漢文より來りし句法なり。蕪村最多く此種の句法を爲す。
しのゝめや鵜をのがれたる魚淺し
鮓桶を洗へば淺き遊魚かな
古井戸や蚊に飛ぶ魚の音暗し
魚淺し(*・)音暗しなどいへる警語(*奇警な表現)を用ゐたるは漢詩より得たるものならん。從來の國文いまだ此種の工夫無し。
陽炎や名も知らぬ虫の白き飛ぶ
橋なくて日暮れんとする春の水
罌粟の花まがきすべくもあらぬかな
の如きは古文より來る者、
春の水脊戸に田つくらんとぞ思ふ
白蓮を剪らんとぞ思ふ僧のさま
此「とぞ思ふ」といふは和歌より取り來りし者なり。其外
衣がへ野路の人はつかに白し
蚊の聲す忍冬の花散るたびに
水かれ\〃/蓼かあらぬか蕎麥か否か
の如きあり。
元祿以來形容語は極めて必要なる者の外俳句には用ゐられざりき。いたづらに場所塞ぎを爲すのみにて有りても無くても意義に大差なしとの意なりしならん。然れども形容語は句を活動せしめ印象を明瞭ならしむるには之を用ゐて効多し。蕪 村は巧に之を用ゐ、殊に中七音の中に簡單なる形容詞を用うることに長じたり。
水の粉やあるじ○かしこき○後家の君
尼寺や○善き○蚊帳垂るゝ宵月夜
柚の花や○能○(*よき)酒藏す塀の内
手燭して○善き○蒲團出す夜寒かな
緑子の頭巾○眉深き○いとをしみ
眞結びの足袋○はしたなき○給仕かな
宿かへて火燵○嬉しき○(*原文圏点無し。)在處
後の形容詞を用ゐる者多くは句勢にたるみを生じて却て一句の病(*へい)と爲る。蕪村の簡勁と適切とに及ばざる遠し。
蕪村の句は堅くしまりて搖かぬ(*揺がぬ)が其特色なり。故に無形の語少く有形の語多し。簡勁の語多く冗漫の語少し。然るに彼に一つの癖ありて或る形容詞に限り長きを 厭はず屢々之を句尾に置く。
つゝじ咲て石うつしたる嬉しさよ
更衣八瀬の里人(*八瀬女)ゆかしさよ
顔白き子のうれしさよ枕蚊帳(*顔の所だけ蠅除けのために蔽う小さな蚊帳。)
五月雨大井越えたるかしこさよ
夏川を越す嬉しさよ手に草履
小鳥來る音嬉しさよ板庇
鋸の音貧しさよ夜半の冬
の如き是なり。普通に嬉しと思ふ時嬉しといはゞ俳句は無味になり了らん、况して嬉しさよと長く言はんは猶更の事なり。嬉しさよといはねば感情を現す能はざる時にのみ用ゐたる蕪村の句は固より此語を無雜作に置きたるにあらず。更に驚くべきは蕪村が一句の結尾に「に」といふ手爾葉を用ゐたる事なり。例へば
歸る雁田毎の月の曇る夜に
菜の花や月は東に日は西に
春の夜や宵曙の其中に
畑打や鳥さへ鳴かぬ山陰に
時鳥平安城をすぢかひに
蚊の聲す忍冬の花散るたびに
廣庭の牡丹や天の一方に
庵の月あるじを問へば芋掘りに (*《尋隠者不遇》の主題。)
狐火や髑髏に雨のたまる夜に
常人をして此句法に傚はしめば必ずや失敗に終はらん、手爾葉の結尾を以て一句を操る者蕪村の蕪村たる所以なり。
蕪村は下五文字に何ぶり、何がち、何顔、何心の如き語を据うることを好めり。
三椀の雜煮かふるや長者ぶり
少年の矢數問ひよる念者ぶり
鶯のあちこちとするや小家がち
小豆賣る小家の梅の莟がち
耕すや五尺の粟のあるじ顔
燕や水田の風に吹かれ顔
川狩(*川で魚を捕らえること)や樓上の人の見知り顔
賣卜先生木の下闇の訪はれ顔
行く春やおもたき琵琶の抱き心
夕顔の花嚙む猫やよそ心
寂寞と晝間を鮓の馴れ加減
又此類の語の中七字に用ゐられたるもあり。後世の俗俳家何心何ぶりなどゝ詠ず る者多くは卑俗厭ふべし。
なれすぎた鮓をあるじの遺恨かな
牡丹ある寺行き過ぎし恨かな
葛を得て清水に遠き恨かな (*葛水)
「恨かな」といふも漢詩より來りし者ならん。
句調
蕪村以前の俳句は五七五の句切にて意味も切れたるが多し。たま\/變例と見るべき者も猶
芭蕉
行春や鳥啼き魚の目は涙
同
松風の落葉か水の音凉し
芭蕉
松杉をほめてや風の薰る音
の如き者にして多くは「や」「か」等の切字を含み、然らざるも七音の句必ず四三又は三四と切れたるを見る。蕪村の句には
夕風や水靑鷺の脛を打つ
鮓を壓す我酒釀す隣あり
宮城野の萩更科の蕎麥にいづれ (*どちらがよいか。)
の如く二五と切れたるあり、
若葉して水白く麥黄ばみたり
柳散り清水涸れ石ところ\〃/
春風や人住みて煙壁を漏る
の如く五二又は五三と切れたるもあり。是れ恐らくは蕪村の創めたる者、曉臺(*・)蘭更によりて盛に用ゐられたるにやあらん。
句調は五七五調の外に時に長句を爲し、時に異調を爲す、六七五調は五七五調に次ぎて多く用ゐられたり。
花を踏みし草履も見えて朝寐かな
妹が垣根三味線草の花咲きぬ
卯月八日死んで生るゝ子は佛
閑古鳥かいさゝか白き鳥飛びぬ
虫のためにそこなはれ落つ柹の花
戀さま\/願の絲も白きより
月天心貧しき町を通りけり
羽蟻飛ぶや富士の裾野の小家より
七七五調(*・)八七五調(*・)九七五調の句
獨鈷鎌首水かけ論の蛙かな
(*六条家出身の顕昭と御子左家出身の寂蓮の論争を「独鈷鎌首の争」と呼んだことから。)
賣卜先生木の下闇の訪はれ顔
花散り月落ちて文こゝにあら有難や (*独居を慰める友ができたという意か。)
立ち去る事一里眉毛に秋の峰寒し
門前の老婆子薪貪る野分かな
夜桃林を出でゝ曉嵯峨の櫻人
五八五調(*・)五九五調(*・)五十五調の句
およぐ時よるべなきさまの蛙かな
おもかげもかはらけ\/年の市
(*昔の俤も変わらない意と陶器・什器を売り捌く声とを掛けた。)
秋雨や水底の草を踏み渉る
茯苓は伏かくれ松露はあらはれぬ
佗禪師乾鮭に白頭の吟を彫
五七六調(*・)五八六調(*・)六七六調(*・)六八六調等にて終六言を
夕立や筆も乾かず一千言
ぼうたん(*原文「ほうたん」)やしろがね(*原文「しろかね」)の猫こがね(*原文「こかね」)の蝶
(*牡丹の別名富貴草に銀猫金蝶を取り合わせた縁起物の画題。猫と蝶とを組み合わせる放胆さを掛けるか。)
心太さかしまに銀河三千尺
炭團法師火桶の穴より覗ひけり
(*炭団法師は炭団の別名と思われる。加持祈祷の法師が女房たちを盗見する様に見立てた句。)
の如く置きたるは古來例に乏しからず。終六言を三三調に用ゐたるは蕪村の創意にやあらん。其例(*以下、下線は二重線。)
嵯峨へ歸る人はいづこの花に 暮れし
一行(*ひとつらの)の雁や端山に月を 印す
朝顔や手拭の端の藍を かこつ
水かれ\〃/蓼かあらぬか蕎麥か 否か(*原文「蕎麥 か否か」)
柳散り清水涸れ石ところ \/
我をいとふ隣家寒夜に鍋を ならす
霜百里舟中に我月を 領す
其外調子のいたく異なりたる者あり。
梅遠近南すべく北すべく
閑古鳥寺見ゆ麥林寺とやいふ
(*伊勢の蕉門中川乙由〔麥林〕は画をも善くしたという。連想があるか。)
山人は人なり閑古鳥は鳥なりけり
更衣母なん藤原氏なりけり
最も奇なるは
をちこちをちこちと打つ砧かな
の句の字は十六にして調子は五七五調に吟じ得べきが如き。
文法
漢語俗語雅語の事は前にも言へり。其の他動詞助動詞形容詞にも蕪村ならでは用ゐざる語あり。
鮓を壓す石上に詩を題すべ○く○
緑子の頭巾眉深きいとをし○み○
大矢數弓師親子も參りた○る○
時鳥歌よむ遊女聞ゆな○る○
麻刈れと(*麻の収穫は晩夏から初秋)夕日此頃斜な○る○
「たり」「なり」と言はずして「たる」「なる」と言ふが如き、「べし」と言はずして「べく」と言ふが如き、「いとをし(*「いとをしむ」か。)」と言はずして「いとをしみ」と言ふが如き、蕪村の故意に用ゐたる者とおぼし。前人の句亦此語を用ゐたる者無きにあらねど、そは終止言として用ゐたるが多きやうに見ゆ。蕪村のはことさらに終止言ならぬ語を用ゐて餘意を永くしたるなるべし。(*萩原朔太郎の連用形終止の手法を参照。)
をさな子の寺▼なつかしむ▼銀杏かな
「なつかしむ」といふ動詞を用ゐたる例ありや否や知らず。或は思ふ、「なつかし」といふ形容詞を轉じて蕪村の創造したる動詞にはあらざるか。(*「なつかしむ」の用例は僅かながらあった。「春の野に菫つみにと来し我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける」は「名詞+を+形容詞語幹+み」の用例。)果して然りとすれば蕪村は傍若無人の振舞を爲したる者と謂べし。然れども百年後の今日に至り此の語を襲用するもの續々として出でんか、蕪村の造語は終に字彙(*辞書)中の一隅を占むるの時あらんも測り難し。英雄の事業時に斯の如き者あり。
蕪村は古文法など知らざりけん、縱し知りたりともそれに抅はらざりけん、(*。)文法に違ひたる句
更衣母なん藤原氏なりけり
の如きあり。
我宿にいかに引くべき清水かな
の如く「いかに」「何」等の係りを「かな」と結びたるは蕪村以外にも多し。
大文字近江の空もたゞならね
の「ね」の如き例も他に無きにあらず、(*。)蕪村は終止言として之を用ゐたるか、或は前に擧げたる「たる」「なる」の如く特に言ひ殘したる語なるか。縱令後者なりとも文法學者をして言はしめば文法に違ひたりとせん、(*。)果して文法に違へりや、將た韻文の文法も散文の如くならざるべからざるか、そは大に研究を要すべき問題なり。余は文法論に就きて猶幾多の疑を存する者なれども、此等の俳句を盡く文法に違へりとて排斥する説には反對する者なり。况して普通の場合に「ならめ」等の結語を用ゐる例は萬葉にもあるをや。
二本の梅に遲速を愛すかな
麓なる我蕎麥存す野分かな
の「愛すかな」「存す野分」の(*原文「野分の」」)連續の如き
夏山や京盡し飛ぶ鷺一つ
の「京盡し飛ぶ」の連續の如き
蘭夕狐のくれし奇楠を炷ん
の「蘭夕」の連續の如き(*、)漢文より來りし者は從來の國語に無き句法を用ゐたり。此等は固より故意に此新句法を造りし者(*、)而して明治の俳句界に一生面を開きし者亦多く此邊より出づ。
材料
蕪村は狐狸怪を爲すことを信じたるか、縱令信ぜざるも此種の談を聞くことを好みしか、彼の自筆の草稿新花摘は怪談を載すること多く、且つ彼の句にも狐狸を詠じたる者少からず。
公達に狐ばけたり宵の春
飯盜む狐追ふ聲や麥の秋
狐火やいづこ河内の麥畠
麥秋や狐ののかぬ小百姓
秋の暮佛に化る狸かな
戸を叩く狸と秋を惜みけり
石を打狐守る夜の砧かな
蘭夕狐のくれし奇楠を炷ん
小狐の何にむせけん小萩原
小狐の隱れ顔なる野菊かな
狐火の燃えつくばかり枯尾花
草枯れて狐の飛脚通りけり
水仙に狐遊ぶや宵月夜
怪異を詠みたる者
化さうな傘かす寺の時雨かな
西の京にばけもの栖て久しくあれ果たる家ありけり(*。)今は其さたなくて
春雨や人住みて煙壁を洩る
狐狸にはあらで幾何か怪異の聯想を起すべき動物を詠みたる者
獺(*をそ)の住む水も田に引く早苗かな
獺を打し翁も誘ふ田植かな
河童(*「がわっぱ」とも読めるが「かはたろ」と読むらしい。)の戀する宿や夏の月
蝮(*くちばみ)の鼾も合歡の葉陰かな
麥秋や鼬啼くなる長(*をさ)がもと
黄昏や萩に鼬の高臺寺
むさゝびの小鳥喰み居る枯野かな
此外犬鼠などの句多し(*。)そは怪異といふにはあらねど此の如き動物を好んで材料に用ゐたるも其特色の一なり。
州名國名など廣き地名を多く用ゐたり。
河内路や東風吹き送る巫女が袖
雉鳴くや草の武藏の八平氏 (*千葉・上総・三浦・土肥・秩父・大庭・梶原・長尾の各氏。)
三河なる八橋も近き田植かな
楊州の津も見えそめて雲の峰
夏山や通ひなれたる若狹人
狐火やいづこ河内の麥畠
しのゝめや露を近江の麻畠
初汐や朝日の中に伊豆相模
大文字や近江の空もたゞならね
稻妻の一網打つや伊勢の海
紀路にも下りず夜を行く雁一つ
虫鳴くや河内通ひの小提灯
糞尿屁など多く用ゐたるは其角なり。其角の句は稍奇を求めて故らにものせしが如く思はる。蕪村は之を巧に用ゐ(*、)此等不淨の物をして殺風景ならしめざるのみならず幾多の荒寒凄涼なる趣味を含ましむるを得たり。
大とこ(*大徳)の糞ひりおはす枯野かな
いばりせし蒲團干したり須磨の里
糞一つ鼠のこぼす衾かな
杜若べたりと鳶のたれてける
蕪村は此等糞尿の如き材料を取ると同時に亦上流社會のやさしく美しき樣をも巧に詠み出でたり。
春の夜に尊き御所を守身かな
春惜む座主の連歌に召されける
命婦より牡丹餅たばす(*原文「たはす」)彼岸かな
瀧口に灯を呼ぶ聲や春の雨
よき人を宿す小家や朧月
小冠者出て花見る人を咎めけり
短夜や暇賜はる白拍子 (*祇王の故事。)
葛水や入江の御所に詣づれば
稻葉殿の御茶たぶ夜なり時鳥
時鳥琥珀の玉を鳴らし行く
狩衣の袖の裏這ふ螢かな
袖笠(*袖を笠にすること。)に毛蟲をしのぶ古御達 (*虫愛づる姫君を怖々と見守る古参の女房の姿。)
名月や秋月どのゝ艤(*ふなよそひ) (*文祿の役で秋月種長が渡海したことを踏まえるか。)
蕪村の句新奇ならざる者なければ(*、)新奇を以て論ずれば蕪村句集全部を見るの完全なるに如かず。且つ初より諸種の例に引きたる句多く新奇なるを以てこゝに擧ぐるの要無しと雖も、前に擧げざりし句の中に新奇なる材料を用ゐし句を少し記し置くべし。
野袴の法師が旅や春の風
陽炎や簣(*もっこ)に土をめづる人
奈良道や當歸畠の花一木(*ひとき)
畑打や法三章(*漢高祖の故事)の札のもと
巫女町によき衣すます(*洗い清める)卯月かな (*更衣)
更衣印籠買ひに所化二人
床(*ゆか)凉み笠着連歌の戻りかな
(*床涼みは四条河原の納凉。笠を着て匿名で参加する連歌。)
秋立つや白湯香しき施藥院
秋立つや何に驚く陰陽師
甲賀衆のしのびの賭や夜半の秋
いでさらば投壺參らせん菊の花
(*投壺は上代に渡来したが、天明・寛政の頃流行ったという。矢の代りに菊を投げ入れようという趣向。)
易水に根深(*葱)流るゝ寒さかな (*荊軻の故事。「流れ行く大根の葉の早さかな」〔虚子〕を参照。)
飛騨山(*原文「飛驛山」)の質屋鎖しぬ夜半の冬
乾鮭や帶刀殿の臺處
此等の材料は蕪村以前の句に少きのみならず、蕪村以後も亦用ゐる能はざり