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「宇田川源流」【お盆休みのエロ】 ストリップ劇場というレトロな社交場というか文化を残す努力も必要なのではないか

2020.08.11 22:00

「宇田川源流」【お盆休みのエロ】 ストリップ劇場というレトロな社交場というか文化を残す努力も必要なのではないか


 ストリップ劇場という場所を最近見かけないのである。まあ、昔は温泉場のかなり裏通り(ちょっとどころではない)場所、それもいかがわしい場所の頂点に属する場所に行けば基本的にはあったのである。まあ、その付近そのもの、その一角がすべて「男性の遊び場」となっているような場所になっており、子供のころなどは、昼間でもそのような場所に行くこと自体が試ら羅われる場所であった。そのような一角にを歩くことができるようになって、なんとなく「大人」を感じたものである。

ストリップ劇場という場所は、今も昔も基本的に「女性の裸を見る場所」なのであるが、まさか動物園でもあるまいし、また写真集などとも異なる。単純に裸を見るだけであれば、写真集で十分であった。今ならばビデオや動画というような話になるのであるが、そのような者が簡単に手に入らないような時代であっても、写真やグラビアなどはかなり多く掲載されていた。結局女性のヌードというものはそのような場所でいくらでも見ることができたのである。

では、そのような時代のストリップというのはいったい何なのであろうか。

単純に女性がヌードを見せるというだけではなく「いかに官能的に、なおかつ、いかに女性を美しく見せるのか」ということを中心に舞台が演出されている。もちろん触るなどの話はないので、あくまでお「視覚的な芸術」を行っているという感じである。

もちろん、見る側の男性にも好みがあるので、それを様々な女性が様々な形で行うというのが本来の内容であり、そこは昔も変わらない。好みのタイプの女性が、好みのような演出で、官能的に舞台の上を待っているのは、ある意味で官能的ではあるものの、ある意味で芸術を感じていたのではないかと思う。

アダルトビデオや、グラビアアイドルのイメージビデオとは全く異なる世界であったという気がするのである。


妖艶な社交場守りたい 九州唯一のストリップ劇場 女性経営者奮闘

 九州で唯一残るストリップ劇場「A級小倉劇場」(北九州市小倉北区)の経営者、木村恵子さん(69)は、新型コロナウイルスによる経営危機を乗り越えようと、約2カ月間の休業を経て、6月から感染対策を講じて劇場を再開した。ただ、売り上げは以前の半分以下に。風俗業ゆえに国の持続化給付金も受けられない。それでもストリップ劇場を「社交場」と考えている木村さん。「こういう場が少しは残っていいと思う」と明るさを忘れない。

 7月中旬の平日午後5時。マスク姿の男たちの真剣なまなざしは、ショッキングピンクのライトが照らす舞台上の踊り子に向かっていた。妖艶さを増した裸体を見つめる観客は約20人。木村さんは「コロナ以前の約半分。なかなか人出が戻らんですね」と笑う。

 元々ストリップ業界におり、1970年代から福岡市・中洲のストリップ劇場「DX博多」では経営に携わっていた。80年ごろには系列店として、喫茶店を改装してA級小倉劇場をオープンし、経営を任された。

 業界華やかなりし時代。木村さんらによると、今ではストリップ劇場は全国に約20軒だが、当時は各地に約300軒がひしめき合い、福岡市と小倉にも3軒ずつあるほどだったという。「競争は激しく最初は知名度もない。1日にお客さんが数人というのもざらだった」と振り返る。

 従業員総出で街中に宣伝ポスターを徹夜で張ったり、ビラで呼び込んだり。人気の踊り子も舞台に呼んだ。一方で一番重視したのはトイレ掃除だった。「ここは非日常の場。気持ちよく楽しんでもらうためには、不愉快な思いはさせられない」。地道な経営は評判を呼び、九州内外から客が来るようになった。

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 新型コロナの感染拡大は、かつてない経営危機をもたらした。緊急事態宣言前から休業し、5月末まで2カ月間も劇場を閉めた。木村さんは「この業界に50年いるけど、こんなことは初めて」と驚きを隠せない。

 6月からは感染対策をして営業を再開。入場時の手指消毒や検温、マスク着用などを徹底している。幕あいに座席などを消毒するほか、劇場内のドアも開け放して換気。最大50~60人ほど収容可能な座席も間隔を空け、今では30人が精いっぱいだという。

 全国ではショーパブや劇場でクラスター(感染者集団)が発生している。木村さんは「うちみたいなところがクラスターになったら、もうやっていけない」と危機感をあらわにする。

 十数年通っているという大分県の男性(56)は「感染防止が叫ばれる中、こういう場所に通っているのはたたかれる。劇場を存続させるためにも予防策には協力する」と話す。

 国の持続化給付金は「風俗業は除く」という規定で援助が受けられなかったという。木村さんも「一度も滞りなく税金を払っているのに、釈然としない」と厳しい表情だ。

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 木村さんはストリップ劇場を社交場に例える。「お客さんはここに来ると、みんなが子どもの顔に戻って、純粋に体を見て楽しむし、客同士で仲良くなる人もいるから」という。

 営業再開後、常連客からは九州唯一のストリップ劇場の再開を喜ぶ声を聞いた。「また長期間閉めることがあったらもう駄目。でも、それまではなんとか九州唯一の劇場をもたせていきたい」。ショーのBGMが漏れ聞こえてくる事務所で、あっけらかんと笑った。 (米村勇飛)

2020年8月1日 6時0分西日本新聞

https://news.livedoor.com/article/detail/18666188/


 さて、現在はある意味で「即物的文化」であるという感じがする。エロのところでこのようなことを言うのは何であるが、映画やテレビの女優、アイドルなども同じことなのである。昔は「銀幕のスター」といえば、それは高根の花であり、銀幕の中でだけ生きている生き物のような感じではなかったのか。銀幕に映し出される姿を見て、頭の中で様々な想像力を膨らませ、そして、その高根の花を「めでる」ことをもって楽しんでいた。実態として、当時は活字文化であり、またまだ半分はラジオドラマの文化であったために「文字情報」から、自分の頭の中で偶像を作り上げ、その偶像をもとに様々なことを考えていたのである。当然に日本人の想像力や妄想力は頂点を極めており、その想像力や妄想力は様々な発明品や様々な制度を作り出すことに役立った。

80年代アイドルの時代も同じである。舞台が映画からテレビに移り、ほぼ毎日のようにアイドルを見ることができた。銀幕のスターの場合は、わざわざ映画館まで見に行かねばならななかったが、80年代アイドルの時代は、それが自宅でテレビで見ることができた時代である。しかし、まだ漫画などもそこまで広くいきわたっていない状態であったために、今とは異なる文化になっていた気がする。

これに対して、現代はある意味で「動画」「漫画」全盛期であり、人間の想像力が入る余地が少なくなってきているのではないか。もちろん秋元康氏の「会いに行けるアイドル」というコンセプトから始まりまた、技術の進歩が動画などの文化を創り出しているのであるが、そのような文化によって、ある意味で人間が「女性の裸を愛でる」のではなく「即物的な快楽を求める」というような状況に代わってきているのではないか。世の中でわいせつ事件などが増えているもの、そのような文化の変化と、その「求める欲望の先が異なってきた」という超な現状から行われているのではないかという気がするのである。

「お客さんはここに来ると、みんなが子どもの顔に戻って、純粋に体を見て楽しむし、客同士で仲良くなる人もいるから」<上記より抜粋>


単純に、人間は「想像力の中で生きているときが、もっとも子供に戻ることができる」のである。様々なことをたくらんだり、あるいは、頭の中の妄想を楽しむということが、そのまま、子供に戻る瞬間であり、即物的なものを求めるのは、ある意味で相手を制限することになる。その相手を制限することになる「エロ」は犯罪になりやすいのである。逆に、妄想や想像で済んでいる間は、実は犯罪にはなりえない(目つきがいやらしくなることはある)。そのことから、基本的には「妄想エロ」が最も安全になり、その「妄想」を行うための「道具」、まあ、なんというか「おかず」が最も重要になってくる。そのおかずにおいて、女性を美しくまた官能的に、そして芸術的に示し、即物的な内容をなるべく排除して、頭の中を鍛えてゆくことがエロの最も良い話なのではないか。

そのような場所と文化を残さなければならないのではないかと思う。