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蕪村の句碑

2020.08.10 14:22

https://lifeskills.amebaownd.com/posts/9393611 【与謝蕪村句碑(さくら公園)】

 やぶ入や鳩をめでつゝ男山

◆会報第23号より-02 八幡文学碑②_f0300125_2405778.jpg 男山を望める「さくら公園」(男山美桜)のほぼ中央に、しだれ桜の木があります。その根元に、昭和61年1月18日に完成した「やわた文学碑建立事業」第2基目の与謝蕪村句碑が在ります。小さな自然石の句碑なので、気付く人は少ないかも知れません。

 与謝蕪村(1716~1783)は、大阪の毛馬で生まれ、江戸に出て俳諧を学びました。また、江戸を去ってからは画の修行にも励みました。1752年に京都に入って俳諧を続けるとともに、画家としても大成しています。俳諧は、蕪村によって再び芭蕉と同じく高い芸術性をもつようになったといわれています。

 句碑の句は、「夜半叟句集」に所収とされています。その内容は、「やぶ入時期、群れ遊ぶ神鳩を可愛く見つめながら、八幡宮に参拝するため男山に人々が上っていくよ」と解釈しました。「やぶ入」は、「正月と盆の16日前後に、奉公人が暇をもらって一日ほど実家へ帰る習慣」とあります。ただ、実家が奉公先の近くであれば帰ることができますが、遠方の場合は帰れないため、近くの社寺に参詣して休暇を楽しんだそうで、殊に大阪の商家に奉公する人達には、石清水八幡宮に参拝する人が多かったようです。句に詠われたのは奉公人でも、まだ歳若い少年少女かも知れません。実家に帰れないから、八幡さんにお参りに来て、境内の鳩と遊んでいる様子を、蕪村はやさしい同情の眼差しで見つめて詠んだ句なのではと考えます。

 句碑の石は、松花堂庭園に在った男山のイメージに近い石を利用し、文字は蕪村の書から拾い集めました。その過程でお世話になった池田市の逸翁美術館から資料をお借りして、現美術館別館に於いて記念の「蕪村書画展」を開催しました。


https://www.tripadvisor.jp/LocationPhotoDirectLink-g298183-d15339480-i357787617-Yosa_Buson_Monument-Utsunomiya_Tochigi_Prefecture_Kanto.html

【蕪村の句碑】より

宗匠デビューの一句

二荒山神社境内には多くの記念碑や歌碑などが立っていますが、社務所の傍に蕪村の句碑と説明板がありました。

石碑には「鶏は 羽に はつねをうつの 宮柱」と刻まれています。

蕪村が江戸中頃の年末から、宇都宮の俳人宅に滞在した際に詠んだもので、歳旦(元旦)に、自分や弟子の俳句を集めて当地で発行し、俳諧師の宗匠として初めて一家を成すことを宣言した『歳旦帳』の中の一句。

二荒山神社で、新年の夜明けに勢いよく羽ばたく鶏の姿に、新しい立場としての第一声を重ねた内容で、蕪村と名乗る前の”宰鳥”の号が彫られています。


https://blog.goo.ne.jp/in0626/e/ed5c22951450662e1193238fbab1f778 【古庭に鶯啼きぬ日もすがら の解釈】  より

本日の『日経』文化欄で汲めども尽きぬ芭蕉の俳句に関する最近の論を紹介していた。私は、ここで、芭蕉を先達と仰いだ蕪村の上記句の藤田真一さんの解釈(岩波新書『蕪村』128~129頁)を一歩進めてみたい。「蕪村にとって、芭蕉のことも意識するべき対象であった。蕪村が「古庭」と言いかけたのは、芭蕉の「古池」に応じたからにほかならない。蛙だから「古池」、では鶯なら「古庭」になるだろう、というのだ。芭蕉のもじりといってもよい。つまり、「鶯」の本意性と「古池」のパロディをないまぜにしてなった句といえる。実は、これは、「蕪村」号のお披露目句であった。蕪村がこの句に、改号の意気をしめそうとしていたとしてもふしぎではない。・・」(藤田著)後注:芭蕉句は言うまでもなく「古池や蛙飛び込む水のをと」である。

私は、藤田氏の解説を前提として、更に踏み込んで考えてみたい。蕪村は、芭蕉の「古池」に対して「古庭」、同じく「蛙」に対して「鶯」を対置しただけでなく、一瞬の「水のをと」に対して長い「日もすがら」を対置している。句の風景は、古庭にある梅ノ木に鶯がとまって、一日中啼いている、というものである。私の視線は鶯に向かってやや上方を向いているが、ここで下方はどうなっているのかと目を向けると「ハッ」と気付くのである。古い庭だから古い池があってもおかしくないのではないか。ならばそこに蛙が飛び込んでいても良いのではないか。即ち、この「古庭」の中に「古池」が包含されているのではないか。「古庭」の方が「古池」より空間的に広く、「鶯」の方が「蛙」より視点が高く、また、「日もすがら」の方が「水のをと」より時間的に長いので、「古庭」句が「古池」句を包摂できるのである。また紀貫之の言う「蛙の声」に対して、芭蕉は新しい「飛び込む蛙」を見出したが、蕪村は貫之の言う「啼く鶯」にこだわっているとも言える。「蕪村」号スタートにあたり、ある意味で、「芭蕉」なにするものぞ、の気概を表わし、蕪村句が芭蕉句を言外に取り込んでいる二重風景句とみたいものである。(『地域居住研究』2004年3月号の拙稿による)