蕪村「新出句」から見えてくるもの(清登 典子)
https://dokushojin.com/reading5.html?id=7241 【蕪村「新出句」から見えてくるもの(清登 典子)】 より
平成二十七(二〇一五)年十月十五日、新聞各紙は寺村百池家に伝来した貴重な蕪村関係資料が多数出現し、天理大学付属図書館に収蔵されたことを報じた。特に、長年にわたって所在不明となっていた『夜半亭蕪村句集』については、句集中に従来知られていなかった蕪発句が二百句以上も含まれていることから大きな注目を集めた。「新出句」の中には
楼の仮寝の夢もかすむかな 雨に匂ひ風にかほるや花茨
のようないわゆる「蕪村調」と呼ばれる俳風を示す句のほかに、
傘も化て目のある月夜哉 蜻蛉や眼鏡をかけて飛歩行
などのような遊び心に満ちた句もあり、バラエティーに富んでいる。
今回、高精細カラー版による影印本が出版されることで、これらの新出句を含む『夜半亭蕪村句集』の全体像や収載句についての調査、研究が格段と進展することが期待されるが、ここでは同句集になぜこれほど多くの「新出句」が含まれているのかという疑問について考えてみたい。その問いに答えるカギとなるのが、『夜半亭蕪村句集』作成の意図およびその元資料の性格である。
『夜半亭蕪村句集』(天理図書館蔵)
これまで様々な角度から同句集に検討を加えてきた結果、『夜半亭蕪村句集』(四季別句集、百池他一名筆、全一九〇三句)は、蕪村晩年の自選句集『蕪村自筆句帳』(四季別句集、蕪村自筆、全一四五二句と推定)の選句資料となった句集であることが明らかとなってきた。つまり、蕪村が『自筆句帳』の選句のために、門人百池に依頼して作成させた句集が『夜半亭蕪村句集』であったと考えられる。
また「新出句」についても検討した結果、約七割の新出句が句会提出用に作られた題詠句と考えられ、その中には句会提出句の別案句や類想句が含まれていることが判明した。このことは、蕪村が百池に『夜半亭蕪村句集』の作成を依頼した際、〈他の句集類には記されない多数の蕪村発句を含む句会関係資料〉を提供したことを推測させる。とすれば、今回の新出句は他の句集類に記されない蕪村発句のうち『自筆句帳』に選ばれなかった句ということになる。では、蕪村が提供した〈他の句集類には記されない多数の蕪村発句を含む句会関係資料〉とは具体的にどのようなものだろうか。
周知のように蕪村の作句活動の中心は句会における題詠であった。今日残されている蕪村一派句会の関係資料からは、句会における題詠句提出には次の三段階があったと考えられる。
①題に基づく句作→手元の帳面等(一題につき句案多数)
②句会への提出→出句詠草(一題につき数句提出)
③句会での選句→句会稿(一題につきほぼ一句のみ記録)
①は、句会開催に先立って示された題(兼題)に基づいて蕪村がさまざまな句案を練る段階である。多数の句案が手元の帳面等に記されたと推測される。②は、①段階の句から数句を選んで「出句詠草」に記し句会に提出する段階である。残された「出句詠草」から蕪村が一題に一句から五句程度の句を提出していたことが確認できる。③は、句会において「衆議判」(合議)に基づいて選句が行われ、各人一題につき一句が選ばれ句会稿に記録される段階である。右の三段階の資料のうち『夜半亭蕪村句集』作成の元資料となったと推測されるのは、①段階の句会関係資料、すなわち一題につき多数の句案が記された蕪村手元の帳面類である。そう推測する時、『夜半亭蕪村句集』が一九〇三句という蕪村句集として最大の収載句数を示すこと、従来どこにも記されていない句会提出用題詠句が多数含まれていること、その中に句会提出句の別案句や類想句が見られることなどの意味が説明可能となるだろう。
蕪村は晩年に自選句集を編むにあたり、句会提出に至らなかった句案段階の発句をも含めて自身の生涯にわたる全句作を集録させ、それまでの句評価を一旦白紙にした上で、あくまでもその時点における自らの選句眼に適った句を選ぼうとしたのであろう。いわば「決定版蕪村句集」とでも呼ぶべき完成度の高い自選句集を目指したのであり、その成果が『蕪村自筆句帳』となったと考えられる。とすれば、「新出句」が存在することは、自選句集編集にかける蕪村の強い意気込みと熱意を示すものとして受け取ることができるのではないだろうか。
(きよと・のりこ=筑波大学教授・近世文学)