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M's Blog

「自分でこげるから介助しないように」という考えは

2016.06.20 08:41

「自分でこげるから介助しないように」という考えは、行為そのもの、ここでは移動する(これは動作ですが)というこの自立しか考えていないということを知る必要があります。

この考えが基にあると、この時の声かけも変わってくる。「頑張ってくださいね」という言葉になってしまう。実際、僕も「頑張ってください」と声をかけていた。

はたして「頑張る」とは、何に対しての頑張れなのかということ。本人にしてみれば、これ以上どう頑張れというのか、追いつめる言葉でしかない「頑張ってくださいね」だったのではないだろうか。本人が考えていること、思っていることを中心にした視点でみると、ここでは、本人が思う先には「トイレで排泄したい」ということが見えてくる。

移動はその先の目的のための手段であって目的ではない。ここではトイレが目的であるはずが、手段の自立を強いた声かけであったかもしれない。その方にとって自立できるように、維持できるように係わる時、ここでは移動であるが、ほかにも目的ではなく手段に対しての声かけを随分と無意識的に行っていたことに気づく。

目的を達成するため、手段としての行為が失われたとしても、人の手をかりて、あるいは物と使い、道具を使い、行うことができればどんなにか本人が満足や安心感を実感できる時となるのではないだろうかと思う。

そもそも何々していけるという能力を超えてまで促すということはケアではないということ。しっかりと能力をアセスメントしながら、その方の可能は範囲での行為としての自立を考えることが必要なのだと。その時の係わる介護職の声かけや、周囲の人々の温かい眼差しは能力に欠かせない「やる気」となることは言うまでもないがしっかりと能力評価することも重要である。

しかしながらいずれ行為としての自立は失われる。本人がこうしたという願いをしっかりと受け止めること、そして理解すること、目的のための手段は人の手である介護職によって行われることは決して本人の自律を妨げるものではなく助長させる係わりであるということを知る必要がある。

僕の施設でも入居者の平均介護度は4を超えている、行為としての自立ではなく、その人が自分らしくという自律を支援しているといっていいし、行為としての自立ではなく自分らしくの自律を支援しなければならないということをこの値は物語っているとも思う。

自立を目指すがあまり自律が失われるようなケアであってはならないし、その認識の差がスタッフ間のケアの差にならないことを願いたい。人が少ないということだけで問題なのに、そこで係わるスタッフの質に左右されるという実態があるという歪めない現実である。しかしながら今からでもできることはあると思っている。