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金釘流

不協和音 第5話

2020.08.11 11:34

「あの人カッコ良くない?誰待ってるんだろ」


 クラスメイトの声にスマホから意識が離れた。メッセージを送った相手からは既読のみが付けられて、待てども返事は一向に来ない。そのことによる苛立ちと彼女でもないのにという自己嫌悪で溜息を零していた。

 もしかして、といった淡い期待は身体に毒である。その男は、もしかして、なんていう毒を相手にいつの間にやら仕込んで、じゅくじゅくに腐らせる天才だった。腐っていることが分かっていても期待をやめられないのは、中毒と変わりない。


 私は声に釣られて窓から校門を見ると、そこに居た人物に驚いて慌てて立ち上がり教室を出た。

「……っお兄!」

 駆け寄る私の呼び声に気付いた兄は、何処か彼方に向けられた視線を私に向けて、端正な容姿を無表情から微笑みに変えた。周りが騒めいているのを私は気付いていないフリをする。私の周りの男は、とんだはた迷惑な誑しばかりである。

「なんでお兄が居るの?連絡くらいしてよ、待ちぼうけさせちゃったじゃん」

「…ユキの代わりに迎えに来たんだ」

 帰るよ、未來。兄はこの問題を起こしたこの場に居ない張本人を思い出したのか、一瞬顔を顰めるが、私の名前を呼ぶ時にはもう優しいシスコンの兄に戻っていた。


 先に歩き出した兄を私は慌てて追いかけて隣に並ぶ。兄の横顔は女顔負けで綺麗だが、やはり兄妹故に似ている容姿に隣に並ぶのが少し気恥ずかしい。

「……ユキちゃんに言われて?」

 おずおずとかけた私の質問に、兄は「僕からだよ」と答えた。

 その言葉に少し安心したのは、秘密だ。ユキちゃんが私を避けてるわけではないんだと、そんなチンケなことで喜べてしまう自分に情けなくなった。

「……未來がユキを慕っているのは知っているけど、できるだけ会って欲しくないんだよ。ユキは性格に難があり過ぎる」

 兄の視線は一瞬私の首元に移った。その仕草に思わず、少しはだけていた襟を立てて首元を隠す。まるで、自分とユキちゃんの関係を知っているような、そんな冷ややかな視線だった。

 さり気なくスマホの画面で首元を確認するが、痕なんて1つもなかった。


「……お兄は仲良くしてるじゃん」

「腐れ縁だからね。僕が、未來がユキと関わることに良く思ってないのは未來も分かってるだろう?」

「……」

「心配なんだよ」

 それにあれは、麻薬みたいなもんだから。兄は前を見て吐き捨てた。良い意味で言っていないことは明白だが、その歪めた表情はまるで兄個人からの感想のようで、私は違和感を覚える。

 しかしそれも一瞬だ。兄は私に振り返って、ポンと優しく頭を撫でたら形のいい唇は弧を描き、誰もが羨む微笑みを贈る紳士である。少し華奢で小柄だが、儚い雰囲気がまた良いと、恐らく今私の学校では大騒ぎになっていることだろう。


「……ユキちゃんと離れるのは、無理」

 兄妹の関係は良好だ。良好故に、明確な言葉がなくとも私の言葉の意味を兄は理解してしまう。

 私の言葉に兄は足を止めて私を見た。ただ漣が寄せている砂浜を見ているような静かな視線だ。その視線がとても不快に感じてしまった。


 大学生にしては大人びていて、男の人にしては中性的。そんな、クールに見えて真面目で優しい兄を誇らしいと同時に、心底羨ましいのだ、私は。だって兄は───。

「おーい、繁光。お前小さいくせに歩くの早過ぎ」

 兄はいつだって、ユキちゃんの中で私より上である。


 兄の後ろ越しに、のんびり気怠げな歩き方でこちらに歩いてくるユキちゃんに胸がギュッとなった。兄に嫉妬する私を知ったら、ユキちゃんはもう私を抱いてすらくれない気がして、兄に嫌われる気がして、私は逃げ出したくなる。

 どうしたって、私の大好きなユキちゃんは残酷だ。


「ユキは足が長いくせに遅過ぎる」

「褒めんなよ」

「褒めてるつもりはない」

「てか早く帰ろうぜ。今日は飯食ってから帰る」

「…図々しい」

「褒めんなよ」

「……未來、帰ろう」

 兄は苛立ちを隠しもせず、私の手を取ってユキちゃんを放置し足早に歩き出した。そんな私たちの後ろをユキちゃんはやっぱりのんびり歩いてついてくる。楽しそうにシニカルな笑みを浮かべるのは、いつも兄が居る時だけだということも、私は気付きたくないことばかりすぐ気付く。


 嫌になる。本当に、兄からユキちゃんの香りがするのも、羨ましくて死にそうだ。

「……お兄、ユキちゃんと同じ匂いがする」

「…お婆ちゃんの墓参りにユキが付いてきたからかな。線香の匂いが移ったのかもね」

 こんな自分が、嫌になる。兄のごく自然な嘘に勘付くことも。自分はいつも移るからとすぐに服を脱がされてお揃いに出来ない煙草の匂いも。

 私が焦がれるユキちゃんの欠片を、兄は嫌そうに隠そうとするのが、手を振り解きたくなるほど憎たらしかった。

 兄からする煙草の匂いが、目に染みた。