思春期の怪談
天野 歩実
十代半ばの一年を、ヨーロッパで過ごした。小さな街での寮生活においては、真偽が定かでない噂話も、貴重なエンターテイメントとなる。ヨーロッパにあったとはいえ、日本人学校だったから、「お国柄だなあ」というものもあった。
その一つが、心霊体験だ。
何でも、趣あるその校舎は、昔サナトリウムとして使われていた時期があったらしい。
療養病棟とは言っても、誰もが快復した訳ではない。ひたすら療養する、それ以外に方法の残っていなかった人もいて...
聞き古した話だ、と思った。
盛り上げるネタとしては悪くないけれど。
そんな風に乾いた気持ちで過ごしていたある朝、何とも耳障りの悪い音で目が覚めた。
不規則だし、何かを擦っているような感じもする。これは何?
だんだん頭がはっきりしてきて、歯軋りであると気がついた。
ルームメートのAちゃんだろう。そういえば、これまでにも時々あった。しょうがないなあ。まあ、歯磨きでもしてこよう。
二段ベッドの下段から起き上がり、ドアを開けると、そこには自分のスリッパしかなかった。
思わず声が漏れた。
「あれ...?」
自分のとは向かい側にあるAちゃんのベッドに目を遣ると、きちんとベッドメークがされている。
本人がいれば布団は乱れているはずだから、つまり、不在ということだ。
歯軋りの音は気のせいだったのだろうか?
いや、目が覚めるくらいだから割とはっきり聞こえていたはずだ。
心にモヤモヤしたものが残ったから、翌日、英会話担当の英国人教師に尋ねてみた。
「歯軋りの音を聞いた。でも、起きてみたら、ルームメートのAちゃんはいなかった。別の音を聞き間違えたのだろうか」
「あなた、それ、そのままにしておきなさい」
「は?」
「ゴーストよ」
「ゴースト?歯軋りするゴースト?」
「そうよ。昔、ここで暮らしていた子の。あなた、知らない?この学校は、昔サナトリウムだったのよ」
「聞いたことはあるけど...」
「友達になればいいわ。その子はきっと、学校に行けなくて、友達もできないままゴーストになったのよ」
「だから、魂だけここにいる?」
「そうよ。悪いことはしないわ。あなたたちと一緒に、その子も寮生活がしたいだけ」
「すごく新しい考え方...」
「あなたは日本人。私はイギリス人。Bは日本人だけど、ルーツは中国にあるわね。Dはロシア人で、色んなバックグラウンドの人がいるでしょう?一人ぐらいゴーストがいたって、おかしくないじゃない」
言われてみれば、そんな気もする。
「ゴーストと相部屋になったなんて、あなたは幸運よ!」
歯軋りを聞かされることの、どこが幸運なのだろうか。
そう思ったけれど、本当に学校に行けないまま世を去った子がいたのだとしたら、かわいそうな気がした。
存在をアピールするなら、歯軋りより効果的な方法もありそうだけれど。
この一件以降、私は怪談の類いを聞いても動じなくなった。
以前からあまり驚かなかったけれど、更に拍車がかかった。
好きでゴーストをしている訳ではないだろうし、身体が無ければ伝達手段も限られるだろうし、多少おかしな手段が使われたとしても、仕方がないことなのだと。
この話は、怖い人は怖いだろうと思う。
ただ、私にとっては少し切ない思い出だ。
いいことばかりでは無かったけれど、学生生活を全うできたのは、きっとそれだけで幸せなことなのだ。