ハスのコスモロジー(上・その1)
https://www.circam.jp/essay/detail/id=1965 【ハスのコスモロジー(上・その1)】
前回、再スタートに当たり、コスモロジー(=世界観、宇宙観)とは、わたしたち1人ひとりのこころのなかで培われた世界のイメージ、あるいはその成り立ちの物語といいました。コスモロジーの本質、つまり肝心なところは、やはり、つぎの点にあると思われます。
世界のはじまりはどうであったのか?
この世界はどのようにして生まれたのか?
1
〈世界ハス〉
この問題を探索するとき、人類の遠い記憶をとどめているインド神話はその宝庫といっていいでしょう。すでにエローラ石窟の探訪において、シヴァ神を主役とする世界創成神話を紹介しました(第6回)。今回はシヴァ神と並び称されるヴィシュヌ神を主役とする神話を紹介することとしましょう(上村勝彦『インド神話』に基づく)。
カイラーサ山の主であるシヴァが山に関係が深い神であるのにたいし、ヴィシュヌは海に関係の深い神として登場します。
世界はすべて水におおわれていた。とぐろを巻いて水の上に浮かぶ大蛇を寝台として、ヴィシュヌは眠りについていた。まどろみは永遠につづいた…。
やがて、ヴィシュヌの内部に創造意欲が生じた。それはヴィシュヌの臍(へそ)から外に出てハス(パドマ)となった。このハスはローカ・パドマ(=世界ハス)と呼ばれる。ヴィシュヌはその中に入りこんだ。
このハスからブラフマー神が自力で生まれた。かれは四方を見渡したが、どこまでも水がひろがっているばかり。途方に暮れたかれは、考えた。
ハスの上にいるこの自分はいったい、誰なのか?
この1本のハスはどこから生えているのか?
きっと下に、何か支えるものがあるにちがいない……。
こう考えたブラフマーは、ハスの茎の中を通って水中に入りこんだ。しかし、その先を見きわめることができなかった。
ブラフマーは踵を返してハスの花の上にもどり、坐して瞑想にふける。そしてついにすべてを知るにいたる。
自分自身の中に、ヴィシュヌが大蛇の上に横たわり、まどろんでいるのを見たのである!
すべてを知ったブラフマーは、至高の創造神・ヴィシュヌを讃え、ヴィシュヌの使徒となってこの世界を創造した。
この神話はヴィシュヌを語るうえで欠かせないものです。すでに触れたように、インドではハスをパドマといい――のちに述べるようにハスでも紅いハスを指すことが多い――、臍をナ―パといいます。それでヴィシュヌは、この神話にちなんでパドマ‐ナ―パという別名をもつほどです。
〈ハスの花の女神〉
この場面を伝える有名な立体レリーフがインドのヒンドゥー教寺院にあります【写真L-1】。横たわるヴィシュヌの足元で脚をさすっているのは妻のラクシュミ―、別名パドマです。この女神はハスの花の化身であり、ヴィシュヌに仕える妻となる前は、世界の母としてインドの人びとに愛されてきた至高の存在でした。
古来インドで生命を生みだす女神は、「ハスから生まれたもの」、「ハスの花に立つもの」とされ、ハスの女神は「生命あるものすべての母であり、大地である」と賞賛されていました。このハスの女神がラクシュミ―と呼ばれるようになったわけですが、パドマ(=紅いハス・紅蓮)という別名をもつのは素性そのものを語っているのです。
【写真L-1】原初の海の上でまどろむヴィシュヌ神。その臍から生え出たハスの花は壁面に表され、ブラフマー神が坐っている。横たわるヴィシュヌの足元で脚をさすっているのは妻のラクシュミ―、別名パドマ。
そういう伝統がありましたので、たとえば第2回で見たサーンチーのストゥーパのような初期の仏教モニュメントにも、ヴィシュヌの妻となる前の、ハスから生まれたラクシュミ―を多数見ることができます。仏教、ヒンドゥー教を問わず、インドにおけるハスの花の神はラクシュミ―なのであり、世界の母なのでした【写真S-11】。
【写真S-11】ハスの花の上に坐る、ハスの化身の女神ラクシュミ―。これまたハスの花の上に載る2頭の象が天界の水を注ぎ、ラクシュミ―を祝福している/サーンチー北門
こうして見てきますと、海の上でまどろむヴィシュヌの臍から出てきたハスも、その実、妻のラクシュミ―であったことがわかります。ヴィシュヌが世界の最高神であることを示すために、生み出す力を妻であるラクシュミ―(=パドマ)に託したのでした。つまり、男神ヴィシュヌは女神ラクシュミ―と一体となって万能の存在となるのでした。
この神話をおさめる『バ―ガヴァタ・プラーナ』の成立は比較的新しく、9世紀ころとされています。しかし今見た立体レリーフが出来たのは6世紀ころとみられますので、神話じたいはこのころにはできていたと思われます。
紀元前後に成立したヒンドゥー教の聖典『マヌ法典』は世界のはじまりをつぎのように語っていました (渡瀬伸之訳に基づく。第8回)。
このものは、かつて暗黒からなっていた。認識されず、特徴もなく、……、すべてが眠っているかのようであった。
その時、自ら生まれしものは、宇宙を顕在化させつつ、暗黒を払いのけて自らの姿を出現させた。
自ら生まれしものとは、『プラーナ』にいう、ハスから自力で生まれ出たブラフマー神のことです。
『マヌ法典』が伝える世界創成における原初の光景は、混沌(闇)から秩序(光)に向かうプロセスの展開でした。『プラーナ』は、そこに人格神を登場させることにより、親しみのもてる神話に塗りかえているのです。
ただし、原初の海からはじまるこの神話は、新たにヴィシュヌ神を登場させてブラフマー神より優位に立たせており、この神話がヴィシュヌ派のものであることを示しています。
2
〈日本にも入っていた〉
この神話は『雑譬喩経(ぞうひゆきょう)』という仏典にも入りこみ、なんと日本にも伝わっています。葛城修験(しゅげん)系の鎌倉時代の文献(『大和葛城宝山記〈やまとかつらぎほうざんき〉』)がこれを引いており、さらに南北朝時代の伊勢神道の文献(『類聚神祇本源〈るいじゅうじんぎほんげん〉』)にも再録されています。それを見ると、つぎのようです(山本ひろ子『中世神話』)。
十方(じっぽう)から風が吹いてきて風どうしがふれ合い、大水を湛えていた。水上に神聖(かみ)が化生(けしょう)した。(中略)常住慈悲神王(じょうじゅうじひしんのう)と名づけて、違細(いさい)とする。この人神の臍の中から、千葉(せんよう)金色の妙法蓮華が出現した。その光は非常に明るく、たくさんの太陽が一緒になって照らすようであった。花の中に人神がいて結跏趺坐(けっかふざ)していた。(中略)名づけて梵天王(ぼんてんおう)という。
十方とは、東・西・南・北、東北・東南・西南・西北の八方に、上・下をくわえた方角。つまり、あらゆる方角を意味する。違細とはヴィシュヌ神、梵天王とはブラフマー神のこと。
鎌倉時代に伊勢神宮・外宮(げくう)を拠点として興った伊勢神道では、水が万物の根源とされました。そうした関心から、〈水―蓮華―光〉による、まばゆいばかりのイメージに彩られたこのヴィシュヌ‐ブラフマー神話が珍重されたのでしょう。
3
〈梵我一如〉
ところで、〈梵我一如〉 (ぼんがいちにょ)ということばを聞いたことのあるかたも多いと思いますが、これは、〈アートマンはブラフマンである〉 というインド思想を漢語で表現したものです。梵がブラフマン、我がアートマンです。
〈梵我一如〉の考えを伝える有名な逸話があります。バラモン僧の父が息子にガジュマル(榕樹〈ようじゅ〉、インドによく自生している熱帯性の巨木)の実を持ってこさせ、語りかけます(『ウパニシャッド』佐保田鶴治訳を要約)。
「それを割ってごらん」
「割りました、父上」
「その中には何があるかね?」
「小さな穀粒のようなものがあります」
「そのうちの一粒を割ってごらん」
「割りました、父上」
「その中には何があるかね?」
「何もありません、父上」
「その中にお前の眼には見えないくらい微細なものがあって、それが巨大なガジュマルになる。この微細なものこそ、じつはおまえ自身なのだよ」
汝はそれである、つまり梵我一如。〈梵〉とは宇宙のすべてを生み出すものであり、かつ、汝であり我でもあるというのです。〈梵〉は存在のさまざまな相を超えて普遍的に存在し、かつ個々の相に現れるのです。こうした考えかたが、仏教が生まれた紀元前500年ころにはすでに成立していました。日本列島では弥生時代の前期にあたるころです。(近年の見解によれば、弥生時代の開始時期がくり上がってきています)
密教においてよくいわれる〈入我我入〉(にゅうががにゅう)も、意味するところは〈梵我一如〉と同じといえます。何が我に入り、我が何に入るのかといえば、大日如来にほかなりません。世界を生みだす根源であり、かつ、世界を包み込む大日如来とは、じつは梵に仏教的な形を付与したものとわたしは理解しています。
梵つまりブラフマンとは、世界を成り立たせ、かつ世界を満たしている精妙なもの(=この世界のエッセンス、精髄)。それを人格神化したのが梵天、つまりブラフマー神です。わたしたち一人ひとり(=個我)は世界の精髄に包まれていると同時に、世界の精髄そのものを含んでいる、という神秘思想です。
〈梵我一如とハスのコスモロジー〉
ヴィシュヌの臍から生え出したハスのなかにヴィシュヌ自身が入りこんだとか、また、そのハスから生まれたブラフマーが自らの中に至高神ヴィシュヌを見いだしたとかいう、〈包むー包まれる〉ことを繰りかえす自己と世界の関係は、〈梵我一如〉の説話化といえます。
つまり、いかに広大な世界でも、それは自己のなかにあり、両者はひとつであることをいう説話です。それは高邁(こうまい)で難解な神秘思想を馴染みやすい神話に衣替えしたものなのです。
そこには、ブラフマー神よりヴィシュヌ神のほうが偉くなってしまうという、その後に起きた宗教事情の変化も反映されているのですが。
もっとさかのぼって紀元前800年ころ、日本列島では縄文時代から弥生時代に切り替わるころにあたりますが、世界のはじまりは、つぎのように考えられていました(『タイッティリーヤ・ブラ―フマナ』松濤誠達訳に基づく)。
世界はすべて水におおわれていた。それは揺れ動く海であった。かのプラジャーパティは、風となってハスの花にのって揺れていた……。
プラジャーパティとは、ヒンドゥー教の主神であるシヴァやヴィシュヌが確立していない時代における唯一の創造者ですが、のちにヴィシュヌに置き換えられます。バラモン教と呼ばれるこの段階にあって、すでにハスが登場していることは、それが世界を生み出す力をもっとみなされていたからです。
さらにさかのぼって紀元前1,500年ころ――日本列島では縄文時代後期――、インドでは世界のはじまりについて、すでに見たように、早くもつぎのような高度な思考が芽生えていたのでした(『リグ‐ヴェーダ』湯田豊訳に基づく。第8回)。
太初、闇は闇に覆われ、このすべては、区別するしるしとてないうねり(=水波)であった。
(世界が創成される前、すべては暗黒に覆われ、形も秩序もない水が波打つばかりであった)
古来インドにおいて水は、形なき混沌として捉えられてきました。そこから生えてくるハスは、まさに混沌から形ある秩序を形成するものであり、世界を象徴するにふさわしいものだったのです。
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