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五郎のロマンチック歴史街道

神々が宿るコミュニティ・本町 春日神社 由緒

2020.08.14 02:02

春日神社 由緒

江戸時代、この辺りは、加古川村・西河原村・木村・友沢村・稲屋いなや村・米よね田だ村・船頭ふなもと村並びに塩市村を包含する泊神社の氏子地域を総称し“雁がん南庄なんしょう”と呼ばれた。(中世には、「賀か南条なんじょう」と称した。)

春日神社は、源義経が、兄である源頼朝に追われて平泉に逃れた文治二年(1186)に、時の雁南庄領主である糟谷かすや有あり季すえが、奈良本宮春日神社(創建786年)から分霊をお迎えし建立した。

糟谷有季は、藤原鎌足の血筋であり、藤原氏一門の氏神としてお祀りしてあるのが、本町三丁目に鎮座する春日神社である。当町内会では、季節ごとに境内を中心とした行事が催され、春日神社は地域住民の結束力を高めるとともに、安らぎの場にもなっている。

どんど焼き

春日神社を代表する行事で、平成の初め頃から、毎年成人の日に催されている。当日は、おごそかに神事を執り行ったあと、来賓、住民等が神火を用いて左義長(さぎちょう)に火を付ける…。新たな年明けに、今年の健康と家内安全や招福を願い、多くの住民が、その思いを“とんど”に託す…。当地ならではの行事であり、季節を代表する風物詩でもある。また、当神社では、夏には盆踊りなども開催しており、出店もあることから、他地区からも大勢の住民で賑わい、一大イベントとして定着している。

夫婦銀杏

晩秋の地神稲荷大明神

赤壁さんの話

この「赤壁大明神」は、大正時代「赤壁」と言えば「加古川」と言われるほど、映画や講談に登場してくる有名なお社…。時は江戸時代の中ごろ、加古川宿に徳蔵という職人がいたが、サイコロ博打がなによりも好きで、そのせいで貧乏暮しの毎日が続いていた。

家では「タマ」という猫を飼い、可愛がっていたが、ある日のこと、タマを懐に入れて博打場に出かけたところ、妙な事に、タマは、サイコロの目が丁なら両目を閉じ、半なら片目を閉じることに気付いた。

徳蔵は、タマのお陰で久しぶりに大儲けした帰り、金を巻き上げられた梅吉・松吉兄弟に待ち伏せされ、金を奪われた上に、殺されてしまった。タマは、その後主人のかたき討ちを果たすことになるが、無念にも返り討ちにあったタマの血で真っ赤に染まった壁を使って建立された祠が「赤壁大明神」の起こりと言わわれ、タマの御霊が祀られている。主人に

忠義なこの物語が、今も「赤壁さん」と親しまれている所以であろう。




引用文献等

1.『春日神社と本町三丁目界隈雑記』

2・『本町春日神社由緒』

以上、本町三丁目)岡田義治氏著・編集

3.春日神社掲示版4.写真:渡邊撮影

但し、左義長と夫婦銀杏は加古川公民館・松尾

係員撮影

4.助言を戴いた方々

●本町地区町内会連合会会長:岡田充弘氏

●播磨の歴史を語る会会長:三浦孝一氏

●加古川史学会: 岡田功氏