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中島敦『文字禍』を読んで

2020.08.14 07:07

高校生の国語の試験対策を作ったり、授業でわからなかった部分の説明などをする在宅のお仕事を、昔しておりました。送られてくる教材が実に幅広くて、新たな書籍に出会えるという点で、とても気に入っているお仕事です。

先生方がどうやって書物を選定しているのかとても気になりますね…笑


さて。

そんな中、先日対象になった教材が、タイトルの『文字禍』。

著者は、山月記でお馴染みの、中島敦です。


 「文字の霊などというものが、一体、あるものか、どうか。」


本文はここから始まります。

短いので、ぜひ読んでいただきたいのだけれど、簡単に言えば、現代人の言うところの「ゲシュタルト崩壊」をテーマにした作品。

中島敦著作なので、研究書はたくさんあるため、読解したい方はぜひとも探していただければと思うのですが。

私が今日話題にしたいのは、本文にあったこんな一文についてだったりします。


人々は、もはや、書きとめておかなければ、何一つ憶えることが出来ない


私は文化論には詳しくないので、恐らく、としか言えないのですが、文字文化が発達する以前は、全ての事柄は、伝聞で広まって、残されて、伝えられていたんだと思うんです。

もちろん、伝聞という性質上、間違って伝わったこともあったり、伝えられる中で変化した内容があったりしたんでしょう。だから、昔話や伝承にはさまざまな通り道があったり結末があったりする。

私がこれを読んで漠然と感じたのは「書き留めること=覚えておきたいこと」は現代ではちょっと違う意味になってきてるなーということ。

現代で「書く」という行為は、「書にする、紙に認める」よりも、「ネット上で書き込みをする」という内容にシフトしてきていると感じます。

でもネット上で書かれている文章は「何かを批評する」ものが圧倒的に多いなって。

「覚えておきたいこと」ではなく「自分が思ったこと、感じたこと、考えたこと」を認めた文章が溢れている。もちろんこの文章だってそうです。

とある人が、ただ、その日に、思ったことや感じたことを書いた。だからもしかしたら明日は同じテーマで違うことを考えて書いているかもしれない。

それだけのこと。

それだけのことに対して、めちゃくちゃに叩いたり批判したり突っかかったりされて、息苦しいと感じている人も多いはず。

そして『文字禍』には以下のようにも書かれているのです。


書洩らし? 冗談ではない、書かれなかった事は、無かった事じゃ。芽の出ぬ種子は、結局初めから無かったのじゃわい。


あ、それでよくない?って思いません??

私、すごくストンとこの言葉が落ちたんですよ。

言わなきゃいいじゃん、っていうのは、結局ここに尽きるんですよね。「書かれなかった事は、無かった事」。


文字の精共が、一度ある事柄を捉えて、これを己の姿で現すとなると、その事柄はもはや、不滅の生命を得るのじゃ。


想いを文字として、不滅の生命を与える前に、なかったことにする

そんな考えが広まったら、もうちょっとネット上でも生きやすくなるんじゃないかなーって。思いまして。

とくに批判的な言葉、攻撃的な言葉は、こうできませんかね?

別に、その場所で、その人の想いに対して、わざわざ不滅の生命を与えなくとも、別の場所で、自分の想いに不滅の生命を与えた方が、幸せになれるのではないかなって、私なんかは考えてしまうわけなのですが。

ま、ここまで書いたことは、私の想いに不滅の生命を与えただけなので!笑

ただの戯言。

あ!中島敦の作品は、青空文庫にも掲載されていますので、興味がありましたら読んでみてくださいね!

古典文学(?)も読み始めるととてもおもしろいですよ~

言葉遣いが難しいとか、弊害もありますけど。

現代文学よりもすらすら読めない分、考えが深まる…っていうこともあるかも?!