【広島県】御手洗(呉市大崎下島)
2020.08.16 04:05
瀬戸内海の芸子諸島の一つ、大崎下島の東端部に位置する御手洗は、近世以降に瀬戸内海航路の沖乗りの発達にともない、風待ち・潮待ちの港として北前船は勿論のこと参勤交代の諸大名の寄港地として繁栄してきた。
それと共に人口が増加し、土地の狭い御手洗は度重なる埋め立てにより拡大し、千佐子浜に大規模な波止場や高燈籠も築造される。
重伝建地区の建築物は18世紀前半から戦前にかけての伝統的な町家が多く、比較的間口は狭く奥行きの長い切妻造妻入の町家が建ち並ぶ通りの町並みは、往時の繁栄を物語っている。
一方、藩の許可で設けられたお茶屋を4軒抱える花街でもあり、その一つ「若胡子屋」は現存する日本最古のお茶屋建築といわれる。
戦後の赤線廃止まで遊女が客を送迎する「おちょろ船」が行き交っていた。
【広島県】御手洗「若胡子屋」(呉市大崎下島)201207
近世から北前船などが潮持ち・風待ちに立ち寄る漁港としては繁栄し、往時の雰囲気を色濃く残した町並みを持つ御手洗は、四軒の茶屋が置かれた花街でもあり、その一つ「若胡子屋」は全盛期に約400名もの遊女を抱えていたといわれる。
【広島県】御手洗「千砂子波止」(呉市大崎下島)201207
大崎下島の御手洗は、北前船が潮持ち・風待ちに立ち寄る港として繁栄し、参勤交代の西国大名も寄港していた。
船舶の往来が増えたことで藩により港の整備が行われ、千砂子波止と呼ばれる石造りの波止場が築かれた。