「三つのグナからなる幻影」
https://blog.goo.ne.jp/yoga-kailas/e/c6034c67b6d0a865e76b69cbae8fec2e 【「三つのグナからなる幻影」】 より
【本文】
世の人々は、三つのグナから形成された万有に幻惑され、
私がこれら三つのグナを超越した無限不滅の存在であることを知らない。
世の人々が、これら三つのグナからなる幻影に、惑わされずにいることは非常に難しい。
だが私にすべてをゆだねて帰依する人は、簡単にその危難を乗り越えられるであろう。
だが無智なる者、悪をなす者、最低の者、
幻影に惑わされ魔の性質を持つ者たちは、決して私に帰依しようとはしない。
だが、アルジュナよ! 苦悩を持つ人、探究心が強い人、幸福を求める人、完全なる叡智を求める人、
これら四種類の人たちは、私を心から礼拝するのだ。バーラタ族の中で最も優れたる者よ!
はい。これはまず、
「世の人々は、三つのグナから形成された万有に幻惑され、私がこれら三つのグナを超越した無限不滅の存在であることを知らない。
世の人々が、これら三つのグナからなる幻影に、惑わされずにいることは非常に難しい」
と。
こないだもね、ちょっとたとえ話をしたけども、マーヤーの話ってしたよね。クリシュナの弟子がマーヤーに巻き込まれる話って、前したけども。われわれはだから、この時点でもう巻き込まれてます(笑)。われわれはものすごい秘密のチャンスを握っているんですね。秘密のチャンスっていうのは、夢の中にいながら、夢から覚めるきっかけとなる夢を見てるんです、今(笑)。でも決して目覚めているわけではない。もちろん世の人々もみんなそうで。それはこの三つのグナが織り成す幻影の中に、完全に巻き込まれてしまってる。われわれはその幻影から心が外れてないから――外れてたらね、客観視できるわけですよ。「あれ? これ三つの幻影があるけど、これ本物かなあ。あ、こっちクリシュナだなあ」――そういう見方もできるんだけど、じゃなくて入っちゃってるから(笑)。いつも幻影の中に完全に巻き込まれてるから、これを超えた至高者、バガヴァーンっていうのを認識したりとか、それを悟ったりっていうのは非常に難しいんだよと。これは当たり前のことだね。もうその幻影の中に完全に取り込まれてしまっている。
でもね、われわれがね、その幻影の中にいながら、こういったギーターにめぐり合う。あるいはそこで、言葉上だけども真実――「言葉にできない真実を一応言葉にしたもの」を学べるっていうのは、これはまさにサットヴァの働きなんです。
これは前も言ったよね。ラジャス・タマス・サットヴァっていう三つのエネルギーによって、すべての幻影の世界が現われてるんだけど、三つとも幻影の世界なんだけど、このサットヴァだけは、幻影なんだけどいいやつなんです(笑)。幻影なんだけど、われわれを真実に導く幻影なんだね。これは理解しておいたらいいね。
この辺が非常に面白いところだね。この三つっていうのは、すべて幻影なんだが、サットヴァがないとわれわれは悟れない。サットヴァっていうのは透明なエネルギー。それから光のエネルギー。この光とか透明さっていうのがないと――つまり、サットヴァそのものは悟りじゃないんです。真理そのものじゃないんです。しかしこのわれわれの心を透明にし、光を強めてくれるサットヴァっていう存在がないと、あっち側にある真理っていうのを、われわれは見ることができない。でもサットヴァもまた、この世のマーヤーの一つに過ぎないことは変わりない。
はい、そして、「世の人々が、これら三つのグナからなる幻影に、惑わされずにいることは非常に難しい」んだが、「私にすべてをゆだねて帰依する人は、簡単にその危難を乗り越えられるであろう」と。
これがつまり秘儀なわけですね。バクティ・ヨーガの秘儀。
バクティ・ヨーガの秘儀っていうのは、結局帰依なんだね。結局、至高者――完全なる、これはさっき言ったように、仏教でいう如来でもいいし、ヒンドゥー教のクリシュナでもいいし、シヴァ神でもいいんだけども、完全なる絶対者――に対して、自分のすべてを預けられるか、投げ出せるかなんだね。
結局、そこで生じる智慧っていうのは、与えられるものなんだね。われわれがああだこうだ考えて到達するっていうよりは、われわれが絶対者に自分を投げ出したときに与えられるもの――それが智慧なわけだね。完全な智慧というか。