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コーポA&O (桜井俊幸.A&O企画)

終戦から75年 父の兄を偲んで

2020.08.15 17:29

今年の日本は、40度に迫る猛暑が続き新型コロナウイルス感染が拡散する特別な夏になりました。


終戦から75年を迎え全国戦没者追悼式典が日本武道館で開催され、例年の約1割550人が参列して追悼の意を表し、世界の平和をを祈りました。黙祷…

13日は満91歳の父とお盆のお墓参り、我が家と親戚と小出公園にある戦没者慰霊碑に参拝、この日小出公園には熊が出没したらしく襲われなくて良かったです。


仏壇のある茶の間でお盆ご馳走で献杯。今年も若干22歳でフィリピンルソン島で戦死した父の兄と父が14才で志願した海軍鹿屋特攻隊の話しを父が語ります。

父の兄、桜井武さん(大正12年7月15日生)はアイデアマンで除雪機を考案したり、スケッチが上手くスケッチ帳(遺品)が我が家に残されています。


尋常小学校卒業後、東京の小西雑貨店に召集令状が届くまで勤めます。昭和19年4月1日、東京都赤坂の東部第6部隊西沢隊に入隊後、満州第901部隊岸田隊に配属、各隊に転属されます。

フィリピン・ルソン島で、米軍の日本本土侵攻を遅らせることを求められた師団へ。米軍を島の奥深くに誘い込み、戦いを長期化させることが使命です。


しかし既に制空権や制海権を奪われて補給は途絶え、しかも太平洋の島々で激戦を繰り返したため、蓄えていた物資の多くを使い果たしています。


こうした中で兵士たちに下されたのが、自活自戦,永久抗戦です。食糧も物資も自ら調達し、永久に戦い続けろというもので、9ヶ月に及んだ、補給なきルソン島の戦いの実態です。

昭和20年5月27日、フィリピンルソン島スエバヒスカヤ州ビンキャンにて22歳で戦死、陸軍上等兵でした。


終戦後、父は新潟の護国神社にお骨を受け取りに行きましたが、お骨ではなく石ころだったと父の語り種になっています。涙…


世界中が戦争のない平和な日々なりますように!合掌。